猟盤の日々改めDEADMAN IS ALIVE!

ヴィニル・ジャンキーの猟盤話から死んだ人の話を経て、呑み屋の話になったり、ギターの話になったり。。。

代官山の謎 仙台や

2007-02-27 | 食い物・バー
代官山のはずれに仙台やという中華料理屋がある。外観は何の変哲もないのだが知らないで入った者は誰もがびっくりする。値段は普通なのにあまりに量が多いのだ。特にランチ時間の終了間際は野菜やご飯があまっていると一段と巨大になるらしい。写真は酢豚定食(スープ・漬物・ご飯付)確か800円ぐらい。水餃子の単品頼むと洗面器ぐらいのどんぶりに入って出てくる。だから夜、単品で食べる時は最低でも4人いないと大変なことになる。その無意味な大きさはいまだに謎だ。
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HIROSHIMAにやってきた

2007-02-22 | 音楽
広島にやってきた。一応仕事です。
まずはホテルから一番遠い、中古レコード屋、広島駅近くのGROOVIN'本店へ。行ってみたらアナログは近くの支店に移動とのことだが、ぜっかくの口開けなので吾妻光良の「おいこらお嬢ちゃん」アナログシングル新品購入。二階堂和美の直筆POPを発見、広島在住だとは知らなかった。すぐに近くのアナログ専門の支店に移る。超レアなものはないがなかなか充実してます。試聴は5枚までということなのでJAPANESE VIBESのコーナーから選んでカウンターへ。須永辰緒Produce、辺見マリがSANDRA LEE名義で出した12インチシングル、ALOHA GROOVIN’~サンディー・ウィズ・ザ・ココナツ・カップス・リミキシーズ、小西康陽Produceのムッシュなど取り置きたのんでシングルコーナーで猟盤開始です。収穫は麻生レミ&フラワーズの「ラストチャンス」シングル\1800。イントロのワウワウかけたスチール・ギター最高にサイケです。写真は幟町の中古レコード屋THIS BOYのショーウィンドウのジャケット・ディスプレイ。下段にレコ娘のフィギュア発見。(つづく)
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GRAND FATHERSの「アタリメ」

2007-02-21 | 音楽
「バーは時にタイムマシンとなる。」
(2002年発行の雑誌DECO PLUSに書いた原稿より)

1971年のニューミュージックマガジンのこのバーの広告にはサントリーホワイト、ボトル2200円、Rock'n Roll Music Inn店とある。
当時渋谷駅の近くの高校に通っていた僕は、授業のあと道玄坂を登って渋谷ヤマハへ行き何枚かのレコードを試聴し、なけなしの金で買った一枚をこの店でよくかけてもらった。当時の山水製の大きなスピーカーからは素晴らしい音がほとばしっていた。

以来三十年以上経ったいまでもこの店の佇まいは殆ど変化がない。そもそもオープン当時からビルが古く、いつもトイレのドアが壊れていた記憶がある。元々は輸出専用だった藍染付のブルーダニュウブの皿、トリスバーのようなカットグラス、マッチのデザイン、そしてメニューの醤油だれに漬け込んだ「特製アタリメ」とすべての時間は止まっているように見える。

かける音楽はすべてアナログLPで一枚のアルバムから一曲づつ、一晩に一回はジェリー・ラファティの「霧のベイカーストリート」が聴けること、マスターが笑わないこと。変わったものは向いにあったロック喫茶「めいじどーり」が無くなったこと、棚のボトルキープのメインの酒がサントリーホワイトからタンカレーに、テーブルのランプシェイド、スピーカーと自分の年齢ぐらいか。

その店「GRAND FATHERS」は渋谷明治通りの東急インの右隣の雀荘が四軒も入居している古いビルの急な階段(いったいオープン以来何人が踏みはずしたのだろう)を降りた地下にある。1978年頃にはすぐそばに遠藤賢司の店「ワルツ」があり、そこで焼酎「銀河」の一升瓶を呑みながらピラミッド・カレーを食べてからこの店に流れたものだ。この店出身のあるいは影響されたロック・バーは少なくない。今は無き自由が丘「グラファン」で皿を回していたO氏自由が丘「エンドルフィン」を、新宿「LONG RUN」のT氏は「GRAND FATHERS」に憧れて店を作った(一年で潰れてしまったが)。

今でも当時通っていた友人たちと時々この店に行く。齢五十も間近の永遠のロックンロール少年・少女達は店に入ったとたんに二十数年前の自分に戻る。心なしか皺も減り、髪も増え始めているようだ(店の明かりが暗いからなのだが)。そしてある者はアル・クーパーの1973年の名盤NAKED SONGSの「As the Years Go Passing By」を、僕はエリック・クラプトン24歳の時に結成したブラインド・フェイス「Presence Of The Lord」をリクエストしながらアタリメを齧る。バーは時にタイムマシンにもなるし、若返りのサプリメントの代わりにもなるのだ。














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ビル・マーレイの後ろ姿

2007-02-09 | 音楽
評判が悪かった「BROKEN FLOWERS」は好きな映画だけどエンディング近くのこのTシャツ後ろ姿は特に印象的だ。「LOST IN TRANSLATION」の時は迷彩のTシャツだったけど今度は白T。好きだったジュリー・デルピーは演出なのかあまりに老けていて最初わかりませんでした。色違いのフレッド・ペリーのジャージも笑えるけど「ドン・ジョンソン」と間違えられる「ドン・ジョンストン」っていまどきどのくらいの人がわかるのかなと心配。サントラもおすすめです。
ドンのラストのセリフも興味深い。

「過去はもう終わってしまったんだ。未来はまだこれからどうにでもなる。だから大事なのはつまり現在だ。」
"Well, the past is gone, I know that. The future isn't here yet, whatever it's going to be. So, all there is, is this. The present. "




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