保津川下りの船頭さん

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桂川水運・裏ものがたり

2019-04-19 09:50:46 | 桂川(大堰川・保津川)裏ものがたり
明治34年(1901)の1月、京都千本三条の交差点南側の家に
「千本組」という金看板が掲げられた。

正業は「材木運送業兼人夫出し業」つまり桂川(保津川)の筏流しと運搬業務、それに関わる人夫手配業だ。

以来、約40年に渡り京都の運送業や土木業界にその名を刻み、確固たる地位を築いた千本組。

千本組は博徒の一家となり季節労働者や日雇い労働者などを束ねる。つまりはかたぎやくざだ。

かたぎやくざは町内の治安を守り、消防団も兼ね、祭も仕切っていた。
全盛期には祇園祭の御輿を3基も任されていた。

この千本組の組長・笹井末三郎。

この末三郎率いる千本組が後に日本映画の黎明期に重要な役割を果たすことになる。



江代々の檀家であった嵯峨の法界寺が廃寺になっているので、詳細な家系図等は
残ってないだ、江戸時代・文化・文政の頃、すでに嵯峨で手広く材木運搬業を営んでいたといわれる。
主に車屋という屋号を持ち、格式ある業者だったようだ、

この材木業の千本組と笹井末三郎の桂川水運との関係を追っていくと、意外なつながりが出て来る。

嵯峨嵐山と千本三条。明治の激動の時代。桂川水運からみえる裏京都の歴史を浮き彫りしてみたい。