↑ は R1.5.21 産経新聞に掲載、生物学者 本川達雄 東工大名誉教授氏 へのインタビュー記事です。
人間 50 過ぎれば、その後は、本来 次世代の人が使うはずの 莫大なエネルギーや食料をぶんどって生き存えている、謂わば 人工的に生み出された特別な 贅沢な時間であるという認識が要るのではないかと、
だから 次世代の役に立つ 生き方をしなければ、生きる許可証は得られないと考えるべきではないかと、そして 50 以降は 保証期間が過ぎてるのだから、健康でないのが 当たり前と考えなさい との由。
オイラは、本川先生の仰る通りだと痛感してます。めっちゃ高額なリウマチ治療薬の処方なしでは、寝たきり状態となるは必定の わが身を鑑みますと・・・・。
それにしても オイラは、まず 次世代を生み出すという大前提が、あまりに脇に追いやられてるように思えてならないです。自分を産み 育ててもらった それと同じことを、何故 返そうとしないのですか?、生き物としての循環を 何故 途絶えさせてしまうのすか? と問いたいです。
子育ては 正真正銘、個人が成しうる 最大の社会貢献であり、人生に於ける 最も 崇高 かつ 重要な 大事業なのであります。このような観点から、出生率の劇的回復を図るを第一優先に据えた施策の ダイナミックな運用が、今 何より肝要なのではないだろうか と思っています。
ところで 5.28 同新聞 には、88 歳となられた 宗教学者 山折哲雄さんの、断捨離 についての記事が出てました。
最後の段は割愛してますが、ついに親鸞さんの全集を手放し、残るは 賢治さんの全集のみになったと・・・。山折さんよか 14,5 歳若いオイラも、1 年ほど前からでしょうか、そろそろ 終活に取り掛からんといけんなぁ と思い始めてまして、
で 半年ぐらい前、ある決断をしてるのであります。それは 26歳のときから ちょこちょこ購入、6年前からは まぁ頻繁にと言うべきでしょうか アプローチしていた ヤフオク抹茶茶碗蒐集に、ケリを付けているのです。これで オシマイ と。
決断し易い状況にありました。ファイナルを飾るに相応しいモノが手に入り、満足感・達成感 が得られたからです。わが賢妻は信じてないですが、オイラは 名前や地位なんかに左右されることなく、実際に使ってみて本当にイイモノというモノを見定める 目 を持っていると自負してます。
で そのモノとは、直線距離で 17 Km ほどしか離れていない 謂わば 地元の窯場 ”虫明焼”の 昔の名人の手になる抹茶茶碗でして、しかも競ることなしに入手できました。どちらも 間違いなしの名品であると思います。
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香山さんの入札写真を見た途端、この道入さんの楽茶碗が浮かんでき、いっぺんに気に入ってます。なお 上の 香山さん・英山さんの解説は、事後に取り寄せた 今は絶版の 日本文教出版さん S48発行 岡山文庫 桂又三郎さん著『岡山の焼物』より頂いてます。
奈良国立博物館さんで開催中『藤田美術館展』での目玉である 国宝『曜変天目茶碗』を、観てきてます。分厚そうなガラスケースのなか ライトエミッティングダイオード白色光に曝されたその器は、思っていたよか小振りでしたが、スゴっ!!! の一言しか発せられない シロモノでありました。
京都・大徳寺龍光院 東京・静嘉堂文庫美術館 大阪・藤田美術館
< 追 伸 > R1.6.8 記
実は 抹茶茶碗蒐集ファイナルは、この格好のものは初の、萩焼 椋原佳俊さんの作品を加えた三本締めでした。やはり無競争でした。相当 水漏れしましたから、それでびっくりし 手放されたのでしょう。漏れ止め処理を施し、問題なく使用してます。
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ふと思いついたことがあります。”志野”という焼物、桃山時代にのみ 現れ、荒川豊蔵さんが復元されるまで、この世から姿を消してしまってたのですが、お茶文化は依然として隆盛を極めていたのに、何故 廃れてしまったのかということについてです。
それは、茶人が ”志野” を敬遠したからに 他ならないではのではないかと思うのです。豊蔵さんの"志野"は、本当に綺麗だと思います。うっとりします。でも、オイラには、使い込んだ 姿・形・様相 が 想像できないのです。"志野"は、使うものじゃなくて、飾っておくものではないのだろうかと。
萩焼は、”萩の七変化”と言われるように、使い込むことによる 器の移ろい を楽しむ文化があります。しかし ”志野”は、そうではないのではないかと、使えば 美しさを失ってしまうのではないかと。だから 茶人の好むところじゃない器になってしまったのではないかと。
オイラも 白い 赤い ねずみ色 それぞれの茶碗を持っていますが、ふんわりした 雪のような釉薬のお茶碗は、心なし そのように感じられます。
< 追 伸 > R2.4.27 記
虫明焼は、地元の大好きな焼物なので、ネットで ついつい手が・・・一楽さんと 香泉さんのお茶碗です。R2.8.6 追記⇒これでおしまい とはいかなくて、一樂さんと香山さん 泊舟さんが増えてます。
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...... 本当に、もうおしまいにしなければ・・・
上の図録に 虫明焼は『日本一清楚な焼物』と書かれてますが、何十年も 日本全国 いろんな産地のお茶碗で飲んできてるオイラの実感を申し上げますと、普段遣いのお茶碗としては虫明焼が最高である ということです。地元からくる身贔屓なんかでなく、本当に好いお茶碗である と言えます。
何故かと申しますと、掌(て)にしたときの感覚・・・重心が直ぐ上にあるという感じが とても好く、お茶の香りとトロミを損なうことなく 何処の抹茶茶碗よりも 引き立ててくれますし、充分な品格を有しているのですが、構えることなく 閑かに向き合えるし、ベタベタした感じがしないと言うか 人間との距離感がとても素晴らしく、使い勝手が非常に良く、使い込んでゆく変化も楽しめるという、まさに 理想的なお茶碗であると言えるからであります。