3.11後の世界

その後の世界について書きます。

取材に対してウソをつく組織「Yah

2016年02月27日 11時15分55秒 | 日記
取材に対してウソをつく組織「Yahoo! JAPAN」が信頼と品質など担保できるわけがない という記事をみました。

これって 体のいいことわり文句で やんわりと断られただけの話で


取材にウソをつくというのは 事実の湾曲だと思うのですよ。
すみません断ります といえば 角がたつから ということもあるでしょうし
その後 この断った人の考えが変化したということもあるし
別の記者なら 対応する気になったということもありえるわけで


恨み節にしかきこえない。

自分の視線から見て 都合よく 事実をねじまげて 表現しているだけで
仕事がとれなかった。 仕事がうまくいかなかった 残念な出来事を
相手に落ち度があるように こじつけて 大げさに書いているだけ
いわば いいがかり


そして、所詮その程度の 取材能力しかないということだと思うのですよね。

あるいはタイミングがとれなかったとか・・・



取材能力とは 相手からヒアリングする能力 語らせる能力ですから
それが門前払いをくらうようでは 終わりです。

使い物にならない。 わけです。


自分の仕事の失敗や取り組みのまずさを宣伝しているような内容になってしまうのです。


また、その記事を載せ続けるYAHOOのしたたかさも感じます。

炎上することも芸の一つ

批判されることも話題の一つ という ネットの特性をよく理解されておられるように感じます。


取材を ていよく断った という 一つの話で これだけ 目を引くないようになっているからです。

記者はうまく食われた 状況です。



そもそも


ことの原因は 自分にあるということに気づくべきだと思うのですよね。



この方個人がどうのこうの というよりも

このように 原因を相手に求め 罵倒しても  相手はますます拒否するだけです。


ののしると事態はさらに悪化して さらに この方は YAHOOトピックスからもはずされかねない 的な

また うまく 踊らされている的な状況なのかもしれません。

誰がピエロか。  熱くなれば なるほど 踊らされるのです。



やっぱり 仕事をしていく上では 大人の付き合いというか 賢さが必要だとおもうのすよね。

ネットで いろいろな 機関や人を批判する人は多いのですが、立場立場で事情があるわけで

どうやって この社会でうまく生きていくか この社会の中で機能するか 立ち位置を確保するか




そう考えると 今の世の中の 体制派の意見もよくわかるのです。

彼らの考えは まず 国体を守ること 国そのもののパフォーマンスをあげることですから








それで こういうものを見るとわれにかえりますが、





僕は このブログを何のために書いているのか と 考えます。

文字を書くトレーニングの延長のつもりでしたが この時間を他に使うほうが有意義じゃないかと思い直しています。

放射能影響あるもいいんですけど

そんなこといって びくびくしながら生きるのもつまんないです。

そんなこといって5年も過ぎました。

もうこれ以上多くのことを 語ることはありません。

素人が 騒いでも 弊害にしかならないような気がしてきました。

きちんといえば 素人に限らず 衝動的な感情 場面場面での出来事をトピックス化して騒いでも ただ自分が消耗するだけで 下手に騒ぐと 弊害のほうが多い。

やるならビジョンを持ち方向性をもって 意図的に騒いだり黙ったりすべきなのです。

日本に限らず 世界の人間が 大変な状況下にある時代になってきているのです。

どこかでリスクを受け入れざるえない時に 何かちょっとしたことがあれば 騒ぎ立てていれば 

時が失われるだけです。


誰かに何かを伝えたい という傲慢さ にも 一定の問題があります。


ある程度ネットには情報はありますから あとは自分で考えればいいだろって

考え方を押し付けるのはいい迷惑で

よい代替案でも提示できるなら まだしも 逃げろ逃げろ 危ないあぶないって煽って

お前なんなの? です。


ネットを見ていくといろいろな書き込みがあります。
私は 放射能=被害がある 影響大とおもっていますが さすがに それは
おおげさだろう と思うものもおおいと思うのです。
いいたいことはよくわかりますが 何のために書いているのか それは書きたいから書いているに近いのです。



これも ホ の影響ですよね。そう思うなら動けよ。

いちいち公共の場でいうなよ。


根拠が明確でなければ 感情で流される頭の弱い人だと思われるだけ です。
事実だけを書いて あとは 読者に判断をゆだねるべきものが いつの間にか 宗教じみてきて・・・・
そういう流れ 見方によれば カルト的にも なりつつあるのです。

組織だって何かをしかけて変化の波をつくりだすべきものが いつの間にか なんでも放射能のせいにして 自分達に都合のいい話だけきりとって 拡大解釈するようなふいんきすらあるわけです。

放射の影響はない とか 気にしなくていい とは思いませんが 物事には手法というものがあります。
ゲリラ戦でいくならそれなりの戦いをしなくてはいけないのですが どうもそれとは違う。

放射脳 とゆわれてもしかたがない。


そういう流れの 目立たないひとりかもしれなかったわけですが




人の人生心配する必要もなければ それを 正義のごとくふりかざすにも 見返りがないわけですから 
そのうち こんなこと書いていて 本当の老人になってしまうわけです。
問題はここなんですよ。持ち時間が限られている。



ですので、長生きする為に 今を犠牲にするような生き方はまっぴらごめんです。
かといって 突然死は気をつけなければなりません。
無謀な生き方ができない時代です。
それは 放射能に限らず色々な健康被害の要因が顕在化してきています。
われわれが思っているような安全な環境に 世界は置かれていないのです。
それは日本でもその他海外の都市圏でも


それに、このようなことは 個人でやりはじめても ある程度大きな流れにしなければ 自己満足になってしまうのです。

某議員のように 議員にまでなる勢いが 何人 何十人もいて 新しい時代がきりひらかれていくのですが
その流れはほぼありませんでした。

相当数そういう議員が増えなければいけないのですが・・・





この状況のまずさが わかるのは ある程度年齢を重ねたものだと思うのですが、聡明な方は ヒトバシラにならず 海外に逃避したでしょう。
状況が把握できる方で 残ったものは それなりに仕事のある方か ご老人 です。
老人が選挙にでて何かやるには気力や必然性がありませんから無理でしょう。

そのようなわけで
ブログやついったーでぶちぶちいっても その程度です。

影響を与えるには限界があります。

さらに 人は 耳障りのいいものだけを読みにいき、そうでないものを素通りして認識できない性質がありますから
その人の認識レベルの範囲でしかなぞることができないのです。

そう考えると 大きな意味がないのです。

書いているな なんか変な人が 変な事を 程度なのです。

見返りの無い事に 善意で取り組んでも 自分が馬鹿をみるだけなのです。

それがめぐりめぐって というのもなきにしもあらずなのですが あまりに 気の遠い話で 自分の人生の時間を考えると やる意味があるのか






それに これも放射能の影響だろうと 騒ぐのは 議論のレベルが低いのです。

決定的な根拠もなく、場当たり的に騒いでも 頭が少しおかしい人とさほどかわりありません。

(どうしても裏づけがとれないのですよ この放射能というのは 話の根拠として 戦えないのです)


さらにこの状況を うまく利用したい人間の思惑と重なり 真実が非常に見えづらくなるわけです。


その為に 戦略を練り 長期間の計画実行をしていくべきで それをしなければ成果はさほどあがりません。

国家戦略の前に個人の活動など 無いのと同じ 


 


この記事をみて 自分の大事な時間を こんなことに使う愚かさを考えさせられました。
憂い 悲しみ 叫んでも 現実はなかなか変化しません。
自分の時間は失われますが それに見合った変化があるとは到底思えない。

もっと 他に やるべきことがあるだろ と


批判や苦情をだらだら書くのが一番簡単なわけですから




本当に世の中をかえたいなら 政治家を目指したり 自分の願いをかなえてくれる人の応援を本腰いれてやるべきなのです。

しかし、私には そんな思いは ありません。 自分の器量はそこまでありません。

自分でさえ 思うようにできていないくらいですから


そんなわけで 政治家や世の中にぐずぐずいうのはここで終わりにしようと思います。




当時と違い 理想やきれいごとをいったろころで まず目の前の生活がままならない時代になってきているということもあります。
(アベノミクスで顕在化が遅れましたが 高齢化 人口減少により消費は鈍化し テクノロジーの進化で誰でもできる仕事は無くなります。難易度の高い あるいは体を使う あるいは汚いなどの仕事だけが残ります。)

放射能がどうたら言う前に 生活がなりたたない方が増えてきているのです。
そんな事に労力を注ぐだけの余裕のある時代ではない これは 多くの人にとり現実です。
優先順位ですから 何かを選択せざるえない。


多くの方が 放射能で騒がないのも 現実があるからです。それもそうだけれども目の前の課題をこなさないとどうしようもないわけで
また、特にある程度の年齢の男性になると 後半の刈り取り時期を棒にふりかねないのです。
やり直しができるのであればいいのですが 無理というものです。




そんな時代に移住だ 危険だ 西だ 海外だ なんていっても 意味が少ない と 感じつつあります。
仮に逃げたところで老いた親が倒れた時 どうされるのでしょうか?
人にはいろいろな事情があります。

発言する人は自分で考えて動けばいいだけのことで、人の意見で容易に修正できるほど皆 簡単なものではないのです。
それでも 変えていくべきなのですが 


合理性は 正解は その人それぞれで違ってきます。

放射能被害を基準とした合理性を追求すれば 日本をでていけばいい。簡単なことです。
ぐたぐだ ビクビク せずに 出て行け  


日本で受け入れるのであれば それなりに対策をして日々をすごすしかないわけです。
そうなると何かの犠牲が必要です。
放射能被害を最大の第一リスクとするならば 勿論 それが正しいかどうかは別として



机上では 放射能被害の問題を騒ぐことは上手でも 現実生活にそれをあてはめて 反映させることができる人はほとんどいないでしょう。そのレベルなのです。
ネットでこぴぺして 大騒ぎするような状況が比較的おおいと思われますが それは兆しであっても 現実そののものではないのです。
ネットで拾ってまとめあげ 完結している発信源を疑う必要はあります。
ほぼ間違っていますから

ましてや 50や60や70の高齢者の価値観が 若者にあてはまるわけがありません。生きてきた時代が違いすぎるのです。
(ネット情報の殆どは 机上の空論に近いのです。現実世界のちょっとした話やデーターが アンプ効果により増長していきます。聞いた話を頭の中だけでつなぎあわせて それが現実と重なるわけがないのです。)
パーツにすぎない 一のつエビデンスで全体像を構築することは困難です。
1000個の構成の4つ5つがわかっても たどりつくのは至難の業です。



また それに 注意を注ぐと逆に それに囚われ 時間は失われ 逆にその視点の正しさを自らの病で証明するような 望まない結果となる可能性が高いのです。

ノイズレベルの情報さえ拾ってしまい、それを拡大解釈していくと 心は病んでいきます。


信じがたいことですが 人は自分の信じたことを実現する能力が備わっているものです。
放射能の影響が大きいという人程 影響を受けてしまうというパラドックスの仕組みがあります。
書けば書くほど 発信すればするほど そうなる呪いのような仕組みの罠ともいえます。


この手のことは ある程度距離を置いて 関わっていかないといけないのです。


私のブログはそのずっと前の段階 個人がぐちってぼやく一番下のレベルでした。力をそそげないのでその程度のものしかかけなかったわけですし 仕方ないことです。
思いついたことを さらっと書くだけではその程度です。

個人ごときが 全力で ブログやツイッターで書いたところでも その影響力は微々たるものです。
国家権力の巨象の前には ありにもなれないのです。
なので 戦略は必然です。
勿論 それで多くの人が気づきを得ることや 決壊も蟻の穴から的なことはあるでしょう。
無駄とは思いませんが 丸腰で国家権力に対抗するにはあまりに無謀です。
ヒトバシラになる決意か それともそれなりの備えが必要なのです。
比較的高齢の方に 放射能関連の情報発信者が多いのも前者的な方が多いのではないでしょうか。


情報は ツイッターやグーグール検索の中にあふれています。
その気になれば 誰でも、点と点が結びつきます。
情報は点と点であることに意味があり、それをつなぎ表面化すると本来の力を失います。
国策が何か そしてその国策の本当の意味は何か  
国策は 人間がつくるものであり 時代時代でその意味や正しさが変化し、見誤ると翻弄されるだけです。

そして、真実が正しいわけではありません。


愚痴や批判をするだけでは 時間が失われるだけです。
如何に環境を観察し 対処し 順応していくか その最適化への道を模索すべきだと考えます。
ただ、不平を並べてデモや情報発信をする程度では コスパが見合わない。
それを見限った人は アカウントを停止し 更新を止めます。
より最善を目指す為に手段は再考必然性です。

影響の有無の主張を変化させるつもりはありませんが、この問題は立ち位置やデーターの見方とり方で 文脈は大きく変化します。そのような雑談レベルに限りなく近いことに時間を費やすことがどれだけ愚かか

悟れよ 

ネットに肝心なデーターはある。見つけ方 読み方 その見方が分からなければそれまで 


論理や理詰めで導くよりも 直感的に 現実を悟れよ
ざっくり 大まかにみれば どうか考えれば分かる事
外部に漏れてはいけないものが 大爆発を起こし 拡散し いまだにぶすぶすいっているかもしれず 汚染水は増える一方 おおざっぱに見ても何をすればいいかわかるだろう。

政府は それをざっくり見積もり おおよその想定の罹患率程度におさまっているから緊急事態宣言を発動しないだけ 国民個々が苦しもうが 本丸は国家の運営でありその為には 国民であろうと見捨てるだけ それは 現実です。


わからないやつ 否定するもの 立場があるもの など ほおっておくしかない。


歴史を振り返ります。
ノストラダムスの恐怖の大魔王など大予言にびくびくしながら 富士山の爆発にびくびくしながら 人生をすごしてもなにも楽しくないでしょう。戦後から そのようなリスクに怯えながら日本人はすごして来ました。
なにもなかったからよかっただけですが びくびくした時間は 青に染まり 人生は失われました。
フクシマを恐れ 残りの時間を逃亡と不安な心理ですごしていくには真に愚かです。

であれば 傾向を読み 対策を練り あとは行動のみ です。
とにかく まずいのは 事実であり 多くの社会を動かしている人間はそれを認める事をできない状況にあるだけです。それぞれの生活や立場を守る為に

幸い首都圏の半分の人間がここ5年で亡くなったりしていないだけのことで 長期的にどうなることやら 誰にもわかりません。


私は とりあえず 次の移住地をさらに西に進める為 準備をしています。
ただ これまで脅迫観念のように 西へ西へと 考えていた時間と労力は効率がよくなかった。
やるなら 全部投げ捨てて すぐ動いてもよかったかもしれません。
点と点を結びながら人生を歩むことは難しいのは ジョブスのいうとうりです。
跡づけにしかすぎない。
であるならば・・・ です。

首都圏の金町の浄水場からの水の濾過より検知される量が一定の値という話を最近見ました。
これがどういうことか 

関東各地の上水道からは 低量のセシウムが検出され続けている事実 これは 低線量被爆を常にし続けているということでもっとも恐れていたことです。ありとあらゆるものが軽微ながら汚染されている 汚染され続けることになるのです。それは住んでいる人間もです。
空気と水 が 汚染されたわけです。

それでも 関東 東北が 私の人生だ 私のビジネスの戦場だというのであれば とどまるべきです。
へたに長生きしても 自分の主観で充実しなければ人生の意味は低くなりますから。

本当のやばさを感じる人間は既に逃げています。
しかし よくはない と知っている人間ですら 職の関係で関東にとどまり続けている現実があります。
放射能のリスクを指摘するブロガーの大半はいまだ関東住みです。海外や西日本や九州には移住していません
現実問題として どういう影響があるかわからない おそらく大丈夫じゃないかというリスクよりも 生活基盤を維持できないリスク その他 いろいろなことを考え 関東圏にとどまるという選択をされている。

今 大半の その手のブログは 誰かに何かを伝え あるいはこの世界をよりよいものにかえるという趣旨というよりも
何か新たなネタがあれば 騒ぐような 手段が目的となっている種類のものが大半です。
ネタがなければ人は継続してみてくれませんから 当然なんですけど 

そんなにやばいなら お前から その場所を 逃げて 安全な世界へいけよ

机上や頭の中の妄想で テキトーなことをいわず まず実践してからものを言え。



僕は関東圏は すでにどっぷりではないので あとは どれだけリスクを減らすかだけなので 他人がどうなろうが 興味ないです。みんな好きにすればいいと思う。
田舎にいて あと50年 ただ生きるのと 10年刺激的に生きるの 夢を実現させるの これはもう選択だもん。それがほんとに望む夢ならなんですけど まあその説明はいいや

本人がリスクを選択しているわけですから あえて意見するまでもないわけです。

というわけで 放射能の話はここでおしまいです。ここに割く時間を他にさくことにします。









みなさんも 見せられている現実よりも みたい現実をみて 

あなただけの絶対領域の確保ができることを望みます。
















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