■ペッパーズ・ゴースト/伊坂幸太郎 2022.2.28
伊坂幸太郎の 『 ペッパーズ・ゴースト 』 を、読みました。
<先行上映>は、父が考案した表現だった。「まだ誰も、本人すら見ていない場面を、先行的に観ることができるのだ」と。
「俺も自分の父親から、この体質について教えてもらったんだ」
先行上映は、飛沫感染で起こる。
「ネコジゴって聞いたことがない?」 アメショーはそう言うと、猫を虐待する実況を繰り返した<猫ゴロシ>のことや、それを嬉々として視聴し、扇動しつつ指示を出していた者たちのことを説明した。
ロシアンブルとアメショーの二人はネコジゴハンターの仲間。
ニーチェの「ツァラトゥストラ」の考え方。
この世界の嘆きは深い、
喜びのほうが、深い悩みより深い。
嘆きが言う。「消えろ!」と。
だがすべての喜びが永遠をほしがっている。
人質立てこもり事件で、愛する家族を皆亡くし、天涯孤独になったら人はどのように生きのか。
ほんの短い時間、近未来を見通す事の出来る能力を授かった中学校教師檀千郷の巻き込まれた事件と彼の苦悩とは。
ネコジゴハンターの二人の仲間、何事も悲観的なロシアンブルと、これまた楽観的なアメショーの活劇とカンフーが得意の成実彪子の活躍が面白い。
<先行上映>補足
父のことを思い出す。どうにか相手に伝えてあげたいと思ってしまうが、どうにもならないことはどうにもならない。彼はそう言っていた。役立つのは難しい、と。
どうにもならないことはどうにもならない。念じるようにそう思った。いくら、先のことが見えるからと言って、できないことはできない。
母は大らかな性格で、物事に動じることが少ない。「悩んでも仕方がないからね。その時、やれることをやるしかないでしょ」とよく言った。「人事を尽くして天命を待つ」「くよくよしても天気は変わらない」を座右の銘にしている。
「その能力? 体質を使って得はできないのかな。宝くじが当たる、とか、株で儲けるとか」
父は少し黙る。今から思えばそれは、「得をするどころかつらいことばかりだ」と深刻な思いが溢れるのをぐっとこらえたのかもしれない。
「相手が大変な目に遭う分かっていても、助けることはもちろん、助言すらできないことばかりだ」
ああ、なるほどね、と私は深く考えることもなく答えた。これはまあ、そうだろうね、と。
「これが意外にきついんだ」父はつらそうに顔を歪めながらも、少し笑った。「罪悪感というほどではないが、無力感の積み重ねと言うのかな、とにかく、自分では気にしないようにしていたつもりでも、精神的にまいってきて」
「そんなにつらいものなの?」
「脅すようで悪いけれどな、一つ一つは大したことではないんだ。別に、世紀の大事件を止められなかった、とかではないんだから。ただそれでも、『分かっていたのにどうにもできなかった』という事実は、脳に負荷を与えるんだろう。気づいた時には、気持ちが塞いでいたり、よく眠れない、なんてことがある。だから俺から言えるのは、できるだけ、気にするな、ということだけなんだ」
「よっぽど、その人の先行上映は見たくない、という場合はマスクをしたほうがいいかもしれないけれどな。とにかく観てしまうのは仕方がないことで、それをいちいち気にかけていたら、まさに神経がもたない。なるべく忘れたほうがいい。重要なのはそれだよ」
「分かった。忘れろ、という教えを覚えておく」
「そうだな」と父はくしゃと表情を崩し、うなずいた。
「父さんからは、気にしてはいけないと言われていた。未来のことが見えると、意外と精神的にまいってしまうからと」
<先行上映>の経験を積んだ今は、父の言いたかったことがよく理解できた。良くない<先行上映>を観た際、「気にしてはいけない」「忘れればいい」と自らに言い聞かせても、心のなかにひっかかりは残り、それが続くと気持ちが塞ぐ。
「ツァラトゥストラ」の考え方の補足
わたしはまさに、羽田野さんが教えてくれた「ツァラトゥストラ」のことを思い出していました。「人生で魂が震えるほどの幸福があったなら、それだけで、そのために永遠の人生が必要だったんだと感じることができる」「これが、生きるってことだったのか。よし、もう一度!」といった言葉が頭を何度も過っていきます。
『 ペッパーズ・ゴースト/伊坂幸太郎/朝日新聞出版 』
伊坂幸太郎の 『 ペッパーズ・ゴースト 』 を、読みました。
<先行上映>は、父が考案した表現だった。「まだ誰も、本人すら見ていない場面を、先行的に観ることができるのだ」と。
「俺も自分の父親から、この体質について教えてもらったんだ」
先行上映は、飛沫感染で起こる。
「ネコジゴって聞いたことがない?」 アメショーはそう言うと、猫を虐待する実況を繰り返した<猫ゴロシ>のことや、それを嬉々として視聴し、扇動しつつ指示を出していた者たちのことを説明した。
ロシアンブルとアメショーの二人はネコジゴハンターの仲間。
ニーチェの「ツァラトゥストラ」の考え方。
この世界の嘆きは深い、
喜びのほうが、深い悩みより深い。
嘆きが言う。「消えろ!」と。
だがすべての喜びが永遠をほしがっている。
人質立てこもり事件で、愛する家族を皆亡くし、天涯孤独になったら人はどのように生きのか。
ほんの短い時間、近未来を見通す事の出来る能力を授かった中学校教師檀千郷の巻き込まれた事件と彼の苦悩とは。
ネコジゴハンターの二人の仲間、何事も悲観的なロシアンブルと、これまた楽観的なアメショーの活劇とカンフーが得意の成実彪子の活躍が面白い。
<先行上映>補足
父のことを思い出す。どうにか相手に伝えてあげたいと思ってしまうが、どうにもならないことはどうにもならない。彼はそう言っていた。役立つのは難しい、と。
どうにもならないことはどうにもならない。念じるようにそう思った。いくら、先のことが見えるからと言って、できないことはできない。
母は大らかな性格で、物事に動じることが少ない。「悩んでも仕方がないからね。その時、やれることをやるしかないでしょ」とよく言った。「人事を尽くして天命を待つ」「くよくよしても天気は変わらない」を座右の銘にしている。
「その能力? 体質を使って得はできないのかな。宝くじが当たる、とか、株で儲けるとか」
父は少し黙る。今から思えばそれは、「得をするどころかつらいことばかりだ」と深刻な思いが溢れるのをぐっとこらえたのかもしれない。
「相手が大変な目に遭う分かっていても、助けることはもちろん、助言すらできないことばかりだ」
ああ、なるほどね、と私は深く考えることもなく答えた。これはまあ、そうだろうね、と。
「これが意外にきついんだ」父はつらそうに顔を歪めながらも、少し笑った。「罪悪感というほどではないが、無力感の積み重ねと言うのかな、とにかく、自分では気にしないようにしていたつもりでも、精神的にまいってきて」
「そんなにつらいものなの?」
「脅すようで悪いけれどな、一つ一つは大したことではないんだ。別に、世紀の大事件を止められなかった、とかではないんだから。ただそれでも、『分かっていたのにどうにもできなかった』という事実は、脳に負荷を与えるんだろう。気づいた時には、気持ちが塞いでいたり、よく眠れない、なんてことがある。だから俺から言えるのは、できるだけ、気にするな、ということだけなんだ」
「よっぽど、その人の先行上映は見たくない、という場合はマスクをしたほうがいいかもしれないけれどな。とにかく観てしまうのは仕方がないことで、それをいちいち気にかけていたら、まさに神経がもたない。なるべく忘れたほうがいい。重要なのはそれだよ」
「分かった。忘れろ、という教えを覚えておく」
「そうだな」と父はくしゃと表情を崩し、うなずいた。
「父さんからは、気にしてはいけないと言われていた。未来のことが見えると、意外と精神的にまいってしまうからと」
<先行上映>の経験を積んだ今は、父の言いたかったことがよく理解できた。良くない<先行上映>を観た際、「気にしてはいけない」「忘れればいい」と自らに言い聞かせても、心のなかにひっかかりは残り、それが続くと気持ちが塞ぐ。
「ツァラトゥストラ」の考え方の補足
わたしはまさに、羽田野さんが教えてくれた「ツァラトゥストラ」のことを思い出していました。「人生で魂が震えるほどの幸福があったなら、それだけで、そのために永遠の人生が必要だったんだと感じることができる」「これが、生きるってことだったのか。よし、もう一度!」といった言葉が頭を何度も過っていきます。
『 ペッパーズ・ゴースト/伊坂幸太郎/朝日新聞出版 』