3.11後の世界

その後の世界について書きます。

この世界はやらせでありマッチポンプかもね

2012年07月18日 19時58分20秒 | 日記
3.11がなければ さほど深く考えることなく 若かりし頃に思い描いた夢の延長線上に 人生はあった。

しかし、一連の報道や対応をみて 思っていたことの殆どが自分の思い込みや妄想のようなもので テレビのようにこの世界の中で生かされていただけに過ぎない自分に気づいたのだった。

あれから よく考えた。

本当に考え直した。


逆境はチャンスでもある という言葉がある。
試練の中に身を置け というのはそういう意味でもある。
この3.11で 色々なことを考え直した方 多いんじゃないですか?





この頃の報道などをネットを介してみていると
原発をはじめ 政治、テレビ 新聞などを代表とするメデイア 

流行と呼ばれるもの等



この世の殆どは マッチポンプと化し
やらせが殆どをしめる出来レース
なんだと つくづく思う ここ最近です。





まさに マトリックス の世界です。


消費を促進させる為に わざわざ既存のあるものをつぶし需要を促進したり 必要のない購入を促進する為流行をつくる。

よくよく考えると 思いあたることないですか?


車ひとつにとってみても 買い換える必要が本当にあるのか?

などなど  自分の立ち位置が 本当に自分の望んでいる場所なのか

よく考えることも必要です。




毎日 目の前には 自分の世界が広がっているようで 本当は自分の世界ではなかったりするのです。
ただ 幻想や偶像を見せられているだけ
本当に欲しいものは別にあるのに すり込まれて 別のものを消費している。

そんな 気 しませんか?




それは メデイアの中もそうであるし インターネットでさえ 油断をすると 自分で選んで画面を選択しているつもりでも 誘導され 結果的にみせられているようなことになっていることを注意深く認知していくべきだと思う。




暇だから、何をしていいかわからないから、的な発想により、それらをそのまま受け入れうのみにする人々は少なくないわけで、


いまだにこの時代 テレビを見ている人は その要素大だと思います。




見ている行為そのものが 既にとりこまれているわけです。









(誰も指摘しませんが テレビは特に中毒性の高いものです。私も油断して携帯で見るときがありますが ついつい、見入ってしまうのです。そしてそれを見た後 何かを学んだとか とても刺激的だったとか そういうものはなくて 気がつけば時間だけがすぎているのです。






大量生産の時代は そういうメデイアがどんな情報発信しているのか無視できない面もありましたが



現時点で依存度を下げることができない人々はただ時間を浪費していき
自分の人生であり 自分の人生を生きていないことになるわけです。
生きているようで

実際にはなぞって 追体験しているだけで もはやそういうものは 自分の人生とは呼べません。


本物と同じ程イメージ出来たとき 脳は現実とそのイメージを区別できないのです。

つまり何の苦労 や いやな思いもせず いやな場面になれば 画面を切り替えられるテレビは 脳にとって 非常に都合のいいものなんです。
何の苦労もなしに体験した気になれる。

山に登るのでさえ その気になれるテレビは めんどくさがりやにとっては 本当にいい道具です。


でも そんな体験って ほんとの体験ですか? 





それは


 
意図的にコントロールされた 操り人形としての人生です。




そして

自分の人生って何だったんだ とならないように すべきなのです。



他にすることないから 他に方法がわかないからということで 






その人生の選択を他人に委ねる程おろかなことはありません。





今すぐ テレビを捨て 新聞を読むのを辞める決断が必要だと思うのです。

もしも 経済などを知りたいのであれば どのように 世の中が誘導されているか 見る為の手段としてのそれらはありかもしれませんが

現実が ありのまま報道されているとは 信じてはいけないのです。





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1 コメント

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Unknown (通りがかり)
2012-08-23 23:00:50
私も世の中マッチポンプで出来ていると最近感じております。
世の中を見ると、なんとかしてマッチを擦りたがっているようにしか見えません。
テレビや新聞が好きな人々は、自分では擦ることができないマッチを、他人が擦っている姿を見て満足しているのかもしれませんね。
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