六郷を人力車で発ってすぐ、路傍の茶屋で、脚気が流行ったとき院内で治療にあたっていた、折り目正しくて愛想のいい若い医師に出会う。この茶屋は伊藤孝博氏の『イザベラ・バード紀行』では、直接の根拠はないがと、ことわりながら六郷の町はずれにある「側清水の茶屋」であろうと推定している。この側清水の茶屋は現存しており、いずれ尋ねてみたいと思っている
この後、縄で囚人を引いている警察官にであうが、バードの車をひいている車夫と警察官のやり取りが書かれているが、明治の警察官と庶民の関係を垣間見ることが出来るくだりである。
六郷から久保田に向って歩を進めるイザベラ・バード一行は神宮寺に着く、「疲れてそれ以上は行けなかった」ので神宮寺に泊まることになる。
神宮寺の宿の印象は「汚い障子で仕切った、低くて、暗くて、鶏の臭いのする部屋しかない」と悪い印象である。ここでも野次馬の歓迎がまっている。
「日曜日の朝五時に、わたしは三人分の顔が外の格子に押し当てられているのを見ましたし、夕暮れ前には障子が指で明けた穴だらけになり、それぞれの穴から黒い目がこちらを見ていました。」とあり、見られるバードにはたまらなく迷惑なことであるが、「警察官の話ではここの人々はこれまで外国人を見たことがないそうです」とあり、見たこととがないものを見たいという好奇心にはあらがえないのも道理であり、傍観者からみるとコミカルで吹き出しそうである。
ひどい書かれようの神宮寺の宿であるが、『イザベラ・バード紀行』によれば明治時代に旅館を営んでいたのは秋田の銘酒「刈穂」の醸造元の向かいの細谷家1軒だけで、旧家でもあり、地主でもあった細谷家に間違いないだろうとしている。
月曜日の午後、小舟を調達したバードは川までバードの先を行き、土手をうずめ、木々のぶらさがった野次馬と、ついてきた4人の警察官にみおくられて舟にのり神宮寺を後に久保田(秋田)に向かう。
この後、縄で囚人を引いている警察官にであうが、バードの車をひいている車夫と警察官のやり取りが書かれているが、明治の警察官と庶民の関係を垣間見ることが出来るくだりである。
六郷から久保田に向って歩を進めるイザベラ・バード一行は神宮寺に着く、「疲れてそれ以上は行けなかった」ので神宮寺に泊まることになる。
神宮寺の宿の印象は「汚い障子で仕切った、低くて、暗くて、鶏の臭いのする部屋しかない」と悪い印象である。ここでも野次馬の歓迎がまっている。
「日曜日の朝五時に、わたしは三人分の顔が外の格子に押し当てられているのを見ましたし、夕暮れ前には障子が指で明けた穴だらけになり、それぞれの穴から黒い目がこちらを見ていました。」とあり、見られるバードにはたまらなく迷惑なことであるが、「警察官の話ではここの人々はこれまで外国人を見たことがないそうです」とあり、見たこととがないものを見たいという好奇心にはあらがえないのも道理であり、傍観者からみるとコミカルで吹き出しそうである。
ひどい書かれようの神宮寺の宿であるが、『イザベラ・バード紀行』によれば明治時代に旅館を営んでいたのは秋田の銘酒「刈穂」の醸造元の向かいの細谷家1軒だけで、旧家でもあり、地主でもあった細谷家に間違いないだろうとしている。
月曜日の午後、小舟を調達したバードは川までバードの先を行き、土手をうずめ、木々のぶらさがった野次馬と、ついてきた4人の警察官にみおくられて舟にのり神宮寺を後に久保田(秋田)に向かう。
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