3.11後の世界

その後の世界について書きます。

世田谷

2012年11月24日 23時58分12秒 | 日記
世田谷 笹塚2丁目 甲州街道より 南の路地入る

あたり 0.10μ に近い数字が なぜか でていた昨日

いつもの甲州街道沿いも微妙に不安定


今日 仕事場  線量が以前よりも 不安定な気がするのは きのセイカ

若干の上下

2012年11月23日 09時20分08秒 | 日記
昨日は雨でも無いにも関わらず


線量は 0.06平常ポイント@仕事場→0.067-0.070
少し高めになっていた。


もう どうでもいいか とは思わないが 疲れていたから ああそうか と流す。


だんだん めんどくさくなってくるのはみんなそうだろう。


目で見える結果がでないことに緊張したり 対策するのは あまり積極的になれないものだ。


依然 おれは 目の調子がよくない。
医者はドライアイ だというが どうなのか

いままでそんな症状でたことがなかったし






避難という選択も視野に

2012年11月20日 01時59分22秒 | 日記

ついに 甲状腺に→福島県の甲状腺検査で1人にがんの疑い

影響が表面化してきましたね。


過去の放射能関連事故、原爆、水爆の影響をみていくと後々 影響が必ず出ているわけで 今回の福島原発の事故の影響がでないわけがないと思う。

かといって すぐにでるわけもないから 皆さんのんきにしているようですが、
山梨や長野より西から 首都圏に入ると 空間線量があがるのが どうみても顕著なんですよ。

さいたま市だって 安全なようにみえても 場所によっちゃあ いい数字たたきだしますから (0.09とか)

微妙だなあ とおもうのです。


今日 スーパー ビックAにいってきました。
人参が 青森道産になっていました。

こういうのをみちゃうと もうここは だめだよなと思うのです。

食品産地偽装とか 考えだすと すめんな と思うのです。


トーンダウン

2012年11月13日 08時58分31秒 | 日記
世間の放射能熱はトーンダウンし さほど危険性を叫ぶ人が少なくなっている。

少し前 まで 気にしていた人も  ここ最近は あまり 気にしなくなっているのかもしれない。


これは 目にみえる症状 結果がでていない わけで




今 放射能は怖いから 危ないから というと だいたいの人は 話をそらす 不機嫌な顔をする。その話に乗ってこない。 

中には同意があっても あまりその話題をしないほうがいい と諭される 





特に首都圏でもさほど汚染のないところは このままいくとおそらく晩年性の影響しかでない可能性もあり、 大半の人は理解しようとしない→理解できない。



見えない未来語っても だれもそれを真にうけないように

話すだけ時間の無駄かもしれない。(それは   今の状況を10年タイムマシンで戻って語っても 耳を傾けるひとはいても ウソだろ? と 殆ど信じようとしないだろう)

リスクは在り、影響は0ではないはず

それを信じて 行動するしかない。

しかし 自分の考えに同意する人は非常に少ない。

それが現実だろう






おおさか

2012年11月08日 22時17分19秒 | 日記
今晩は大阪にいます。

ドンキホーテに ひさびさの爆買気分で入店すると・・・・

ポンジュースが なぜか IB 茨城製造

卵は岡山産

森の水は 鳥取の大山 採水  

まだ 東京や埼玉より ストレス無く買い物ができる。



手元の線量計は 0.06-0.08の間で 動くが これは 自然放射線 なのだろう 

前回と同じく 地域によりかなりばらつきがでる。

しかし どうなんだろうね と毎回思う。

この線量計では役不足


線量のふらつき

2012年11月08日 07時47分09秒 | 日記
車で移動することが多い私は ボンネットに常にカウンターを装備している。
正確な線量の測定はこれではできないが おおまかな変化は体感。

都内を走行すると (赤羽 新宿 品川 ライン より西が多い)
0.10-0.06の間でふらつく  ああ そんなにまだらんですか? とおもうだ。
通常 リセットして測定しなおすものだが そのままでも変化していくわけで それだけ数字を押し上げるだけの汚染があるのだろうか


ポイントは 線量が高め ということではなく それが 比較的 近い場所でも大きく変化するということだ。

つまり まっていたり また 確実な汚染が あるという根拠になると 私はとらえている。




これが 大月をこえ 山梨へ入ると 0.07台から上にいくことはほぼない。

但し、大泉から上へいき清里をこえはじめると 0.08を超えだす
山梨市や 塩山は 不安定さを感じます。

それが 中央道をまだ西へ行き 伊那へ向かうとさらに下がるか というと 0.07から0.08あたり
の少し 上気味のような気が以前した。

現在 駒ヶ根を走行中なのだが 線量は0.058μ 

とりあえず こういう数字がでているという話で 全体の線量をあらわすものではない。




岐阜には 人形峠もあり 自然放射線がもともと多めだという話もあり そうなると 100万以下のカウンターでは計測が難しい。(核種判別ができない)

20万-30万で核種が判別できる機器があるようだが あれは0.3μあたりから上の数値がでるとき 友好なものであり、首都圏では用無しだと思う。


最近 気になるブログ記事があった

http://kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-558.html

早川氏のブログだ


>これは、半減期による減少で説明できる。つまりこの13か月間、地表付近の放射性物質はほとんど移動しなかったとみられる。



半年前に専門家2人に聞いた話では 東京は 雨風で 放射性物質が押し流され 希釈拡散され 薄まるところは薄まり 濃縮されるところは濃縮されていっている ということだったが どうもこの測定を見る限り違うっぽい。

おそらく 専門家内では そういう教育がされているが 実態は 半減期程度の減衰しかしていない というものじゃないだろうか?




500万

2012年11月07日 11時19分18秒 | 日記
片田舎 東京でも1時間も走れば 500万円で家が買える。
それが除染に500万というのは 何の意味があるというのだろうか?

除染という名のもとに高圧で流された水は垂れ流してよし と 環境省


理想的な手順をふむと 経済がまわらない。 その考え方は仕方ないとしても これからのいろいろな費用を考えると 経済に大打撃を与えるような経費を参入せざるえなくなる時期がくるだろう。


そんなこと いってられない  という 理屈が  被害の表面化にともない 通用しなくなるとおもうのだ。


国 や 一部の人を信じるようなことをすれば 自らの首をしめることになる。

彼らは 2500人のうち1人ががんになろうが 250人のうち1人が癌になろうが
それは 切り捨てることになんらためらいもありません。

本体を生かすためには 犠牲は仕方ないのです。
戦争と同じです。

個人を犠牲にしても 本体が生き残るか どうかなのです。

一人の命は地球の重さよりも重いなんて 余裕しゃくしゃくの時代の考え方です。
国はかりに半分が国民の半分が被害にあっても 本体の生き残りを模索します。 





放射能が風雨による拡散をいし、農産物などによる拡散により 福島の問題だけではなくなってきているような気がしている。


仕事は仕事 生活は生活 というように わけて考えていくべきで 
仕事があるから 離れられない というへりくつに縛られていると
まずいような気がしてならない。


あなたは 放射能被害の表面化のおそれに対して それなりの準備をしていますか?



http://www.nikaidou.com/archives/27893
ですから一応、二本松モデルと呼ばれていて60坪位の土地に30坪位のお家が立っている場合に、今いったような除染のコストを計算して頂くと、ゼネコンでやってもハウスメーカーでやっても工務店でやっても、きちんと落とそうとすると、大体その位の規模で大体500万円というのが、私共が前から申し上げている計算値です。




私は 仕事と生活のバランスの模索をここ1年近く考え 試行錯誤してきましたが やっと 次の道筋が見えてきました。

半減期によるせいか 空間線量は1年前より落ちていることは実感しますが
それでも この放射能の平均値が不安定な数値を示す様子を見る限り、警戒心をさらに強めています。