検察審査会による小沢一郎氏強制起訴について個人的な見解
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。
○一般法則論の世界観の図解
以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。
世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
妄想
Ω神= 〔A→ ∥Z→ (B→ (C→ (D→ (H→E→F→G→(M)))))∥〕 Ω=神の国
∥ ↑ 理法 自然 物的 俗・人・子・文歴 記憶
(心的なD) M(記憶) Ω人 人・生・孫・化史 ↓
唯一絶対
○この文の目的
小沢一郎議員の資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件で、東京第5検察審査会が、2010年10月4日に小沢氏を政治資金規正法違反(不記載、虚偽記入)で起訴すべきだ、という二回目の起訴議決をしました。
この結果、検察審査会の規則に基づき、政治資金規正法違反で自動的かつ必然的に強制起訴されることになりました。
このことについて、小沢一郎氏が、プロの検察当局が同じ嫌疑について何度も自分から話を聞いて起訴しなかったのだから、犯罪捜査に関しても刑事訴訟法に関しても素人の集まりの検察審査会が起訴を決めるのは変だ、制度としても問題だという趣旨の発言をしています。
この件に関して、同じ趣旨の発言を、鈴木宗男氏も、テレビカメラの前でしていました。
この文では、このことについて、一言述べます。
○小沢氏も鈴木氏も政治のど素人で人を見る目が全く無い人たちに選ばれて政治家になった
小沢一郎氏と鈴木宗男氏は、検察審査会が小沢氏を政治資金規正法違反で強制起訴することを決めたことについて、素人集団がプロの判断を覆すことをした不当なものだ!!! と怒っています。
しかし、小沢一郎氏と鈴木宗男氏は、政治のど素人で、人を見る目が全く無い人たちの判断で政治家になれた、と言い切って良いでしょう。
特に国会議員が行なうべき政治とは何か、また、政治家に必要不可欠な素養は何かが分かる常識がある人たちならば、絶対に国会議員には選ばないはずの例が、小沢一郎氏と鈴木宗男氏です。
自らは、政治のど素人で、人を見るに著しく欠ける人たちがいたからこそ初めて国会議員になることが出来たことを棚に上げて、検察審査会の委員は犯罪捜査と刑事訴訟法のど素人だから、その判断は間違っている、というのは、身の程知らず、というものでしょう。
小沢一郎氏や鈴木宗男氏の他にも国会議員として不適切な人たちは、沢山います。
具体的にそのお名前をここに列挙することは差し控えますが・・・。
○検察審査会の決議を支持したい
小沢一郎氏について、政治資金規正法違反で起訴が相当の決議をしたことを、個人的には支持します。
土地購入資金の出所について、小沢氏の説明は二転三転しています。
普通、これだけで犯罪容疑者のその説明は嘘だ、と判断して、真相は何かの追求がされてしかるべきものです。
しかし、どういうわけか、検察庁は、まるで「小沢氏の政治生命を守るために」、小沢氏の説明は聞くに留め、真偽を本人に追求したり、裏づけ捜査をしてはならない、と最初から決めているみたいに見えます。
何か胡散臭い・・・。
これは、私個人のみが抱いた疑惑ではなく、国民の多くが素朴に疑問に思っていることだと思います。
検察審査会が、検察庁の判断だけで済まさず、公の裁判の中でその真偽の判定を求めたことは、賢明な判断だったと思います。
検察審査会の決議によって強制起訴しても、有罪判決を下したわけではありません。
裁判は、起訴後は、検察審査会の決議とは切り離されて、法廷に出た証拠の真偽の検証に基づいて行なわれます。
こうであるのに、小沢氏を起訴したのはけしからん! 検察審査会制度が間違っている! という本人や周りの人たちの言うことは、国法に対する見過ごすことが出来ない挑戦です。
小沢氏の言う事やする事を見ていると、昔の独善的な左翼の過激派がやること見たいだ、というイメージが湧きます。
結局、「天網恢恢疎にして漏らさず」ですから、小沢さんとその支持者にとっても、小沢さんに疑惑を抱いている人たちにとっても、自然になるようになります。
なお、小沢さんとその支持者が、裁判で有罪になることを恐れているのならば、旧約聖書に出てくる信心深いヨブのように「恐れていることが現実になる」/「求めよさらば与えられんの原理」/潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法に基づいてそうなるでしょう。
○裁判員裁判制度との比較で・・・
裁判員裁判制度が始まってから、従来のプロの裁判官とは異なる市井の人の判断が、裁判に反映されるようになりました。
検察審査会制度によって強制起訴ができることになったので、プロの検察官とは異なる国民の判断が、起訴するしないに反映されるようになれば、検察官による起訴独占主義の制度が新しく生まれ変わる可能性があります。
これは、良い結果を期待して良いでしょう。
蛇足ですが、強制起訴が出来る検察審査会は、小沢一郎氏とその支持者のために無い方が望ましい、のではありません。
○まとめ
検察審査会が小沢氏について、政治資金規正法違反で強制起訴を決めたことを支持する意見を述べました。
○誤記の訂正 検察審議会→検察審査会
一箇所を除いて、検察審査会を、検察審議会と誤記していました。
訂正します。
2010年10月6日午後18時51分
以上
例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。
○一般法則論の世界観の図解
以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。
世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
妄想
Ω神= 〔A→ ∥Z→ (B→ (C→ (D→ (H→E→F→G→(M)))))∥〕 Ω=神の国
∥ ↑ 理法 自然 物的 俗・人・子・文歴 記憶
(心的なD) M(記憶) Ω人 人・生・孫・化史 ↓
唯一絶対
○この文の目的
小沢一郎議員の資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件で、東京第5検察審査会が、2010年10月4日に小沢氏を政治資金規正法違反(不記載、虚偽記入)で起訴すべきだ、という二回目の起訴議決をしました。
この結果、検察審査会の規則に基づき、政治資金規正法違反で自動的かつ必然的に強制起訴されることになりました。
このことについて、小沢一郎氏が、プロの検察当局が同じ嫌疑について何度も自分から話を聞いて起訴しなかったのだから、犯罪捜査に関しても刑事訴訟法に関しても素人の集まりの検察審査会が起訴を決めるのは変だ、制度としても問題だという趣旨の発言をしています。
この件に関して、同じ趣旨の発言を、鈴木宗男氏も、テレビカメラの前でしていました。
この文では、このことについて、一言述べます。
○小沢氏も鈴木氏も政治のど素人で人を見る目が全く無い人たちに選ばれて政治家になった
小沢一郎氏と鈴木宗男氏は、検察審査会が小沢氏を政治資金規正法違反で強制起訴することを決めたことについて、素人集団がプロの判断を覆すことをした不当なものだ!!! と怒っています。
しかし、小沢一郎氏と鈴木宗男氏は、政治のど素人で、人を見る目が全く無い人たちの判断で政治家になれた、と言い切って良いでしょう。
特に国会議員が行なうべき政治とは何か、また、政治家に必要不可欠な素養は何かが分かる常識がある人たちならば、絶対に国会議員には選ばないはずの例が、小沢一郎氏と鈴木宗男氏です。
自らは、政治のど素人で、人を見るに著しく欠ける人たちがいたからこそ初めて国会議員になることが出来たことを棚に上げて、検察審査会の委員は犯罪捜査と刑事訴訟法のど素人だから、その判断は間違っている、というのは、身の程知らず、というものでしょう。
小沢一郎氏や鈴木宗男氏の他にも国会議員として不適切な人たちは、沢山います。
具体的にそのお名前をここに列挙することは差し控えますが・・・。
○検察審査会の決議を支持したい
小沢一郎氏について、政治資金規正法違反で起訴が相当の決議をしたことを、個人的には支持します。
土地購入資金の出所について、小沢氏の説明は二転三転しています。
普通、これだけで犯罪容疑者のその説明は嘘だ、と判断して、真相は何かの追求がされてしかるべきものです。
しかし、どういうわけか、検察庁は、まるで「小沢氏の政治生命を守るために」、小沢氏の説明は聞くに留め、真偽を本人に追求したり、裏づけ捜査をしてはならない、と最初から決めているみたいに見えます。
何か胡散臭い・・・。
これは、私個人のみが抱いた疑惑ではなく、国民の多くが素朴に疑問に思っていることだと思います。
検察審査会が、検察庁の判断だけで済まさず、公の裁判の中でその真偽の判定を求めたことは、賢明な判断だったと思います。
検察審査会の決議によって強制起訴しても、有罪判決を下したわけではありません。
裁判は、起訴後は、検察審査会の決議とは切り離されて、法廷に出た証拠の真偽の検証に基づいて行なわれます。
こうであるのに、小沢氏を起訴したのはけしからん! 検察審査会制度が間違っている! という本人や周りの人たちの言うことは、国法に対する見過ごすことが出来ない挑戦です。
小沢氏の言う事やする事を見ていると、昔の独善的な左翼の過激派がやること見たいだ、というイメージが湧きます。
結局、「天網恢恢疎にして漏らさず」ですから、小沢さんとその支持者にとっても、小沢さんに疑惑を抱いている人たちにとっても、自然になるようになります。
なお、小沢さんとその支持者が、裁判で有罪になることを恐れているのならば、旧約聖書に出てくる信心深いヨブのように「恐れていることが現実になる」/「求めよさらば与えられんの原理」/潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法に基づいてそうなるでしょう。
○裁判員裁判制度との比較で・・・
裁判員裁判制度が始まってから、従来のプロの裁判官とは異なる市井の人の判断が、裁判に反映されるようになりました。
検察審査会制度によって強制起訴ができることになったので、プロの検察官とは異なる国民の判断が、起訴するしないに反映されるようになれば、検察官による起訴独占主義の制度が新しく生まれ変わる可能性があります。
これは、良い結果を期待して良いでしょう。
蛇足ですが、強制起訴が出来る検察審査会は、小沢一郎氏とその支持者のために無い方が望ましい、のではありません。
○まとめ
検察審査会が小沢氏について、政治資金規正法違反で強制起訴を決めたことを支持する意見を述べました。
○誤記の訂正 検察審議会→検察審査会
一箇所を除いて、検察審査会を、検察審議会と誤記していました。
訂正します。
2010年10月6日午後18時51分
以上
例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。