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あんた、警察で相当浮いてるだろ 犯罪者上

2021年05月17日 | もう一冊読んでみた
犯罪者 上/太田愛    2021.5.17    

『犯罪者 上』 を、読みました。

登場人物の誰も彼もが、ページのなかから生き生きと立ち上がってくるような気がしましす。
そして、その人生は力強く躍動しています。

修司、相馬、鑓水、真崎、杉田、中迫の現在と過去の生き様が語られ、その話のひとつひとつが興味深くおもしろい。



定年間近の平刑事、平山の描写です。
平山が登場するのは、この一場面だけですが、極めて興味深く描かれています。

 静まり返った廊下に、階下からゆっくりと階段を上がってくる靴音か聞こえた。この時刻に署に舞い戻ってくる人間はひとりしかいない。案の定、平山庄治がカップ酒の入ったコンビニ袋を提げて現れた。
 平山は仮眠室に勝手に寝泊まりするのを黙認されている署内で唯一の男だ。ヒラ刑事のまま定年まであと一年という平山は、本来なら中堅、若手の刑事たちからそれなりに一目置かれる老刑事であってしかるべきなのだが、現実には誰からも距離を置かれる鼻つまみ者だった。不法滞在者と見れば脅しあげて稼ぎを巻き上げ、手帳をちらつかせてタダで抱ける女は総ざらいにし、営業許可の曖昧な店を狙っては払いを踏み倒す。万年ヒラでこき使われる腹いせに、刑事の旨みは骨までしゃぶり尽くすと決めて生きてきたような男だ。
 平山が飛ばされないのは幹部の弱みを握っているからだという噂もある。相馬は、署内では平山と同じく四面楚歌だったが、「弾かれ者同士うまくやろうや」と目配せする平山とうまくやるつもりは毛頭なかった。


修司と相馬の人物像が良く出ています。

 「すまない」
 相馬は両手を突いて頭を垂れていた。修司は突如、体が震えるほど腹が立った。なぜ、相馬が謝罪するのか。あのお巡り本人が微塵も悔いていないことを、どうして相馬に謝罪などできるのか。こいつは一体、何様のつもりなのか。
 だが、警官の一人として恥と憤りに身を強張らせて頭を垂れている相馬を見つめるうち、修司の激しい怒りは徐々に色腿せるように力を失っていった。それは相馬の愚直なまでの誠実に打たれたからではなかった。むしろ修司自身が自分の在りように気づいた結果だった。修司は、相馬の謝罪をなじり、拒絶するような潔癖は自分にはないと思った。そんな幼い潔癖など、とうの昔、ランドセルより早くに捨ててきたのだ。
 長い沈黙の後、修司は少し疲れたように苦笑した。
「……あんた、警察で相当浮いてるだろ」
 それ以上だ、と相馬は思った。俺は浮き上がった上にはずれている。


杉田は、人の良い愛すべき人物なのですが、..........

 「ほんとはな、どっちでもいいんだ、工場」
 杉田はぼんやりと呟いた。
 「あそこで生まれて育って、十年も働いてたのにな。あの男に会って初めて気がついたんだ。俺、本当の本当は工場、どっちでもいいんだって。自分でもなんか意外で、ビックリしちまった」
 杉田はため息をついて足元に煙草を捨てた。吸殻は踏み消すまでもなく、夜露の降りた地面でゆっくりと消えていった。
 「……けど、それじゃ多分だめなんだよなあ。なんか、どうしてもこれだけはっていう大事なもんがなきゃ。そうじゃないと、きっと生きてる甲斐がないんだろうな。……省吾はな、昔からいつもそういうものを持ってたよ。だから、俺も工場を取り戻した方がいいような気がしたんだ。ほかに思いつかないしな」
 こいつはバンクを走れなくなった時に、死んじまった方が幸せだったんだと修司は思った。


「通り魔殺人」被害者5人は何故、深大寺南口広場に呼び出されたのか。
この謎は。 果たして、5人にはなにか共通点があるのか。 推理するのが楽しかった。

 「殺しの動機は必ず被害者の行為の中にある。被害者がかつてした事、今している事、これからしようとしている事、そのどこかに殺したい側の動機か隠れている。十日以内に五人もの人間を殺さなきゃならないってのは、相当な理由があるはずだ。いずれ動機も割れる。ところが、通り魔事件ならそうはならない。通り魔事件で一番好都合なのは、誰も殺しの動機を考えないことだ。通り魔ってのは、まさに『たまたまそこにいたから殺した』って犯罪だからな。通常の殺人事件の捜査と違って被害者の生活は調べられない。これなら殺しの動機は隠し通せる」

ミステリで、このような素敵な発言に出会えるとは思いも寄りませんでした。

 山科早希子……。
 それは中迫が決して忘れる事のできない名前だった。西日の差し込む部屋で我が子を膝に乗せてあやしていた早季子の姿か鮮明に蘇った。山科はリーフレットに全国連絡会発足に臨んでの文章を寄せていた。
 『生まれて間もない我が子が原因も解らぬこの病を発病した時、私は自分を責める以外、なにひとつ思いつかなかった。自分に遺伝的な問題かあったのではないか、妊娠中の注意が足りなかったのではないか、育児のどこかで取り返しのつかない何かを見過ごしていたのではないか。子の病の苦しみを目の前にして代わってやれないつらさ、申し訳なさ、完治の希望のない未来を思い、いっそこの子を連れて死のうと思ったこともある。だが、それでも子供は、初めて軒先に来たツバメに目を瞠る。初めて海を見て腹の底から歓声を上げる。親がまっさきにこの命の喜びを守らずに、誰に守れるだろう。
 メルトフェイス症候群の子供たちはあと数年で学童期に達する。学校で、地域で、奇異の目に晒される事もあるだろう。普通の幼い子供たちが、自分たちと異なるものに奇異の目を向けるのは当たり前の事だ。そんな時、私は病を持つ子の傍らに立ち、あなたは何も恥じる事はないのだと伝えたい。そして普通の子供たちに、親たちに、この子たちには何の罪もないのだと柔らかな言葉で伝えたい。私は、このような病を得なかった子の親たちにも、我が子を慈しむ私たちの思いは通じると信じる。その親たちが、それぞれの言葉で、子に話をしてくれると信じる。
 日々の中で苦しい時、つらい時、私たちは自分たち親子だけか世界から切り離されてしまったように感じる。それは何にも増して耐え難いことだ。だが、幼いこの子らもいずれは私達から離れ、自分の足で生きていかねばならない時か来る。その時までに、私たちは、この子らの心の中にしっかりとした柱を立ててやらねばならない。泣いている暇はない。私は、この連絡会が病状の具体的な情報交換の場となると共に、私たち親が、子供らを社会に送り出すまでの心の拠り所となればと願っている。』


ミステリを超えて、太田さんが飛ばした言葉、心から訴えたかったことが、ここに表現されています。 涙なしには、読み続けられない文章ですが、力強い。
太田さんのすばらしい資質と姿勢を強く感じました。


    久米宏 ラジオなんですけど

国が危ない方向に舵を切る兆しは「報道」と「教育」に顕れる / 脚本家・太田愛さん


    『 犯罪者(上・下)/太田愛/角川書店 』



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