猟盤の日々改めDEADMAN IS ALIVE!

ヴィニル・ジャンキーの猟盤話から死んだ人の話を経て、呑み屋の話になったり、ギターの話になったり。。。

アイ高野 55歳 R.I.P

2006-04-05 | 訃報
元カーナビーツのドラムス、アイ高野がなくなった。
「アイ高野さん(あい・たかの=ザ・カーナビーツのボーカル、ドラマー、本名高野元成=たかの・もとなり)が1日、心不全で死去、55歳。葬儀は4日午前11時30分から東京都大田区西糀谷3の43の11の白蓮蒲田ホールで。喪主は母野中香寿子(のなか・かずこ)さん。後日、音楽葬を予定している。
グループサウンズのザ・カーナビーツでデビュー。67年「好きさ好きさ好きさ」がヒットした。「お前のすべてをー」とスティックを差し出すポーズで知られた。解散後、ザ・ゴールデン・カップス、クリエーションなどのバンドに参加した。」(朝日新聞より)
宮川泰よりもこっちのがびっくりした。一昨年公開した「ザ・ゴールデンカップス ワンモアタイム」テアトル新宿も本牧も映画館公開を逃し未見です。
http://www.altamira.jp/goldencups/conts/movie/intro/intro.html
↑アルタミラピクチャーのwebぜひ見てください。その中に
「アイ高野/ドラムス  在籍期間:('70~'72)
中学生のころから横浜の音楽シーンに惹かれて、15歳の時に、横浜の有名クラブ『レッド・シューズ』のハウス・バンドでドラムを叩く。アイ高野16歳の時に結成したザ・カーナビーツは、67年6月「好きさ好きさ好きさ」でレコード・デビュー。曲のブレイク部分でアイ高野のドラム・スティックを突き出す決めポーズが話題となり、一躍人気グループとして脚光を浴びた。69年秋にカーナビーツ解散後、エディ藩と出会いエディ藩グループに加入するが、同年末には解散となり、翌70年1月、エディ、ケネスと共にゴールデン・カップスに参加する。カップスには72年1月の解散まで在籍。」
とあります。なんと16歳だったんですね。「アイコ16歳」のルーツここにあり。本当にいい声していた人です。余談だけどデビューした67年頃、レーサーで「高野ルイ」という人がいてロータスエランでよくレース出ていて今は無き船橋サーキットのでよく見ました。
合掌。
コメント
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