本年3月 東京在 2男が、盛岡出身の才媛をノンセレモニーで娶りたいと、で 婚姻届を出す日 親同士の対面の席を設けるとのことで 上京する運びとなったのですが、その会合は午後1時から。せっかく行くなら 朝一の新幹線とし、午前中 義理の伯父が 30で眠っている 未だ行ったことのない靖国神社にお参りし、ひとまずの恰好をつけたらどうかと思い立ったのであります。
お伊勢さんにしても本社殿は小さなオヤシロでありますが、国家のため犠牲となった非常に多くの御霊(みたま)をお祀りしている神社としたら ちょっと簡素過ぎやしないかというのが 第一の感じた印象です。これだけ大勢の方が祀られているんですということが直感的に実感できる演出や、遺族ならゆっくり休むことのできる休憩室とかの配慮も、必要なのではないかと思われました。
連れ立っての参拝拝殿後、遊就館の展示物を一通り眺め 売店へ。いろいろ見て回っていますと「ウヮー、こんなとこへあったわー!」と、一気に天にも上る心地が体中を駆け巡りました。「合いたい、もう一度合いたい」と 60年ほども想い続けてきた、ローソクの火に熱せられたブリキ板が膨張して ポンと弾けることで進んでゆくポンポン船と、こんなとこで遭遇するなんて まさに夢のようでありました。

「よくぞ 参ってくれましたね」と、ご褒美を下さったのではないかと思っています。老生の終生のタカラモノ。当庵の本棚のイチバン目に付くとこへ置き、毎朝 眺めています。この世とオサラバしそうな日が近いな と読めたとき、動かせれる動作のできるスレシホールドレベル近くの日に この世の名残に 最期のオタノシミに 動かせれたらいいな と思っています。ただ「こんなふうに都合よぉゆくかなぁ」との思いが 掠(かす)めることはあります。


直木賞作家 車谷長吉さん、本名 生島嘉一さんが 5月17日 亡くなられました。お生まれは、県と方言は違うものの それ以外はあまり違わない 60Kmほどしか離れてない まぁ同じような文化圏で、かつ オナイドシ。これが決め手となり、俄然 読んでみたくなりました。
スゴイ人だと判りました。天守閣が作品とするならば、それが建つ処の石垣、作家としてのファンダメンタルが そんじょそこらの作家さんとは桁が違うのです。その作品は 私小説と言われますが、氏の場合は だとしましても 次元がまるで違うのです。氏のイキザマ・人生そのものが、生半可なフィクションより よっぽどスゴイのですから。氏は タテマエ・キレイゴト・カザリゴトなんぞとは 最も遠いところに棲んでおられます。いつも本音で生きておられるようです。必要最小限のものしか持たず、余った分は全て 恵まれない人たちのもとへ届けておられたようですが、そのことを吹聴したりはされません。生まれつきの 治療が非常に難しい強い蓄膿症のような 病気を持っておられ、鼻で呼吸したことはないそうで、齢を召されてから「早う死にたい、早う死にたい」と言っておられたようです。書きたいものは書き尽くしてしまわれたのでしょうか。
朝日新聞が 一時期 この方の人生相談コーナーを設けておられたようで、それを収録した文庫本も読みました。吐き気を催すくらい嫌いな政治的論調の新聞社でありますが、こういった面では「お主、やってくれるでねぇか」と 一目置かざるを得ない感じです。一般的に 文化・芸術面では やっぱ 秀でてらっしゃるんですかねぇ。

この「赤目四十八瀧心中未遂」、直木賞受賞作品だけあって、いや その中でも突出した素晴らしい作品だと思います。オイラなんぞ とても体験できないことが書かれているはずなのですが、自分が若いとき 実際に体験したような そんな感覚に囚われてしまうのです。思い切ったことは何にも ようせん チマチマしたオイラですが、氏と同じ血が流れているのでしょうか。否否、これこそが 氏の真骨頂 卓越した芸術性 の為せる技なのかも。何はともあれ ワガコトのような この方の作品と出合えたましたことは、本年の大きなトピックスであると言えます。

ここんとこ TVのイチバンの楽しみは、毎日曜日 NHK-Eテレで Pm9時から始まる この「クラシック音楽館」であります。但し この時間からだと 眠くて眠くてたまりませんので 録画しとくのでありますが。で、演奏部分のみの CDを作り、後でゆっくり堪能するのであります。こんなふうに。

CD一枚の録音時間は Max 79分50秒、これを越える楽曲は 2枚にまたがり ツライことに。単一で、また組合わせて、ほんの数分越える場合が まぁ何と多いことか。ダブったとしても、何回も何回も聴きたい「椿姫」のような楽曲ばかりだとノープロブレムなんですが。初めての曲でも 繰り返し 聞けば聞くほど馴染んでき、終いにはドボルザークの 8番みたいに「素晴らしい、9番よりいいかもしれない!」と思ったりすることにもなるのですが、なかには そうは問屋が卸さないモノも かなりあることはあります。
クラシックに親しめば親しむほど、演奏時間が長くないと物足りなく感じるようになるから不思議でして、それだけのために その時間が持てる人は、限られた人生持ち時間を考えたとき、モノスゴく贅沢な人なのではないかと思うようになりました。老生の場合 朝4~5時に起き、まず こうして作った クラシックCD を回し、お茶やコーヒーを飲み飲み 新聞も読みながら ここんとこはたまに本(現時点 前田慶次郎さんを扱った隆慶一郎さんの「一夢庵風流記」)も読みながら、数時間 過ごしておるのですが。
こんなふうに クラシックにも入れ込むようになるとは 吾ながら不思議です。死んでいたら こんな楽しみ、知り得なかったのですから、生きてりゃこそ 長生きしてりゃこそ体験できる世界でしょうか。オイラのような凡人は、気付きに ずいぶん時間が掛かるようです。ひょっとして 時間軸は一致しているように思われますので、しょっちゅう家族で 盛岡からクラシックを聴きに上京されてるという 2男の嫁さんの実家から シゲキを受けてのことでしょうか。
以上、まぁ どうでもいいことを クドクドと・・・失礼申し上げました。最後までお読み下さいましてありがとうございます。今回で本年の投稿はオヒラキとさせていだきます。内容も回数も貧弱でありますに 毎度覗いて下さりまして、ほんとうに感謝いたしております。いよいよ 十日を切りました。どうか 佳いお年をお迎え下さい。ありがとうございました。
お伊勢さんにしても本社殿は小さなオヤシロでありますが、国家のため犠牲となった非常に多くの御霊(みたま)をお祀りしている神社としたら ちょっと簡素過ぎやしないかというのが 第一の感じた印象です。これだけ大勢の方が祀られているんですということが直感的に実感できる演出や、遺族ならゆっくり休むことのできる休憩室とかの配慮も、必要なのではないかと思われました。
連れ立っての参拝拝殿後、遊就館の展示物を一通り眺め 売店へ。いろいろ見て回っていますと「ウヮー、こんなとこへあったわー!」と、一気に天にも上る心地が体中を駆け巡りました。「合いたい、もう一度合いたい」と 60年ほども想い続けてきた、ローソクの火に熱せられたブリキ板が膨張して ポンと弾けることで進んでゆくポンポン船と、こんなとこで遭遇するなんて まさに夢のようでありました。

「よくぞ 参ってくれましたね」と、ご褒美を下さったのではないかと思っています。老生の終生のタカラモノ。当庵の本棚のイチバン目に付くとこへ置き、毎朝 眺めています。この世とオサラバしそうな日が近いな と読めたとき、動かせれる動作のできるスレシホールドレベル近くの日に この世の名残に 最期のオタノシミに 動かせれたらいいな と思っています。ただ「こんなふうに都合よぉゆくかなぁ」との思いが 掠(かす)めることはあります。


直木賞作家 車谷長吉さん、本名 生島嘉一さんが 5月17日 亡くなられました。お生まれは、県と方言は違うものの それ以外はあまり違わない 60Kmほどしか離れてない まぁ同じような文化圏で、かつ オナイドシ。これが決め手となり、俄然 読んでみたくなりました。
スゴイ人だと判りました。天守閣が作品とするならば、それが建つ処の石垣、作家としてのファンダメンタルが そんじょそこらの作家さんとは桁が違うのです。その作品は 私小説と言われますが、氏の場合は だとしましても 次元がまるで違うのです。氏のイキザマ・人生そのものが、生半可なフィクションより よっぽどスゴイのですから。氏は タテマエ・キレイゴト・カザリゴトなんぞとは 最も遠いところに棲んでおられます。いつも本音で生きておられるようです。必要最小限のものしか持たず、余った分は全て 恵まれない人たちのもとへ届けておられたようですが、そのことを吹聴したりはされません。生まれつきの 治療が非常に難しい強い蓄膿症のような 病気を持っておられ、鼻で呼吸したことはないそうで、齢を召されてから「早う死にたい、早う死にたい」と言っておられたようです。書きたいものは書き尽くしてしまわれたのでしょうか。
朝日新聞が 一時期 この方の人生相談コーナーを設けておられたようで、それを収録した文庫本も読みました。吐き気を催すくらい嫌いな政治的論調の新聞社でありますが、こういった面では「お主、やってくれるでねぇか」と 一目置かざるを得ない感じです。一般的に 文化・芸術面では やっぱ 秀でてらっしゃるんですかねぇ。

この「赤目四十八瀧心中未遂」、直木賞受賞作品だけあって、いや その中でも突出した素晴らしい作品だと思います。オイラなんぞ とても体験できないことが書かれているはずなのですが、自分が若いとき 実際に体験したような そんな感覚に囚われてしまうのです。思い切ったことは何にも ようせん チマチマしたオイラですが、氏と同じ血が流れているのでしょうか。否否、これこそが 氏の真骨頂 卓越した芸術性 の為せる技なのかも。何はともあれ ワガコトのような この方の作品と出合えたましたことは、本年の大きなトピックスであると言えます。

ここんとこ TVのイチバンの楽しみは、毎日曜日 NHK-Eテレで Pm9時から始まる この「クラシック音楽館」であります。但し この時間からだと 眠くて眠くてたまりませんので 録画しとくのでありますが。で、演奏部分のみの CDを作り、後でゆっくり堪能するのであります。こんなふうに。


CD一枚の録音時間は Max 79分50秒、これを越える楽曲は 2枚にまたがり ツライことに。単一で、また組合わせて、ほんの数分越える場合が まぁ何と多いことか。ダブったとしても、何回も何回も聴きたい「椿姫」のような楽曲ばかりだとノープロブレムなんですが。初めての曲でも 繰り返し 聞けば聞くほど馴染んでき、終いにはドボルザークの 8番みたいに「素晴らしい、9番よりいいかもしれない!」と思ったりすることにもなるのですが、なかには そうは問屋が卸さないモノも かなりあることはあります。
クラシックに親しめば親しむほど、演奏時間が長くないと物足りなく感じるようになるから不思議でして、それだけのために その時間が持てる人は、限られた人生持ち時間を考えたとき、モノスゴく贅沢な人なのではないかと思うようになりました。老生の場合 朝4~5時に起き、まず こうして作った クラシックCD を回し、お茶やコーヒーを飲み飲み 新聞も読みながら ここんとこはたまに本(現時点 前田慶次郎さんを扱った隆慶一郎さんの「一夢庵風流記」)も読みながら、数時間 過ごしておるのですが。
こんなふうに クラシックにも入れ込むようになるとは 吾ながら不思議です。死んでいたら こんな楽しみ、知り得なかったのですから、生きてりゃこそ 長生きしてりゃこそ体験できる世界でしょうか。オイラのような凡人は、気付きに ずいぶん時間が掛かるようです。ひょっとして 時間軸は一致しているように思われますので、しょっちゅう家族で 盛岡からクラシックを聴きに上京されてるという 2男の嫁さんの実家から シゲキを受けてのことでしょうか。
以上、まぁ どうでもいいことを クドクドと・・・失礼申し上げました。最後までお読み下さいましてありがとうございます。今回で本年の投稿はオヒラキとさせていだきます。内容も回数も貧弱でありますに 毎度覗いて下さりまして、ほんとうに感謝いたしております。いよいよ 十日を切りました。どうか 佳いお年をお迎え下さい。ありがとうございました。
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