猟盤の日々改めDEADMAN IS ALIVE!

ヴィニル・ジャンキーの猟盤話から死んだ人の話を経て、呑み屋の話になったり、ギターの話になったり。。。

Digital Gadgets Freak じゃないけれど。。。。

2009-11-13 | 写真・カメラ
生まれて初めて買ったデジ物っていったい何だろう、とふと思った。
たぶん1977年頃のテキサスインストルメンツ製電卓、10cm×7cmぐらいで厚さが2cmあった。もちろん液晶はまだ無くて赤い光電管みたいなもので表示していた。
 
1981年発売された当時49,800円もしたローランドの電子ドラム、TR-606はとんでもないポコポコ音なんだだけど最近人気があってヤフオクでは高値で取引されてる。
1982年のCASIO腕時計型英和和英ウォーキングディクショナリーT-1500、単英語、熟語1666語、日本語1666語収録(笑)、まったく実用にならなかったが結構評判になった。
デジタルのカシオからはもうひとつ「カシオ・ホーン」、音源、スピーカー内蔵のウインドシンセサイザーで1988年製、MIDI端子付きで他のシンセにつないで、その音源で鳴らすこともできる。最初の電卓以外はまだ所有。

                

      

手帳をデジタルにしたのが1993年、シャープのPA-X2というICカード付きのもの(上左)、 記憶容量なんとたったの32KB!1994年にはザウルスPI-4000に移行、メモリー544KB、価格は奇しくも2009年のiphone3GSとほぼ同じ75000円。
1996年にはPI-6500、ついに1MB。アップルのニュートンはデカイなぁと横目で眺めながら21世紀に入って、会社のサイボウズとシンクロできるVISOR DELUXEにチェンジ、Palmやクリエなどの選択肢もあったがスケルトン好きの僕としてはiMACみたいなデザインが気に入って延べ三機購入、二つはロッカーに眠っている。

携帯については1997年のJ-PHONEの世界初の携帯メール・サービス、SkyWalkerのインパクトは大きかった。それまでDOCOMOユーザーだった僕や友人たちは一気にキャリア・チェンジをしてJ-PHONE同士でしかできない携帯メールにで毎日遊んでいたのだ。そして最初のデジカメは1999年、キヤノンのOEMのパナソニック・ブランド、30万画素、固定焦点、メモリーは本体内のみ。でもマクロは意外にきれいでしょ。もう一枚はその頃のキリンジのライブの帰りのタクシーの中から。



そして2009年5月、Iphone3GS購入。最初は何がなんだかわからなかったのが今では手放せなくなっている。これでサイボウズとのシンクロできたら最高なんだけど。カメラの評判はあまりよくないけど、ちょっとアンダーめの写りで悪くない。

冒頭の写真と「そば」はiphoneで撮った渋谷の地下ともうすぐ壊されてしまう東銀座の歌舞伎座の左奥にある立ち食いそばやみたいな(座れるんだけど)「歌舞伎そば」の名物「もりかき揚げ」、1日中、親父が中腰でそば茹でながらかき揚げを作ってる。おばさんはクールで無口、笑っているのを見たことが無い。揚げたての超クリスピーで熱いはずのかき揚げを親父は手で割って、そばの周囲に置く。新しい歌舞伎座になっても残ってほしい店。




その向かいの寿司やの二階に在ったのが日本初のアップル・ニュートンショップ、1999年5月8日にひっそりと閉店した。



コメント
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