猟盤の日々改めDEADMAN IS ALIVE!

ヴィニル・ジャンキーの猟盤話から死んだ人の話を経て、呑み屋の話になったり、ギターの話になったり。。。

スイングジャーナル 63歳 R.I.P

2010-05-19 | 訃報
Swing JOURNAL ( スイングジャーナル ) 2010年 01月号 [雑誌]

スイングジャーナル社

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「60年以上の歴史を持つジャズの専門月刊誌「SwingJournal(スイングジャーナル)」が6月発売の7月号をもって休刊することになった。スイングジャーナル社は、20日発売の6月号で休刊を発表する。

 同誌は1947年6月に創刊。多くのジャズファンに愛されてきた。同社によると、70~80年代には約30万部を発行していたが、最近は部数が低迷。CDの売り上げが激減した影響で、レコード会社からの広告出稿も減っていたという。姉妹誌の音楽雑誌「ADLIB(アドリブ)」も4月発売の5月号で休刊したばかりだった。

 スイングジャーナルの三森隆文編集長は「長い歴史を持つ雑誌だけに、今後も復刊の可能性を探っていきたい」と話している。」(毎日新聞)

紙での復刊は難しいとは思うけどiPadが継続してほしい雑誌の寿命を引き延ばしてくれるのは確かだ。特に音楽雑誌は昔のインタビューやライブ・レビューなどの宝の山で紙ではできなかった過去のアーカイブも可能だし。

山口至剛氏による「スイングジャーナル」「ADRIB」のアート・ディレクションも好きだった。雑誌のロゴは重要だ。マガジンハウスの「アンアン」「ポパイ」「ブルータス」「オリーブ」などタイポグラフィを制作した故堀内誠一氏と並ぶんじゃないかと思う。20代の頃、山口氏の仕事場に発注していたロゴタイプを受け取りにお伺いしたことがある。大量のジャズのレコードのジャケットを眺めながら、仕上げを待っていて唯一、僕も持っているものを見つけた。それはアート・リンゼイやアントン・フィアも参加していたジョン・ルーリーのラウンジリザーズの1stアルバムだった。
雑誌づくりの決定的瞬間 堀内誠一の仕事―an・an BRUTUS POPEYE 雑誌の黄金時代をつくったアートディレクター堀内誠一

マガジンハウス

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Lounge Lizards

Plan 9/Caroline

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雑誌もそうだけどジャズ喫茶もずいぶん減った。昔、渋谷の百軒店にはティーブ釜萢(ムッシュのパパ)が経営していたジャズ学校があったせいで、その周辺は10軒近くジャズ喫茶があったらしい。僕が知っているだけでも「ジニアス」「デュエット」「SAV(サブ)」「スゥイング」「音楽館」「ありんこ」やステージのあるジャズ・ライブハウス「オスカー」などなど。今、残っているのは「ミンガス」ぐらいかな。高校卒業の時、同級生のジャズ・ピアニストが「オスカー」にレギュラー出演していたので、貸切にして卒業パーティーをやったことがある。バンドは僕がギターを弾いていたロックバンド、男女200人以上集まってみんな酔っ払って下手な演奏で踊っていた。

現存するジャズ喫茶で日本一(いや、世界一かな)音がいいといわれているのが岩手県一関市にある「ベイシー」。オーナーの菅原正二さんとは、ある仕事で一緒にニューヨーク郊外のカウント・ベイシーの墓参りに同行したことがあって、後日「ベイシー」を訪れた。 ターンテーブルの周辺には100個ぐらいカートリッジが置いてあって、10個に1個ぐらいの「あたり」を探すらしい。店の奥のうらの棚には予備のJBLのウーファーがいくつも保管されていた。

菅原さんは最初、クラシックのレコードかけたりしながら徐々にジャズのメインストリームに向かって行く。音を言葉で表すのは難しいが大音量でもうるさくなくてナチュラル&ピュアっていう感じかな。あのシステムでZEPやニール・ヤングが聴きたくなった。百聞は一見に如かず、一度、「ベイシー」へ。この本も必読!
ジャズ喫茶「ベイシー」の選択―ぼくとジムランの酒とバラの日々 (講談社プラスアルファ文庫)
菅原 正二
講談社

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コメント (2)
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