猟盤の日々改めDEADMAN IS ALIVE!

ヴィニル・ジャンキーの猟盤話から死んだ人の話を経て、呑み屋の話になったり、ギターの話になったり。。。

ロバート・モーグ 71歳 R.I.P.

2005-08-24 | 訃報
シンセサイザーの発明者モーグ博士が8月21日亡くなった。
「ロバート・モーグさん(シンセサイザーの開発者)が21日、米ノースカロライナ州アシュビルの自宅で死去、71歳。家族によると、脳腫瘍(しゅよう)を患っていた。
AP通信などによると、64年に電圧を制御して様々な音を生み出すキーボード付きのモーグ・シンセサイザーを開発。幅広く使われた最初のシンセサイザーとされ、現在の電子音楽の隆盛に道を開いた。」(朝日新聞より)
20世紀に生まれた楽器ではエレクトリック・ギターとシンセサイザーがたぶん二大巨頭だろう。ハモンドオルガンを始めソリーナ、クラビネット、メロトロンと色々なキーボードが出現したがやはりシンセの発達はすさまじい。僕が実際にステージで見たのは1972年のエマーソン・レイクアンドパーマーの後楽園でのコンサートだった。
「1964年には最初のモジュラー型シンセサイザーである“Modular Moog”を披露したが、最初にこのサウンドが一般に知られたのはウェンディー(当時はウォルター)・カルロスの「スイッチト・オン・バッハ」(1968年)。それ以来、多重録音によるクラシック音楽の構築では冨田勲が、ポピュラーミュージックへの導入ではビートルズの「アビー・ロード」(1969年)における“Here Comes the Sun”や“Maxwell's Silver Hammer”、そしてリアルタイムでの音色変更やパフォーマンスの可能性ではエマーソン・レイク&パーマーでのキース・エマーソンが宣伝塔となった。
音色の創出だけでなく、Moogシンセサイザーは、コントローラにおいても画期的なアイデアを生み出している。ピッチをコントロールするために用意されたリボン・コントローラや、ホイールは多くの競合製品でも使われ、ホイールのピッチベンドを使うことによりギター並みの表現力を備えたヤン・ハマーなどのパフォーマーを生み出した。」(ITmediaより)
ロキシーミュージックでもイーノが派手に使ってました。ムーグのロゴ入りTシャツでも買おうかな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

LOST BARS~「失われた酒場たち」

2005-08-18 | 食い物・バー
六本木で髪を切りに行って、たまたま雑誌BRIOをめくっていたら今はもう無くなった新宿のバー「ナジャ」の話は載っていた。バーや飲み屋も人間と同じで寿命はある。「失われた酒場たち」の話でも少しだけ。「ナジャ」は1970年代にクローズした新宿二丁目にあった伝説のバーで四谷シモン、金子國義をはじめとする当時の若いアーティストや映画・文学関係者が集まっていた店で僕も高校の時にある人に1回だけ連れていってもらったことがある。今は三丁目に元状況劇場の方が受け継いでいるようだけど僕はまだ行ったことがない。
店というのは無くなってしまうと忘れてしまうものだけど面白い飲み屋は語り継がれていくべきだと思う。たとえば僕の中にはこんな「LOST BAR」リストがある。どれもよく通ったところだ。
新宿:ジャックの豆の木、ナジャ、五十鈴、LONG RUN、サブマリン、バッカス、やじろべえ、69、ニューさざえ
渋谷:SAV、ワルツ、めいじどおり、青い森、ギャルソン、ナイロン100%、
原宿:カルデサック、ピテカントロプス、DJ STONE、レオン
青山・六本木:クーリーズクリーク、Q'S BAR、TAXI LANE、人間喜劇、サルパラダイス、MIX、etc......
新宿ナジャのママ、古田真理子さんの娘、そのみちゃんが今もやっている新宿二丁目のアイララに頻繁に通いだし、臨時DJまでやることになったのはナジャに行った十年以上後となる。僕がリスペクトするDJの一人のコージさんが入院して代わりに土曜日にレコード回していたある晩、ドアが開いてひとりの男が入って来た・・・。その時の話をある雑誌に書いたことがある(写真)
http://homepage3.nifty.com/boavista/news/decoplus02.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする