猟盤の日々改めDEADMAN IS ALIVE!

ヴィニル・ジャンキーの猟盤話から死んだ人の話を経て、呑み屋の話になったり、ギターの話になったり。。。

ロング・ジョン・ボールドリー 64歳 RIP

2005-09-20 | 訃報
ロッド・スチュワートが師と仰ぐ英国のロックシンガー、LONG JOHN BALDRYが7月21日に亡くなっていた。

「英国のR&Bアーティストで、ロッドをシンガーとしてスカウトしたことでも有名なロング・ジョン・ボールドリーが7月21日、バンクーバーで死去しました。ボールドリーは胸感染症で4カ月間の闘病生活を続けていました。享年64歳。」(スマイラーより)
彼はジュリー・ドリスコールもいたスティームパケットでモッズファンにも知られていますがエルトン・ジョンがメンバーだったブルーソロジーも彼のグループです。写真は去年自由が丘の中古盤屋で買った1971年の名作「It Ain't Easy」。A面ロッド、B面エルトンのプロデュースです。ロッドは入院費を負担したり、死の直後の7/29にバーミンガムでトリビュート・ライブをやったり最後までリスペクトしていたようです。ええ話やなぁ・・・。
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ローレル・エイトキン 78歳 R.I.P.

2005-09-18 | 訃報
Laurel Aitkenが亡くなっていたの知らなかった。

「“ゴッドファーザー・オブ・スカ”と称される、ジャマイカン・ミュージックのパイオニア、ローレル・エイトキンが、 7月17日、心臓発作のためイギリスで亡くなった。 78歳だった。
ローレル・エイトキンは1927年キューバ生まれ。 1938年に父の故郷であるジャマイカに定住し、以降、音楽のキャリアを積み重ね、 1960年、イギリスに移住。来日は2002年のツアーが最後となった。」

彼の名前を初めて知ったのは70年代終わり、今まで聴いてきた60年代からの流れを汲むブルースベースのロックが衰退しパンクロックが台頭してきた頃だ。20代半ばの僕にはそれをなかなか理解できず好きでもなかった。その時、英国で2TONEレーベルを中心としてスカブームが起こり、そこからSTELL PULSEなどのパンキッシュな英国レゲエにはまっていたのだ。スペシャルズ、マッドネスなどのメンバーはいつもエイトキンの名前を口にしていた。
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三百人劇場 2006末、R.I.P.

2005-09-14 | 訃報
東京・本駒込の三百人劇場、06年末に閉館・取り壊しが決ったらしい。ここで1977年に映画「鬼火」を観た。

「鬼火」(仏1963) Le feu follet
ドル・ラ・ロシェル原作、ルイ・マル監督。モーリス・ロネ(写真)がピストル自殺するまでの話。マルの初期26歳の時の作品では、なぜかこの作品だけ日本未公開でした。エリック・サティの曲が全篇で流れるこの映画はいまだに僕のフェバリットの1つです。観ても忘れてしまうような映画が多いけど巣鴨の駅から当時のガールフレンドと歩いて三百人劇場に行った事は妙に明確に記憶しています。モーリス・ロネの部屋で自殺する夜着ていくワイシャツを選ぶシーン最高。ちなみに最近「鬼火」という焼いも焼酎を発見、でもあんまり酒屋ではみない。

 「演劇上演や、名作映画の上映などで親しまれてきた東京都文京区本駒込の「三百人劇場」(257席、建設当時は302席)が老朽化のため、06年末で閉館することが決まった。
同劇場は、劇作家・評論家の故福田恆存氏らが設立した財団法人現代演劇協会が74年に建てた。財団付属の劇団昴(すばる)が拠点にしている。近年、建物の傷みがひどくなり、建て替えは経済的に難しいため、閉館・取り壊しを決めた。
同劇場は昴による海外名作や日本の創作戯曲の上演のほか、全国の地域劇団や海外劇団を招くなどの活動をしてきた。90年代からは聴覚・視覚障害者のために字幕や音声ガイドを採り入れ、バリアフリー劇場の先駆けでもあった。映画にも力を入れ、海外作品や日本の名画を数多く特集上映。故古今亭志ん朝さんの落語の定期公演もあった。
07年以降、昴は別の拠点を探して活動を続けるが、詳細は決まっていない。」(ASAHI.comより)

無くなってしまった映画館も多い。渋谷全線座(真っ暗な二階はゲイの溜まり場でした)、改装前の池袋文芸座地下、テアトル新宿など見た映画まで憶えているものです。
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