猟盤の日々改めDEADMAN IS ALIVE!

ヴィニル・ジャンキーの猟盤話から死んだ人の話を経て、呑み屋の話になったり、ギターの話になったり。。。

眞木 準 60歳 R.I.P

2009-06-25 | 訃報
胸からジャック。 心にささる一行メッセージのつくりかた。
眞木 準
大和書房

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伊勢丹のキャンペーンなどで知られているコピーライターの眞木 準氏が6月22日、急性心筋梗塞で亡くなった。翌日には知人から訃報を聞いたのだが新聞にも掲載されないので不思議だった。密葬が終わるまではオープンにされなかったようである。ついこの前このブログで眞木さんの前に伊勢丹のコピーを担当していた土屋耕一さんの訃報を書いたばかりだ。

山下達郎さんの小さなライブなどでよくお会いした。映画「ロストイントランスレーション」では出演しているのを知らずに見て笑わせていただきました。僕は眞木さんの「恋」「愛」がらみのコピーがとても好きだ。

「恋を何年、休んでますか。」「何人まで愛せるか。」「 恋が着せ、愛が脱がせる。」「ダイエットには、甘い恋を。」「恋さえあれば、愛などいらない。」「失恋は、何度やっても、やめられない。」「二十世紀で最後の恋かも。」「カンビールの空カンと破れた恋は、お近くの屑カゴへ。」「去年の服では恋もできない。」

特に伊勢丹の1990年頃のキャンペーン、

「恋を何年、休んでますか。」

はドミニク・イッセルマン(Dominique Isserman)の素晴らしいモノクロ写真とともに大好きだった。そして10年後TBSのトレンディードラマのタイトルとなり、最近シンガーソングライターのレナード・コーエンとドミニクが以前、恋愛関係にあったことを知った。最後にやはり彼の伊勢丹のコピーを突然の死に捧げます。

「ハッピーエンド、始まる。」 

 

 

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コダクローム 74歳 R.I.P

2009-06-24 | 訃報
ひとりごと(紙ジャケット仕様)

ワーナーミュージック・ジャパン

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《コダックの名フィルム「コダクローム」、74年の歴史に幕》

ニューヨーク(CNNMoney)『米写真用品大手イーストマン・コダックは22日、74年の歴史を持つカラーフィルム「コダクローム」の製造打ち切りを発表した。コダクロームは米歌手ポール・サイモンの歌にも登場し、著名写真家が愛用するフィルムとしても有名だった。
コダクロームは1935年に発売され、カラーフィルムとして初の商業的成功を収めた。しかし今ではデジタルカメラの全盛に押され、同社のスチルフィルム事業に占める売り上げは1%足らずとなっていた。

在庫品の供給は秋ごろまで続く見通し。コダクローム以外のカラーフィルムは引き続き製造する。
ポール・サイモンは1973年の曲「コダクローム」で、「ママ、僕のコダクロームを取り上げないで」と歌った。

同フィルムを愛用していた米著名写真家のスティーブ・マッカリー氏は「私のキャリアの初期のころはコダクローム一色だった」との談話を発表。手元に残る最後のコダクロームで写真を撮り、ニューヨーク州にあるジョージ・イーストマン写真博物館に寄贈する意向を明らかにした。』

1980年前後、B倍ポスターの広告写真で35MMカメラ+コダクロームを使うのが流行ったことがある。小さなポジを何百倍にも拡大して印刷するのだから粒子も荒れるのだが独特の色味とコントラストで写真中心のグラフィック広告全盛の時代とともに一世を風靡した。ISO64という低感度、確かにシャドーの表現などは他のリバーサルフィルムとは違う感じかして、決して現像費を入れると安くなかったんだけど無理して使っていた。
 
そのコダクロームも74歳、臨終を迎えた。古い銀塩のコンタックスの1眼レフ159MMワインダー付きにもずいぶんご無沙汰している。ちょっと棚の奥から引っ張り出してやらなければ、と思わせる訃報だった。
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三沢光晴 46歳 R.I.P

2009-06-15 | 訃報
理想主義者
三沢 光晴
ネコ・パブリッシング

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<プロレスラー>三沢光晴さん死亡 試合中倒れる 
6月13日22時1分配信 毎日新聞

「13日午後8時半ごろ、広島市中区基町の広島県立総合体育館であったプロレスリング・ノア広島大会で、試合中にノア社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が倒れ、心肺停止状態で広島大学病院に救急搬送された。県警広島中央署によると、同10時10分に死亡が確認された。同署は主催団体や対戦相手などから事情を聴いている。

 大会関係者や観客によると、三沢さんはこの日タッグマッチに出場。相手のバックドロップを受けて頭を強く打ち、動けなくなった。レフェリーが三沢さんに「動けるか」と聞いたが、三沢さんは「動けない」と答えた。試合はそのまま中断。医師だという観客の男性が自動体外式除細動器(AED)で蘇生を試みたという。当時、約2300人の観客がいた。

 三沢さんは栃木・足利工大付高でレスリング部に所属し、81年に全日本プロレスへ入門。84年にマスクマンのタイガーマスク(2代目)となり、人気を博した。90年からはマスクを脱ぎ、本名で活動。ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田両選手(ともに故人)に次ぐエースとして活躍した。00年に全日本を退団してプロレスリング・ノアを設立し、社長を兼務。受け身のうまさには定評のあるレスラーだった。」

NTVがノアの中継放送を打ち切って以来、見ることも減ってしまったのだが乱立している日本のプロレス界では珍しくビジネス感覚のある三沢社長は堅実にノアを運営していた印象がある。アマゾンで関連本を探したら単行本だけで6冊もあった。
高山善廣あたりだったら、そんなにびっくりしなかったかもしれないが三沢の場合はちょっとショックだ。日本でマット上で団体のエースが亡くなったのは今度が初めてではないか。通常マット界で46歳にもなれば第一線からは引き、受身の難しい危険な技はあまり受けなくなる。アントニオ猪木は同じ年齢のとき長州力とのシングルマッチで完璧なピンフォール負けを喫し、ほぼ引退状態となった。三沢の場合、社長兼任でエースということで満身創痍に加えかなり無理をしていたのかもしれない。

三沢光晴アクシデント後  倒れた後のマットでずっと動かない三沢の映像、あまりにも悲しい。

三沢タイガー マスクを脱ぎ捨てる2/3 1990年 伝説の谷津・冬木組対タイガーマスク・川田組でのマスクを取って「三沢」になる瞬間の映像でも見て偲んでください。

冬木、橋本、鶴田、馬場みんな鬼籍に入った。そして猪木寛至はいまだに元気なようだ。
ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、天龍源一郎の三人からピンフォールを奪った唯一の日本人レスラーに合掌。
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デビッド・キャラダイン 72歳 R.I.P

2009-06-08 | 訃報
[バンコク/ロサンゼルス 6日 ロイター] 
『今月4日にバンコクのホテルで裸で首をつって亡くなっていたのが見つかった米俳優、デビッド・キャラダインさん(72)の家族が、遺体発見についての情報が錯綜する中、米当局に死の原因を解明するよう求めた。
デビッドさんの兄で俳優のキース・キャラダインさんの代理人を務める弁護士、Mark Geragos氏は6日、家族が米連邦捜査局(FBI)に連絡を取り、タイ当局から詳しい情報を得るよう公式に依頼したと述べた。
検死官が毒物検査の結果を待つ一方で、タイのメディアは死因として自殺と自慰行為中に偶然死亡した可能性を指摘している。一部報道では、コードが性器に巻きつけられ、両手は後ろで縛られていたなどと伝えているが、確認されていない。
俳優一家に育ったキャラダインさんは、1970年代に米テレビ番組「燃えよ!カンフー」で主演し、映画「キル・ビル」などへの出演で知られる。タイには映画撮影のため滞在していた。』

 最近であればタランティーノの「Kill Bill」のビル役で有名だけどB級映画の名プロデューサー、ロジャー・コーマン1975年製作「デスレース2000年」のデビッドの方がカルト的人気があって不思議な映画。それにしても死因が謎、72歳にもなってねぇ。彼の弟、キース・キャラダインはシンガーソングライターとしても有名、大好きな映画ロバート・アルトマン監督の「ナッシュビル」では「I'm Easy」という曲も劇中のステージで歌っていて、なんとアカデミーとゴールデン・グローブの主題歌賞を受賞している。
Keith Carradine/I'M EASY
デビッドは女優バーバラ・ハーシーと1992年に結婚してすぐ離婚しているのだが、バーバラといえばやっぱり1969年のデビュー作「去年の夏(Last Sumeer)」!夏休みの間の、男女の高校生が島の別荘で生活している間に起きる残酷で切ないできごとの話なんだけど、原作はエヴァン・ハンター(エド・マクベイン)だ。
ラスト・サマー(サントラ)

ダブリューイーエー・ジャパン

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10代の時に吉祥寺の汚い映画館でアントニオーニの「砂丘」との二本立てを観たんだけど高校生役のバーバラが妙にエロチックでドキドキした覚えあり。後年、音楽をジョン・サイモンが担当していて、ザ・バンドのメンバーも演奏に参加している事を知った。冒頭の画像はHollywood Walk of FameでDavid Carradineの星に捧げられた花。(c)AFP/ROBYN BECK

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ビニル盤DJの日々

2009-06-01 | 音楽
今年に入ってからDJ:Nagamix達とのDJが続いてます。最近のCDJは操作性も音もいいので若いDJ達はCDを使用するのに何の抵抗もないんだけどだが、僕らはいつもVinyl盤。特に歌謡曲ナイトはアナログでないとジャケット写真の面白味もないし。経年変化をした紙やレーベルがまた楽しいのだ。
 
昨年末の「ホーボーナイト」から1月30日、渋谷イヴァンでの「新年だヨ!歌謡曲ナイト」、4月10日が「花見だヨ!歌謡曲ナイト」六本木LA35、客で行ったCF制作会社パラゴン主催の「白金円盤倶楽部」@白金ケセラと来てついに新宿アイララでの「世界舞踏音楽祭:World Music DJ」を5月28日に決行。

僕、Nagamix、Sweden綱脇というDJに加え店のハウスDJ、 Kojiさんの4人で21時から28時まで。平日で雨の新宿二丁目ながらサルサ、ルンバ、マンボ、アラブ、スペインと世界中の音楽かけまくりでお客さんも満員、コンガ叩くわ踊るわと大盛況。
初めてアイララに来た人も多くてあのロケーションと怪しさにやられてました。

そして6月12日は恒例「ロックの日」、ほんとは6/9がいいんだけど火曜日なので12日です。場所はいつもの渋谷スンダランド、何かけようかな、という前に「選曲より動員!」が大事。
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