保津川下りの船頭さん

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虞美人草の川を流れる浮舟

2010-06-01 23:42:52 | 船頭
虞美人草(ぐびじんそう)。

英語では「ポピー」、日本名では「ケシ」とも呼ばれているこの花。

根から細くて長い茎を伸ばし、一本にひとつの花しか咲かない一輪草。
茎の部分には葉っぱがないのが特長で、赤桃色した鮮やかな花です。

その虞美人草が、今、JR亀岡駅と保津川下り乗船場を結ぶロード横の田園に咲いて、
駅から徒歩で、川下りの乗船場へ向かう人たちの目を楽しませてくれています。

でもなぜ、JR亀岡駅前に虞美人草?・・・この虞美人草と保津川の関連についてすぐにピン!
と気が付かれた方は相当の保津川下り通です。

そう、かの文豪・夏目漱石の初期作として有名な小説のタイトルこそが「虞美人草」なのです。

そして、漱石は保津川下りを訪れた際、その体験を小説において見事な描写で表現しています。
その一文を少し紹介します。

『「当るぜ」と宗近君が腰を浮かした時、紫の大岩は、はやくも船頭の黒い頭を圧して突っ立た。
船頭は「うん」と舳に気合を入れた。
舟は砕けるほどの勢いに、波をの呑む岩の太腹にもぐ潜り込む。横たえた竿は取り直されて、
肩より高く両の手があ揚がると共に舟はぐうと廻った。
このけだものめ獣奴と突き離す竿の先から、岩のすそ裾を尺も余さず斜めに滑って舟は向うへ落ち出した。
「どうしても夢窓国師より上等だ」と宗近君は落ちながら云う・・・・・(夏目漱石 虞美人草から)』

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鮮やかで美しいケシの花に囲まれ、まるで`花の川を流れる‘浮舟’のようです。

保津川下りと縁深い花、虞美人草。
その名前の由来は、中国の有名なお話「項羽と劉邦」から名づけられたといいます。

秦帝滅亡期の古代中国。項羽と劉邦という二大英雄が活躍した時代。
その項羽がこよなく愛した中国歴史上絶世の美女、虞美人にちなんだ名前です。

縁起によると、項羽は愛する虞妃ともに劉邦の大軍にまわりを包囲されました。

最後を覚悟した項羽は虞妃と別れの宴を開いてから出撃、虞妃も自刃して殉じました。
後日、彼女のお墓にヒナゲシの美しい花が咲いていたことから
人々はこの花を「虞美人草(ぐびじんそう)」と呼んだ。

ちなみに包囲された時、相手軍から聞えてきた歌が項羽の故郷・楚の歌であったことから
「すでに故郷の者まで敵になったのか」と自ら最後を覚悟したそうです。
このことを後に「四面楚歌」といい、孤立無援になった場合のことわざとなりました。

夏目漱石が自らの小説に「虞美人草」と名づけたのは、新しい小説のタイトル名を
決めあぐねていた時に、街角の花屋さんで「虞美人草」を見て「いい名前じゃん、これにしよう!」
ということで名づけたらしく、項羽と劉邦の悲話とは全く関係ないとのこと。
この小説により保津川下りの知名度は一気に上がったといわれています。