■死んだレモン/フィン・ベル 2020.11.2
若くして成功した男、フィンは人生の目的を見失い、酒に溺れる。その結果、妻と離婚、飲酒運転で事故を起こし、下半身の自由を失う。
そんな彼が、南の最果ての田舎町でコテージを購入する。
そこで待っていた人生とは?
それにしても、『死んだレモン』 とはミステリの題名としては「何で」と思った。
吉野仁氏の巻末の解説に説明が有りました。
ここで本作の原題になっている Dead Lemons は、作中で『人生の落伍者』と訳されている。英語の俗語で、レモンは「欠陥品」や「騙す」という意味があるようだ。見た目や香りはいいけど、中身は酸っぱいということらしい。
読んで、ぼくは納得。
きっとアレのことを言っているんだ。
読んでみなければ分かりませんよ。
三十六歳になり、五年間連れ添った美しい妻、アンナがわたしのもとを去った。彼女が悪いわけではない。結婚生活が崩壊するまで、アンナはわたしを愛し、苦難と闘った。だが、幸せな人は、不幸な人と同じ人生を並んで歩むことはできないのだ。
アンナと口論し、とことんまで話し合い、声がかれるまでこちらの疑問を吐き、妻の疑問に答えた挙げ句、行き着いたのは、こんな簡単な結論だった。好意を持つ同士は引き寄せられるが、反発する同士は嫌悪感が募る。わたしの内なる悪と、妻の内なる善は磁石の同極のように反発した。
「まあ、いいわ。よく聞きなさい、フィン、代わりにわたしが説明するから。苦痛とは、どんな人にも訪れる。苦痛を感じたら、人はまず、その苦痛を解決しようとする。解決しないまま苦痛が増せば、苦痛から逃れようとする。それでもダメなら最後の手段、苦痛を受け入れるか、自分の命を絶つか」ペティは肩をすくめた。「答えは単純で明快。時間をかけさえすれば苦痛は消えるの。さて、フィン、そろそろあなたの苦痛と向き合いましょうか。何があったかなんて、正直、どうだっていいわ。だけどあなたには、人生という物語があるはず。自分から苦痛の種を解決しようとしたか、受け入れようとしたか、自分の命を絶とうとしたか、わたしは知らない。知らないし、わたしには関係ない。じゃあ、前向きに生きていける秘訣を教えてあげましょう。自分の気持ちに正直に向き合う、でなければ、自ら命を絶ちなさい。情けない気分のまま生き続けるのは、人様のためにも、自分のためにもならないでしょうに、そうじゃない?」ここでベティはしゃべるのをやめ、わたしの反応を待った。
どう反応したらいいかさっぱりわからなかったので、わたしは肩をすくめた。じゃあ、どうするべきでしょう? 生きるのが楽になるコッをご教示いただけませんか?」
「まず、生きるのが楽になるなんて考えないこと。意識してできるもんじゃない。自分の身の回りを変えようと思わなければ、傷つかずに済む。人生には、すべて自分の思うとおりになり、ご安泰でいられる道なんてないの。
要はね、物事には必ず理由があると考えないこと----理屈がわかれば思いどおりになると考えるから、人は理由を探そうとする。だけど、人生の取るに足らない、悲しい。“なぜ”を拾い集めたって、何も変わらない。なんならわたしがあなたに代わって、そんな疑問を追っ払ってあげましょうか。あなたに依存傾向があるのは、遺伝子学上に問題があるから。
苦痛が一気に押し寄せた。どうしたらいいかわからなくて、とことんまで落ちこんだわ。
医者たちはわたしに抗うつ剤をくれた。苦痛から逃げるために。
さて、人は苦痛に直面したら四つの行動を取る。この話は覚えている?」
「まず、その苦痛を解決しようとする。苦痛から逃げようとする。苦痛を受け入れようとするか、自分の命を絶とうとする」わたしは答えた。セッションの一回目から頭に残ったフレーズだったので、するりと□をついて出た。
「では、この四つの行動のうち、学びと自分を変えることにつながるものは?」
「苦痛を解決しようとし、苦痛を受け入れることが必要です」今にして思えば簡単なことじゃないか。
「その理由は?」
「残りのふたつ、逃避と自ら命を絶つという行為はどちらも苦痛から逃げていて、これでは学びは得られないからです」と、ベティの考え方にならって答えた。
「それじゃ、ここ数年の自分を顧みて、あなたは何をやってきた?」
「逃げてました」
「あの銃を買ったときは?」
「自分の命を絶とうと思いました」
「よろしい。もうあなたに抗うつ薬を処方する必要はなくなったわね、フイン。あなたもほかの大勢の人たちのように、自分の苦痛を解決出来るようになったから。あなたは自分を苦痛から解放する手段をみつけたのよ。これまでのあなたは酒に逃げ、あげく、銃を手に入れて自分の命を絶とうとした。苦痛を避けるため過食に走る人もいれぱ、セツクスや宗教や金や、そういつた愚かしいことに手を出す人もいる。だけど逃避的行動って、その本質も、結果も、みんな同じ。苦痛から逃れるために同じことを繰り返し、そうしている間は現状に留まったまま、学ぶこともなく、苦痛の原因を究明するという、本質的なこともできない。
だけどそれって、別に意外なことでもないの。みんなこんなもんだろうってわかっているから。不快なことから逃げようとして道を誤る人は、その行為に溺れれば溺れるほど苦痛が増すから、さらに苦痛から逃げようとしてやめられなくなる。自分がその域に達したと自覚している人もいる。では、わたしたちはなぜ、こんな話をしているのかしら?」
「敷地まで駆けこんで本懐を遂げたら----いいか、わたしはあいつらを全員殺すつもりだった。今もそうだ----エミリーはひとりぼっちになってしまう。悲しい思い出とともに生きていかなければならない。それは今も変わらないんだ、フィン。きみは物事に白黒をつけるのが第一と主張し、理屈では、たしかにそうだ。でも、自分の大事な人たちはどうなる? 自分を必要としている人たちはどうなる? きみだつてそうだ。きみとパトリシアの仲をだれも知らないと思ってるんじゃないだろうね? あの子はきみに惚れている、フィン。自分が招いた結末を背負って生きていくのは、結局、自分を愛してくれる人たちなんだよ。やはりきみは、屈するのは臆病だと思うのかい? せめて一年は落ち着いて考えなさい。それでもやるというのならやればいい」
『 死んだレモン/フィン・ベル/安達眞弓訳/創元推理文庫 』
若くして成功した男、フィンは人生の目的を見失い、酒に溺れる。その結果、妻と離婚、飲酒運転で事故を起こし、下半身の自由を失う。
そんな彼が、南の最果ての田舎町でコテージを購入する。
そこで待っていた人生とは?
それにしても、『死んだレモン』 とはミステリの題名としては「何で」と思った。
吉野仁氏の巻末の解説に説明が有りました。
ここで本作の原題になっている Dead Lemons は、作中で『人生の落伍者』と訳されている。英語の俗語で、レモンは「欠陥品」や「騙す」という意味があるようだ。見た目や香りはいいけど、中身は酸っぱいということらしい。
読んで、ぼくは納得。
きっとアレのことを言っているんだ。
読んでみなければ分かりませんよ。
三十六歳になり、五年間連れ添った美しい妻、アンナがわたしのもとを去った。彼女が悪いわけではない。結婚生活が崩壊するまで、アンナはわたしを愛し、苦難と闘った。だが、幸せな人は、不幸な人と同じ人生を並んで歩むことはできないのだ。
アンナと口論し、とことんまで話し合い、声がかれるまでこちらの疑問を吐き、妻の疑問に答えた挙げ句、行き着いたのは、こんな簡単な結論だった。好意を持つ同士は引き寄せられるが、反発する同士は嫌悪感が募る。わたしの内なる悪と、妻の内なる善は磁石の同極のように反発した。
「まあ、いいわ。よく聞きなさい、フィン、代わりにわたしが説明するから。苦痛とは、どんな人にも訪れる。苦痛を感じたら、人はまず、その苦痛を解決しようとする。解決しないまま苦痛が増せば、苦痛から逃れようとする。それでもダメなら最後の手段、苦痛を受け入れるか、自分の命を絶つか」ペティは肩をすくめた。「答えは単純で明快。時間をかけさえすれば苦痛は消えるの。さて、フィン、そろそろあなたの苦痛と向き合いましょうか。何があったかなんて、正直、どうだっていいわ。だけどあなたには、人生という物語があるはず。自分から苦痛の種を解決しようとしたか、受け入れようとしたか、自分の命を絶とうとしたか、わたしは知らない。知らないし、わたしには関係ない。じゃあ、前向きに生きていける秘訣を教えてあげましょう。自分の気持ちに正直に向き合う、でなければ、自ら命を絶ちなさい。情けない気分のまま生き続けるのは、人様のためにも、自分のためにもならないでしょうに、そうじゃない?」ここでベティはしゃべるのをやめ、わたしの反応を待った。
どう反応したらいいかさっぱりわからなかったので、わたしは肩をすくめた。じゃあ、どうするべきでしょう? 生きるのが楽になるコッをご教示いただけませんか?」
「まず、生きるのが楽になるなんて考えないこと。意識してできるもんじゃない。自分の身の回りを変えようと思わなければ、傷つかずに済む。人生には、すべて自分の思うとおりになり、ご安泰でいられる道なんてないの。
要はね、物事には必ず理由があると考えないこと----理屈がわかれば思いどおりになると考えるから、人は理由を探そうとする。だけど、人生の取るに足らない、悲しい。“なぜ”を拾い集めたって、何も変わらない。なんならわたしがあなたに代わって、そんな疑問を追っ払ってあげましょうか。あなたに依存傾向があるのは、遺伝子学上に問題があるから。
苦痛が一気に押し寄せた。どうしたらいいかわからなくて、とことんまで落ちこんだわ。
医者たちはわたしに抗うつ剤をくれた。苦痛から逃げるために。
さて、人は苦痛に直面したら四つの行動を取る。この話は覚えている?」
「まず、その苦痛を解決しようとする。苦痛から逃げようとする。苦痛を受け入れようとするか、自分の命を絶とうとする」わたしは答えた。セッションの一回目から頭に残ったフレーズだったので、するりと□をついて出た。
「では、この四つの行動のうち、学びと自分を変えることにつながるものは?」
「苦痛を解決しようとし、苦痛を受け入れることが必要です」今にして思えば簡単なことじゃないか。
「その理由は?」
「残りのふたつ、逃避と自ら命を絶つという行為はどちらも苦痛から逃げていて、これでは学びは得られないからです」と、ベティの考え方にならって答えた。
「それじゃ、ここ数年の自分を顧みて、あなたは何をやってきた?」
「逃げてました」
「あの銃を買ったときは?」
「自分の命を絶とうと思いました」
「よろしい。もうあなたに抗うつ薬を処方する必要はなくなったわね、フイン。あなたもほかの大勢の人たちのように、自分の苦痛を解決出来るようになったから。あなたは自分を苦痛から解放する手段をみつけたのよ。これまでのあなたは酒に逃げ、あげく、銃を手に入れて自分の命を絶とうとした。苦痛を避けるため過食に走る人もいれぱ、セツクスや宗教や金や、そういつた愚かしいことに手を出す人もいる。だけど逃避的行動って、その本質も、結果も、みんな同じ。苦痛から逃れるために同じことを繰り返し、そうしている間は現状に留まったまま、学ぶこともなく、苦痛の原因を究明するという、本質的なこともできない。
だけどそれって、別に意外なことでもないの。みんなこんなもんだろうってわかっているから。不快なことから逃げようとして道を誤る人は、その行為に溺れれば溺れるほど苦痛が増すから、さらに苦痛から逃げようとしてやめられなくなる。自分がその域に達したと自覚している人もいる。では、わたしたちはなぜ、こんな話をしているのかしら?」
「敷地まで駆けこんで本懐を遂げたら----いいか、わたしはあいつらを全員殺すつもりだった。今もそうだ----エミリーはひとりぼっちになってしまう。悲しい思い出とともに生きていかなければならない。それは今も変わらないんだ、フィン。きみは物事に白黒をつけるのが第一と主張し、理屈では、たしかにそうだ。でも、自分の大事な人たちはどうなる? 自分を必要としている人たちはどうなる? きみだつてそうだ。きみとパトリシアの仲をだれも知らないと思ってるんじゃないだろうね? あの子はきみに惚れている、フィン。自分が招いた結末を背負って生きていくのは、結局、自分を愛してくれる人たちなんだよ。やはりきみは、屈するのは臆病だと思うのかい? せめて一年は落ち着いて考えなさい。それでもやるというのならやればいい」
『 死んだレモン/フィン・ベル/安達眞弓訳/創元推理文庫 』
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