保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

社会にひと同士の‘絆’を築くには?

2010-06-08 01:12:23 | 船頭の目・・・雑感・雑記
先ほど新聞を見て衝撃の記事を読んだ。

両親が中学生の息子に暴力を加え11日間、トイレに釘を刺し監禁していたという内容だった。

子どもの顔は骨折し、傷ついた足は化膿して腐り始めていたとか。
僅かの窓の割れ目から助けを求め、救出されたというものだった・・・

学校はどうしていたかというと「両親が『息子はいじめれているので、しばらく休ませる』と言ってきたので…」
と全く事態を把握していない様子だった。

家庭も学校も、そして地域社会もすべての絆といえるものが希薄になってきている。

もう、使い古された言葉だが「最近、本当に世の中も人間も少しおかしくなってきている」か?

親が子どもをモノを壊すように殺し、子が親に闇討ちを食らわす。
また、秋葉原の事件の様に「誰でもいいから殺したい」という無差別殺人が頻繁に起こる。

この様な現象は日本だけではない。世界各地で起こっている。
アメリカでは学校で銃を乱射して、何の恨みもない生徒や先生を撃ち殺す。

発展途上国では臓器移植のために子どもをさらって来て売ったり、年頃の女の子をさらって来て
組織に売り飛ばす集団がいる。

世界で悲劇は日常茶飯事の様に起こっている。

機能主義や物質至上主義の経済原理が進む中、欲に目がくらんだ精神に人は振り回されている。

家庭も学校も社会も例外なく、機能主義と合理主義が優先し思考や行動は経済原理により
動かされる現実の中ではモラルや道徳など色あせて感じられる。
「倫理学」などという学問的理論では、この現実に明確な答えなど導き出せないほど
社会は、人は、荒廃した寒々しい心の孤独感や疎外感に覆われている。

人同士が今の社会の中で‘絆’を築くには、どうすればいいのだろうか?

この問題は、制度や政策を作って解決できるほど、単純ではないだろう。

私にも明確な答えがある訳ではないが、この問題を解決する鍵は、
どれだけ自らを捨てて、人の為に尽くすことができるか?
一人ひとりの胸から胸への手渡しの活動が必要であること、、
それだけは確かなことだと感じる。

マザーテレサや山本利雄師などの幾多先人が歩いた道を、自らも歩くという、
「銀の龍の背に乗る」そんな勇気をまだ持てずにいる私の暗い闇はまだ、明けることはない。