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猟盤の日々改めDEADMAN IS ALIVE!

ヴィニル・ジャンキーの猟盤話から死んだ人の話を経て、呑み屋の話になったり、ギターの話になったり。。。

クラッシャー・リソワスキー 79歳 R.I.P

2005-10-26 | 訃報
また伝説のプロレスラーが亡くなった。

「ディック・ザ・ブルーザーとのコンビで、ジャイアント馬場&アントニオ猪木のBI砲と死闘を繰り広げ、通算9度もAWA世界タッグ王座に就いたクラッシャー・リソワスキーさん(本名=レジナルド・リソワスキー、米ペンシルベニア州ピッツバーグ出身)が10月22日、胃がんと脳腫瘍(しゅよう)のため米国内で死去した。79歳だった。」
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ロング・ジョン・ボールドリー 64歳 RIP

2005-09-20 | 訃報
ロッド・スチュワートが師と仰ぐ英国のロックシンガー、LONG JOHN BALDRYが7月21日に亡くなっていた。

「英国のR&Bアーティストで、ロッドをシンガーとしてスカウトしたことでも有名なロング・ジョン・ボールドリーが7月21日、バンクーバーで死去しました。ボールドリーは胸感染症で4カ月間の闘病生活を続けていました。享年64歳。」(スマイラーより)
彼はジュリー・ドリスコールもいたスティームパケットでモッズファンにも知られていますがエルトン・ジョンがメンバーだったブルーソロジーも彼のグループです。写真は去年自由が丘の中古盤屋で買った1971年の名作「It Ain't Easy」。A面ロッド、B面エルトンのプロデュースです。ロッドは入院費を負担したり、死の直後の7/29にバーミンガムでトリビュート・ライブをやったり最後までリスペクトしていたようです。ええ話やなぁ・・・。
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ローレル・エイトキン 78歳 R.I.P.

2005-09-18 | 訃報
Laurel Aitkenが亡くなっていたの知らなかった。

「“ゴッドファーザー・オブ・スカ”と称される、ジャマイカン・ミュージックのパイオニア、ローレル・エイトキンが、 7月17日、心臓発作のためイギリスで亡くなった。 78歳だった。
ローレル・エイトキンは1927年キューバ生まれ。 1938年に父の故郷であるジャマイカに定住し、以降、音楽のキャリアを積み重ね、 1960年、イギリスに移住。来日は2002年のツアーが最後となった。」

彼の名前を初めて知ったのは70年代終わり、今まで聴いてきた60年代からの流れを汲むブルースベースのロックが衰退しパンクロックが台頭してきた頃だ。20代半ばの僕にはそれをなかなか理解できず好きでもなかった。その時、英国で2TONEレーベルを中心としてスカブームが起こり、そこからSTELL PULSEなどのパンキッシュな英国レゲエにはまっていたのだ。スペシャルズ、マッドネスなどのメンバーはいつもエイトキンの名前を口にしていた。
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三百人劇場 2006末、R.I.P.

2005-09-14 | 訃報
東京・本駒込の三百人劇場、06年末に閉館・取り壊しが決ったらしい。ここで1977年に映画「鬼火」を観た。

「鬼火」(仏1963) Le feu follet
ドル・ラ・ロシェル原作、ルイ・マル監督。モーリス・ロネ(写真)がピストル自殺するまでの話。マルの初期26歳の時の作品では、なぜかこの作品だけ日本未公開でした。エリック・サティの曲が全篇で流れるこの映画はいまだに僕のフェバリットの1つです。観ても忘れてしまうような映画が多いけど巣鴨の駅から当時のガールフレンドと歩いて三百人劇場に行った事は妙に明確に記憶しています。モーリス・ロネの部屋で自殺する夜着ていくワイシャツを選ぶシーン最高。ちなみに最近「鬼火」という焼いも焼酎を発見、でもあんまり酒屋ではみない。

 「演劇上演や、名作映画の上映などで親しまれてきた東京都文京区本駒込の「三百人劇場」(257席、建設当時は302席)が老朽化のため、06年末で閉館することが決まった。
同劇場は、劇作家・評論家の故福田恆存氏らが設立した財団法人現代演劇協会が74年に建てた。財団付属の劇団昴(すばる)が拠点にしている。近年、建物の傷みがひどくなり、建て替えは経済的に難しいため、閉館・取り壊しを決めた。
同劇場は昴による海外名作や日本の創作戯曲の上演のほか、全国の地域劇団や海外劇団を招くなどの活動をしてきた。90年代からは聴覚・視覚障害者のために字幕や音声ガイドを採り入れ、バリアフリー劇場の先駆けでもあった。映画にも力を入れ、海外作品や日本の名画を数多く特集上映。故古今亭志ん朝さんの落語の定期公演もあった。
07年以降、昴は別の拠点を探して活動を続けるが、詳細は決まっていない。」(ASAHI.comより)

無くなってしまった映画館も多い。渋谷全線座(真っ暗な二階はゲイの溜まり場でした)、改装前の池袋文芸座地下、テアトル新宿など見た映画まで憶えているものです。
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ロバート・モーグ 71歳 R.I.P.

2005-08-24 | 訃報
シンセサイザーの発明者モーグ博士が8月21日亡くなった。
「ロバート・モーグさん(シンセサイザーの開発者)が21日、米ノースカロライナ州アシュビルの自宅で死去、71歳。家族によると、脳腫瘍(しゅよう)を患っていた。
AP通信などによると、64年に電圧を制御して様々な音を生み出すキーボード付きのモーグ・シンセサイザーを開発。幅広く使われた最初のシンセサイザーとされ、現在の電子音楽の隆盛に道を開いた。」(朝日新聞より)
20世紀に生まれた楽器ではエレクトリック・ギターとシンセサイザーがたぶん二大巨頭だろう。ハモンドオルガンを始めソリーナ、クラビネット、メロトロンと色々なキーボードが出現したがやはりシンセの発達はすさまじい。僕が実際にステージで見たのは1972年のエマーソン・レイクアンドパーマーの後楽園でのコンサートだった。
「1964年には最初のモジュラー型シンセサイザーである“Modular Moog”を披露したが、最初にこのサウンドが一般に知られたのはウェンディー(当時はウォルター)・カルロスの「スイッチト・オン・バッハ」(1968年)。それ以来、多重録音によるクラシック音楽の構築では冨田勲が、ポピュラーミュージックへの導入ではビートルズの「アビー・ロード」(1969年)における“Here Comes the Sun”や“Maxwell's Silver Hammer”、そしてリアルタイムでの音色変更やパフォーマンスの可能性ではエマーソン・レイク&パーマーでのキース・エマーソンが宣伝塔となった。
音色の創出だけでなく、Moogシンセサイザーは、コントローラにおいても画期的なアイデアを生み出している。ピッチをコントロールするために用意されたリボン・コントローラや、ホイールは多くの競合製品でも使われ、ホイールのピッチベンドを使うことによりギター並みの表現力を備えたヤン・ハマーなどのパフォーマーを生み出した。」(ITmediaより)
ロキシーミュージックでもイーノが派手に使ってました。ムーグのロゴ入りTシャツでも買おうかな。
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橋本真也 40歳 R.I.P.

2005-07-14 | 訃報
「プロレスラーの橋本真也(はしもと・しんや)さんが11日午前、横浜市南区の市立大付属市民総合医療センターで亡くなった。40歳だった。救急車で搬送されたが、心肺停止状態で、間もなく死亡が確認されたという。死因は脳内出血とみられる。橋本さんは1984年4月、新日本プロレスに入門。2000年4月に引退したが、ファンの嘆願を受けて復帰。同年11月、新団体「ZERO‐ONE」を設立して独立した。その後、フリーになっていた。」(読売新聞より)
プロレスラーは短命な人が多い。覚えているだけで力道山、ハル薗田、大熊元司、鶴田友美、サムソン冬木、アンドレ・ザ・ジャイアント、ブルーザー・ブロディ、ディック・マードック、まだまだたくさんのプロレスラーが若くして死んでいる。また死因に謎も多い。鶴田はフィリピンで肝臓移植手術中に死んでいるのだ。

◆力道山 日本プロレス。1963年12月8日、東京・赤坂のクラブで暴力団員に腹部を刺され入院。腸閉塞を併発させ、1週間後の12月15日に死亡。享年39
◆ハル薗田 全日本プロレス。南アフリカへ遠征途中の87年11月28日、台湾発南アフリカ行きの航空機がインド洋に墜落。同年9月に結婚した夫人の真弓さんも同乗していた。享年31
◆大熊元司 全日本プロレス。92年12月27日、ハワイ旅行から帰国後に急性腎不全で死去。享年51
◆ジャイアント馬場 全日本プロレス。98年12月に体調不良で都内の病院に検査入院し、結腸がんと肝臓がんが発覚。翌99年1月31日、肝不全で死去。享年61
◆福田雅一 新日本プロレス。2000年4月14日、宮城・気仙沼大会の試合中、リング上で昏倒。緊急手術を受けたが、急性硬膜下血種で同19日に死去。享年27
◆ジャンボ鶴田 全日本プロレス。レスラー引退後の00年5月13日、フィリピン・マニラで肝臓の手術中にショック症状を起こし死去。享年49

(7/24追加)
その後、橋本真也がサムソン冬木の前夫人と今年の6月に婚約していたことが報道された。(合掌)

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永島慎二 67歳 R.I.P.

2005-07-06 | 訃報
「『漫画家残酷物語』などの叙情的・感傷的な作品で青年漫画の教祖的存在だった永島慎二(ながしま・しんじ=本名・眞一=しんいち)さんが6月10日、心不全で死去していたことが5日分かった。67歳。告別式は親族のみで行う。東京生まれ。1952年、15歳の時「さんしょのピリちゃん」でデビュー。61年から貸本劇画に連載した『漫画家残酷物語』は、子供漫画への理想と現実との間で苦悶(くもん)する青春群像を描き、今なおファンが多い。その後、新宿で2年にわたるフーテン体験を基にした連作『フーテン』を手塚治虫主宰の『COM』誌に連載。同時に『ガロ』誌でも活躍して、郷愁とペーソスに満ちた“人生派”漫画を開拓、後進の漫画家に絶大な影響を与えた。72年『花いちもんめ』で小学館漫画賞、74年『漫画のおべんとう箱』で日本漫画家協会賞優秀賞。梶原一騎原作の劇画『柔道一直線』の作画も担当したが、原作者と衝突して途中降板するなど、妥協のない仕事でも知られた。」(読売新聞より)

「漫画家残酷物語」は好きでした。はっぴいえんど、松本隆好きは必読。「春よ来い」!

ところで昨晩は国際フォーラムでジェフ・ベックのライブ。2部構成で堪能しました。
ヤードバーズ時代の曲が無かったのが少し残念ですが1968年のアルバム「TRUTH」から最新CDまでいろいろとやってくれました。とにかくピックを使わない音色に感動。ライブ後はオヤジ4人で丸の内のビストロ「ブラッスリーオザミ」でワイン3本、おすすめです。
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天野 滋 (52)R.I.P.

2005-07-05 | 訃報
「天野滋氏(あまの・しげる=フォーク・グループ「NSP」のリーダー)1日、脳内出血で死去。52歳。告別式は近親者のみで済ませた。自宅と喪主は公表していない。1970~80年代に、「夕暮れ時はさびしそう」などがヒット曲となった。」(読売新聞より)
僕は一枚もレコード持っていませんがずいぶん人気は高かったと思います。何故かチャーと仲がよかったような覚えがあります。しかし若すぎる。

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奥崎謙三(85) R.I.P.

2005-06-30 | 訃報
ドキュメンタリー映画「ゆきゆきて、神軍」の主人公、奥崎謙三が6月16日亡くなっていた。
「第二次世界大戦中に陸軍の上等兵としてニューギニアに従軍。大戦で生き残った元日本兵として、当時の上官らの戦争責任を追及する映画『ゆきゆきて、神軍』(原一男監督)の主人公として知られる。戦後は神戸市内で自動車部品販売業を営んでいたが、1969年1月、皇居の一般参賀の際に昭和天皇にパチンコ玉を撃ち逮捕。83年には元上官の長男に発砲して重傷を負わせ、懲役12年の判決を受け服役した。」(読売新聞より)
この映画をむかし映画館で見ました。こんなにハラハラさせてくれるドキュメンタリーはありません。タワーレコードに奥崎コーナーがあるらしい。必見。
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岡枝慎二 76歳 R.I.P.

2005-06-21 | 訃報
映画字幕翻訳家の岡枝慎二が心筋梗塞でなくなった。
「岡枝 慎二氏(おかえだ・しんじ=映画字幕翻訳家)5月23日、心筋梗塞(こうそく)のため死去、76歳。お別れの会は近親者のみで行った。喪主は妻、寿子(としこ)さん。
「スター・ウォーズ」「プラトーン」「エマニエル夫人」など数多くの映画字幕の翻訳を手がけた。」
ということでこの名前に見覚えがある方も多いと思います。寺尾次郎さんというフランス映画の字幕をよくくてがけている人がいますが、実は山下達郎氏の在籍したシュガーベイブというグループのベーシストでありました。
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