A.音の記憶Ⅹ 矢野顕子2
音楽において創造性とはなんだろう?音楽には、近代西洋で確立された音階と調性という理論ががっちりあって、歌にせよ楽器にせよ曲を作るにはこのルール、つまりドレミファを使って始まりから終わりまで、一貫したコンセプトのもとに調和し統一された秩序を保つのが良い音楽だという観念が支配していた。ぼくたちは子どもの時から、そういう完結し心地よい音楽を聴かされて育ち、これが音楽というものの楽しみであり、それは次々でてくる新しい音楽にも基本で共通していると思っている。しかし、そうだろうか?
矢野顕子という人の作った曲を聴くと、そういう音の理論をよく知りながら、あえてそこを逸脱するような契機があちこちに出てくる。例えば、初期の「カタルン カララン」。
カタルン カララン 作詞:菊地まみ,HOOTA & 矢野顕子 作曲:矢野顕子 1978
カタルン カララン Cd. F -F/A -B♭ -C
カタルン カララン
カタルン カララン
むずかしくない このコトバ Gm7 -Dm7 -Gm7-Am7-Dm7
はずかしくない ほらウタエ Gm7 -Dm7 -Gm7-Am7-Dm7 –F-C/F –Dm7
はちさん はちさん ささないで A♭ –Fm –B♭m7 –Cm7 –D♭ – E♭
はちさん はちさん ぼくこわい A♭ –Fm –D♭ –Cm7 –Fm7
はちさん はちさん ささないで
はちさん はちさん ぼくこわい
カタルン カララン F -F/A -B♭ -C
カタルン カララン
カタルン カララン
カタルン カララン
カキクケコ
この曲は、最初の「カタルン カララン」の部分はF、つまりヘ長調なのだが、「はちさん はちさん」は転調してA♭つまり変イ長調で書かれている。歌詞はとくにこれといった意味はなく、音の遊びに乗せただけだが、はちさん はちさん ささないで、にくると急に童謡か民謡のような局長に変わり、この2つの異質な部分がつなぎのアドリブでひとつの曲に収まっている。この始まりのコード進行は、F、B♭、F、Cとブルー・ノートに近い。
「山下洋輔:伝説のプレイヤー、ジェリー・ロール・モートンにインタビューしたアラン・ロマックスという研究家がいて、音源には彼が収録した昔のワークソングも使っています。実際に奴隷が歌っているのか、録音に鋤の音まで入ったワークソングもあったし、アラバマの黒人の子どもたちの遊び歌や牧師の説教、そういう音も全部聴いて採譜しました。そこで発見したのは、同じような音の動きがどの音楽にも出てきたことです。それらの音が西洋音楽のドレミと出会ったらどうなるかを問いにして、解析していきました。
その音の動きである”ブルースの節”というものは、ただそれだけでじゅうぶんに印象的なフレーズです。しかも、その動き方には独自のルールがある。一方、西洋の和音進行にも自らのルールで動く性質がある。つまり、互いに関わらないし、交わらない。それらの関係し合わないものが同時に音として鳴る。そして、それぞれが音楽の終わりに向かっていき、到達地点で初めて一致する……。
相倉久人:異なる性質の音が同時に存在する、ということですね。
山下:そうですね。対位法の究極のあり方とも言えます。西洋音楽ではどの瞬間においても合理的に説明できる論理を求めますが、ブルーノートにはそれがないのです。常に次の瞬間に向かって動いていて、ある瞬間に何が起ころうと何が生まれようと構わない。そして、最後にスパッと決着する。そういう構図になっているんです。
相倉:一般的な音楽額では、ヨーロッパ的な和音進行ですべてを説明しようとします。論理的でないことさえも、強引に(笑)。しかし、この考え方では、合理的でないものは「例外的なもの」にされてしまう。音楽には、「例外」という言葉で括ってしまうにはあまりにもったいないものがある。山下さんは、それをひとつひとつ、丁寧に拾い上げましたね。論文を読んで、「そうか、そんなシンプルなことか」と大いに納得しました。
山下:ぼくが行き着いたのは、ある意味で最も簡単な結論なんです。ブルーノートの節と和音は別々に生まれ、そして別々に存在した。西洋の和声論では、初めに「音階ありき」で、そこから「和音が生起」し、このメロディにはこの和音が含まれる」とその場面ごとに一致しなければいけないのですが。
相倉:五十年ほど前までは西洋音楽的な分析方法が主流で、すべてにおいてその理論が有効だという思い込みがありました。だから、基本的なことほどないがしろにされて、いたずらに複雑化されてしまう。面白いことに、黒人のミュージシャンも同じように思い込んでいた。ルーツといわれる本人たちさえ、気付かずにやっていたんですね。
山下:そうでしょうね。西洋合理主義の問題は別にしても、西洋哲学で社会の仕組みをすべて解明しようという流れは、十九世紀から二十世紀にかけてずっと続いてきました。音楽も当然、その中に含まれます。それに疑問が投げかけられるようになったのは、六〇年代あたりからじゃないですか?」山下洋輔・相倉久人『ジャズの証言』新潮新書、2017. pp.35-37.
ブルースはアメリカ南部で黒人たちが労働の中で口ずさんだ唄からできてきた音楽で、彼らを奴隷として働かせた白人のように、西洋音楽の知識とは無縁の人々から始まった音楽である。典型的なブルースを、ドレミの音階に置いてみるとだいたい3つか4つのコードしかない。F-BluesだとF-B♭-F B♭-F D –Gm-C-F –D –Gm –C という具合で、これにブルーノート・スケールのメロディを乗せると哀愁のある独特の曲ができる。山下洋輔はこれを研究して、その発祥が西洋音楽とは別の所から出てきたことを理論的に追求しようとしたのだという。(「ブルー・ノート研究」1969)
矢野顕子の音楽は、ジャズ以外にもロックやクラシックから日本民謡まで、いろいろなものが混交していると思うが、どんな音楽の形式でも自分流に乗りこなしてしまううちに、無意識に出てくる何かがある。やっぱりこういうのを創造性と呼ぶのだろう。
B.「テロ」「テロリスト」との戦い、はいかにして可能か?
国会を多数の力で強引に制圧する与党のやり方は、またも今度は「共謀罪法案」を成立させてしまったが、これはオリンピック開催に備えてテロを防止するための措置なのだというのが、政府の説明だった。果たしてこれがテロ防止に役立つのか?国際的組織犯罪防止の条約批准に必要だという理由はほんとうなのか?いろいろ疑問や納得できない点が多い法案でも、大丈夫、心配ない、私が責任もってやるのだから全部任せろ、文句があっても相手にしない、という態度は一貫していた。
さて、そもそも「テロ」とか「テロリスト」という言葉は、現代社会をいきなり恐怖に叩き落す邪悪な闇の組織のように考えられているが、なにが「テロ」で、どういう集団が「テロリスト」かを確定しようとすると、簡単にはいかない。IS(イスラム国)は国家を名乗っているが、少なくともその支配下にある人民を皆殺しにしたのでは自滅するだろうから、味方と敵を仕分け、敵にはあらゆる手段で攻撃するが、味方には保護と恩恵を与えるだろう。彼らには、敵こそテロリストであって、自分たちは正義の戦士だということになる。「テロ」という言葉について、立場しだいで都合よく変わってしまうのでいいのだろうか?
「月刊安心新聞 テロの「恐怖」の拡散:予防措置 正当化されやすく 神里達博
世界中でテロが続いている。
ここ1カ月間のヘッドラインを見るだけでも、マンチェスター、カブール、ロンドン、テヘランと、多数の犠牲者が出た。現代におけるテロは、一般市民に対する暴力という形態をとることが増えており、ただただ卑劣な行為だ。しかし、このようなテロの「無差別性」は、比較的最近の傾向である。
テロリズムの語源がフランス革命期の「恐怖政治」にあることは本コラムでも以前指摘したが、テロは歴史的には、いわゆる「要人暗殺」として実行されることが多かった。たとえば、第1次世界大戦の契機となったオーストリア皇太子の暗殺は、典型的なテロ事件である。かつては国王や大統領と言った、権力を体現する存在がしばしば狙われたのだ。
このようにテロの形態も、時代や社会状況で変化するため、「テロとはそもそも何か」という問いに答えることを難しくしている。だがテロを定義づけることの困難は、他にも原因がある。一つ例を挙げよう。
戦前の国際連盟は、テロの頻発に対処するため、1937年に「テロリズム防止及び処罰に関する会議」を開いた。その際に「テロの定義」を試みているのだが、結局、条約の中にそれを組み込むことはできなかった。その背景には、定義に縛られたくないという各国の思惑があったようだ。仮に自国が支援する海外の組織が、当該国で「テロリスト」として認定されると、処罰する必要が生じるわけだが、それでは具合が悪いと考えたのだ。そこには「自国にとって利益になる暴力」と「そうでない暴力」を区別する、恣意的な視点が存在していたのは明らかだ。
そもそも、刑法の概念によって地球上の暴力行為の全てが整理されるならば、テロなどというカテゴリーは不要であろう。人が故意に殺されたならば、それは常に殺人であって、例外はないはずだからだ。しかし現実は、そうはなっていない。
◎ ◎ ◎
歴史をひもとけば、国家が秘密裏に他国の要人暗殺を計画するといったことも、珍しくはない。戦争は国家が行う殺人だ、という考え方もある。主権国家による「大義ある戦争」、刑法犯としての「個人的な殺人」、そして「テロリズム」が、互いにいかなる関係にあるのか、明確に整理するのは容易ではない。そのため、現在もテロの定義は多様であり、世界的にも議論が続いている。
もう一つ厄介なのは、現代のテロリズムはそれがテロ=恐怖として社会に作用すれば、現実的な被害とは関係なく、テロリストの目的が達成されてしまうことであろう。事実を超えて、情報的に拡散する「恐怖」に支配されるという点で、テロはポストモダン的な性格を伴うのだ。
このように、多分に認識論的、あるいは共同主観的な性格をもっているがゆえに、テロに対する側の予防的な措置も、過度に正当化されやすい。むろんその運用形態は、当該社会の諸条件に依存するだろう。たとえば、同じ規模の被害をもたらす事件であっても、治安のよい国と、そうでない国では、その影響は大きく異なるはずだ。
周知の通り、「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律」の改正案が参議院で可決されたが、私たちの社会を二分する論争は今後も続くだろう。さまざまな検討が可能だが、まず目に付くのは、政府側が「テロ等準備罪処罰法案」と通称し、多くのメディアは「共謀罪法案」と呼んでいた点だ。すなわち、準備行為も含め、まさに「何をテロと見なすか」という定義の拡大をこの法律は企図しており、それを認めるべきかどうかが最初の対立軸になっている。まさに、この社会の現状をどう捉えるかという認識そのものが、争点なのだ。
ここで改めて確認しておくべきは、日本では長年にわたって、犯罪の犠牲者数が減り続けているという事実である。刑法犯の被害による死亡者数は、1965年に4千人に迫っていたが、半世紀後の2015年には約800人にまで減った。しかも、殺人事件の多くは家族や顔見知りによる犯行である。また、日本ではかつて「地下鉄サリン事件」という大事件があったものの、少なくとも最近は、大きなテロ事件は起きていない。これは諸外国でのテロの増加傾向と比べて、日本社会の顕著な特徴と言えるのではないか。
◎ ◎ ◎
壁は白いほど、小さなシミが気になるものだ。安全になればなるほど、安全が気になるという逆説こそが、この法案を後押しする一つの大きな社会的要因とも考えられる。テロが人々の認識と切り離せないものであることを知れば、そのことはより明確に納得しうるだろう。
一般に、一つの価値を強調しすぎることは、他の価値の抑圧につながるものだ。また、達成度が高まってくると、さらに上を目指すためのコストも急速に増えていく。45点の生徒が70点を目指すのと、70点の生徒が95点を目指すのとでは、その難しさはまるで違う。すでにかなり「白い」この社会を、さらに漂白しようとする時、いかなる無理が生じるか、よく考えてみるべきだ。
「治安」という価値の強調による副作用は、すでに多くの識者が指摘する人権侵害の問題だけではない。要するに活気がなく、創造性に乏しい、発展性のない社会になりかねないのだ。そうなれば当然、「経済成長」や「イノベーション」などは望むべくもない。私たちは、そんな社会にしたいのか。いま一度、問い直す必要があるのではないだろうか。」朝日新聞2017年6月16日朝刊13面オピニオン欄。
1909年10月26日、ハルビン駅頭で前韓国統監・維新の元勲、伊藤博文が拳銃3発で射殺された。犯人安重根(アンジュングン)はその場で逮捕、死刑となったが、韓国では抗日運動の英雄とされ切手にも載っている。日本側から見れば、安重根はまぎれもなくテロリストである。それは単なる殺人ではなく国家のありようを変えようとする邪悪な政治的意図を持った犯罪である。だからこそ、朝鮮の人々にとっては正反対の意味を持つ。「治安維持法」によって維持される「治安」とは、現に国家を政治的に成立させている特定の秩序・体制のことであって、それは対立する国家や組織にとってはテロの根源、テロリズムの温床になっている。つまり、「テロ」「テロリスト」は、敵を殺せ、という都合のいいお題目であって、一般的な定義は難しい。それを予備段階で防止するというのは、要するに自分たちの国家に疑問を持つ人間はみな敵だから、一網打尽にしてよい、という所に行ってしまう思想だ、ということだな。
音楽において創造性とはなんだろう?音楽には、近代西洋で確立された音階と調性という理論ががっちりあって、歌にせよ楽器にせよ曲を作るにはこのルール、つまりドレミファを使って始まりから終わりまで、一貫したコンセプトのもとに調和し統一された秩序を保つのが良い音楽だという観念が支配していた。ぼくたちは子どもの時から、そういう完結し心地よい音楽を聴かされて育ち、これが音楽というものの楽しみであり、それは次々でてくる新しい音楽にも基本で共通していると思っている。しかし、そうだろうか?
矢野顕子という人の作った曲を聴くと、そういう音の理論をよく知りながら、あえてそこを逸脱するような契機があちこちに出てくる。例えば、初期の「カタルン カララン」。
カタルン カララン 作詞:菊地まみ,HOOTA & 矢野顕子 作曲:矢野顕子 1978
カタルン カララン Cd. F -F/A -B♭ -C
カタルン カララン
カタルン カララン
むずかしくない このコトバ Gm7 -Dm7 -Gm7-Am7-Dm7
はずかしくない ほらウタエ Gm7 -Dm7 -Gm7-Am7-Dm7 –F-C/F –Dm7
はちさん はちさん ささないで A♭ –Fm –B♭m7 –Cm7 –D♭ – E♭
はちさん はちさん ぼくこわい A♭ –Fm –D♭ –Cm7 –Fm7
はちさん はちさん ささないで
はちさん はちさん ぼくこわい
カタルン カララン F -F/A -B♭ -C
カタルン カララン
カタルン カララン
カタルン カララン
カキクケコ
この曲は、最初の「カタルン カララン」の部分はF、つまりヘ長調なのだが、「はちさん はちさん」は転調してA♭つまり変イ長調で書かれている。歌詞はとくにこれといった意味はなく、音の遊びに乗せただけだが、はちさん はちさん ささないで、にくると急に童謡か民謡のような局長に変わり、この2つの異質な部分がつなぎのアドリブでひとつの曲に収まっている。この始まりのコード進行は、F、B♭、F、Cとブルー・ノートに近い。
「山下洋輔:伝説のプレイヤー、ジェリー・ロール・モートンにインタビューしたアラン・ロマックスという研究家がいて、音源には彼が収録した昔のワークソングも使っています。実際に奴隷が歌っているのか、録音に鋤の音まで入ったワークソングもあったし、アラバマの黒人の子どもたちの遊び歌や牧師の説教、そういう音も全部聴いて採譜しました。そこで発見したのは、同じような音の動きがどの音楽にも出てきたことです。それらの音が西洋音楽のドレミと出会ったらどうなるかを問いにして、解析していきました。
その音の動きである”ブルースの節”というものは、ただそれだけでじゅうぶんに印象的なフレーズです。しかも、その動き方には独自のルールがある。一方、西洋の和音進行にも自らのルールで動く性質がある。つまり、互いに関わらないし、交わらない。それらの関係し合わないものが同時に音として鳴る。そして、それぞれが音楽の終わりに向かっていき、到達地点で初めて一致する……。
相倉久人:異なる性質の音が同時に存在する、ということですね。
山下:そうですね。対位法の究極のあり方とも言えます。西洋音楽ではどの瞬間においても合理的に説明できる論理を求めますが、ブルーノートにはそれがないのです。常に次の瞬間に向かって動いていて、ある瞬間に何が起ころうと何が生まれようと構わない。そして、最後にスパッと決着する。そういう構図になっているんです。
相倉:一般的な音楽額では、ヨーロッパ的な和音進行ですべてを説明しようとします。論理的でないことさえも、強引に(笑)。しかし、この考え方では、合理的でないものは「例外的なもの」にされてしまう。音楽には、「例外」という言葉で括ってしまうにはあまりにもったいないものがある。山下さんは、それをひとつひとつ、丁寧に拾い上げましたね。論文を読んで、「そうか、そんなシンプルなことか」と大いに納得しました。
山下:ぼくが行き着いたのは、ある意味で最も簡単な結論なんです。ブルーノートの節と和音は別々に生まれ、そして別々に存在した。西洋の和声論では、初めに「音階ありき」で、そこから「和音が生起」し、このメロディにはこの和音が含まれる」とその場面ごとに一致しなければいけないのですが。
相倉:五十年ほど前までは西洋音楽的な分析方法が主流で、すべてにおいてその理論が有効だという思い込みがありました。だから、基本的なことほどないがしろにされて、いたずらに複雑化されてしまう。面白いことに、黒人のミュージシャンも同じように思い込んでいた。ルーツといわれる本人たちさえ、気付かずにやっていたんですね。
山下:そうでしょうね。西洋合理主義の問題は別にしても、西洋哲学で社会の仕組みをすべて解明しようという流れは、十九世紀から二十世紀にかけてずっと続いてきました。音楽も当然、その中に含まれます。それに疑問が投げかけられるようになったのは、六〇年代あたりからじゃないですか?」山下洋輔・相倉久人『ジャズの証言』新潮新書、2017. pp.35-37.
ブルースはアメリカ南部で黒人たちが労働の中で口ずさんだ唄からできてきた音楽で、彼らを奴隷として働かせた白人のように、西洋音楽の知識とは無縁の人々から始まった音楽である。典型的なブルースを、ドレミの音階に置いてみるとだいたい3つか4つのコードしかない。F-BluesだとF-B♭-F B♭-F D –Gm-C-F –D –Gm –C という具合で、これにブルーノート・スケールのメロディを乗せると哀愁のある独特の曲ができる。山下洋輔はこれを研究して、その発祥が西洋音楽とは別の所から出てきたことを理論的に追求しようとしたのだという。(「ブルー・ノート研究」1969)
矢野顕子の音楽は、ジャズ以外にもロックやクラシックから日本民謡まで、いろいろなものが混交していると思うが、どんな音楽の形式でも自分流に乗りこなしてしまううちに、無意識に出てくる何かがある。やっぱりこういうのを創造性と呼ぶのだろう。
B.「テロ」「テロリスト」との戦い、はいかにして可能か?
国会を多数の力で強引に制圧する与党のやり方は、またも今度は「共謀罪法案」を成立させてしまったが、これはオリンピック開催に備えてテロを防止するための措置なのだというのが、政府の説明だった。果たしてこれがテロ防止に役立つのか?国際的組織犯罪防止の条約批准に必要だという理由はほんとうなのか?いろいろ疑問や納得できない点が多い法案でも、大丈夫、心配ない、私が責任もってやるのだから全部任せろ、文句があっても相手にしない、という態度は一貫していた。
さて、そもそも「テロ」とか「テロリスト」という言葉は、現代社会をいきなり恐怖に叩き落す邪悪な闇の組織のように考えられているが、なにが「テロ」で、どういう集団が「テロリスト」かを確定しようとすると、簡単にはいかない。IS(イスラム国)は国家を名乗っているが、少なくともその支配下にある人民を皆殺しにしたのでは自滅するだろうから、味方と敵を仕分け、敵にはあらゆる手段で攻撃するが、味方には保護と恩恵を与えるだろう。彼らには、敵こそテロリストであって、自分たちは正義の戦士だということになる。「テロ」という言葉について、立場しだいで都合よく変わってしまうのでいいのだろうか?
「月刊安心新聞 テロの「恐怖」の拡散:予防措置 正当化されやすく 神里達博
世界中でテロが続いている。
ここ1カ月間のヘッドラインを見るだけでも、マンチェスター、カブール、ロンドン、テヘランと、多数の犠牲者が出た。現代におけるテロは、一般市民に対する暴力という形態をとることが増えており、ただただ卑劣な行為だ。しかし、このようなテロの「無差別性」は、比較的最近の傾向である。
テロリズムの語源がフランス革命期の「恐怖政治」にあることは本コラムでも以前指摘したが、テロは歴史的には、いわゆる「要人暗殺」として実行されることが多かった。たとえば、第1次世界大戦の契機となったオーストリア皇太子の暗殺は、典型的なテロ事件である。かつては国王や大統領と言った、権力を体現する存在がしばしば狙われたのだ。
このようにテロの形態も、時代や社会状況で変化するため、「テロとはそもそも何か」という問いに答えることを難しくしている。だがテロを定義づけることの困難は、他にも原因がある。一つ例を挙げよう。
戦前の国際連盟は、テロの頻発に対処するため、1937年に「テロリズム防止及び処罰に関する会議」を開いた。その際に「テロの定義」を試みているのだが、結局、条約の中にそれを組み込むことはできなかった。その背景には、定義に縛られたくないという各国の思惑があったようだ。仮に自国が支援する海外の組織が、当該国で「テロリスト」として認定されると、処罰する必要が生じるわけだが、それでは具合が悪いと考えたのだ。そこには「自国にとって利益になる暴力」と「そうでない暴力」を区別する、恣意的な視点が存在していたのは明らかだ。
そもそも、刑法の概念によって地球上の暴力行為の全てが整理されるならば、テロなどというカテゴリーは不要であろう。人が故意に殺されたならば、それは常に殺人であって、例外はないはずだからだ。しかし現実は、そうはなっていない。
◎ ◎ ◎
歴史をひもとけば、国家が秘密裏に他国の要人暗殺を計画するといったことも、珍しくはない。戦争は国家が行う殺人だ、という考え方もある。主権国家による「大義ある戦争」、刑法犯としての「個人的な殺人」、そして「テロリズム」が、互いにいかなる関係にあるのか、明確に整理するのは容易ではない。そのため、現在もテロの定義は多様であり、世界的にも議論が続いている。
もう一つ厄介なのは、現代のテロリズムはそれがテロ=恐怖として社会に作用すれば、現実的な被害とは関係なく、テロリストの目的が達成されてしまうことであろう。事実を超えて、情報的に拡散する「恐怖」に支配されるという点で、テロはポストモダン的な性格を伴うのだ。
このように、多分に認識論的、あるいは共同主観的な性格をもっているがゆえに、テロに対する側の予防的な措置も、過度に正当化されやすい。むろんその運用形態は、当該社会の諸条件に依存するだろう。たとえば、同じ規模の被害をもたらす事件であっても、治安のよい国と、そうでない国では、その影響は大きく異なるはずだ。
周知の通り、「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律」の改正案が参議院で可決されたが、私たちの社会を二分する論争は今後も続くだろう。さまざまな検討が可能だが、まず目に付くのは、政府側が「テロ等準備罪処罰法案」と通称し、多くのメディアは「共謀罪法案」と呼んでいた点だ。すなわち、準備行為も含め、まさに「何をテロと見なすか」という定義の拡大をこの法律は企図しており、それを認めるべきかどうかが最初の対立軸になっている。まさに、この社会の現状をどう捉えるかという認識そのものが、争点なのだ。
ここで改めて確認しておくべきは、日本では長年にわたって、犯罪の犠牲者数が減り続けているという事実である。刑法犯の被害による死亡者数は、1965年に4千人に迫っていたが、半世紀後の2015年には約800人にまで減った。しかも、殺人事件の多くは家族や顔見知りによる犯行である。また、日本ではかつて「地下鉄サリン事件」という大事件があったものの、少なくとも最近は、大きなテロ事件は起きていない。これは諸外国でのテロの増加傾向と比べて、日本社会の顕著な特徴と言えるのではないか。
◎ ◎ ◎
壁は白いほど、小さなシミが気になるものだ。安全になればなるほど、安全が気になるという逆説こそが、この法案を後押しする一つの大きな社会的要因とも考えられる。テロが人々の認識と切り離せないものであることを知れば、そのことはより明確に納得しうるだろう。
一般に、一つの価値を強調しすぎることは、他の価値の抑圧につながるものだ。また、達成度が高まってくると、さらに上を目指すためのコストも急速に増えていく。45点の生徒が70点を目指すのと、70点の生徒が95点を目指すのとでは、その難しさはまるで違う。すでにかなり「白い」この社会を、さらに漂白しようとする時、いかなる無理が生じるか、よく考えてみるべきだ。
「治安」という価値の強調による副作用は、すでに多くの識者が指摘する人権侵害の問題だけではない。要するに活気がなく、創造性に乏しい、発展性のない社会になりかねないのだ。そうなれば当然、「経済成長」や「イノベーション」などは望むべくもない。私たちは、そんな社会にしたいのか。いま一度、問い直す必要があるのではないだろうか。」朝日新聞2017年6月16日朝刊13面オピニオン欄。
1909年10月26日、ハルビン駅頭で前韓国統監・維新の元勲、伊藤博文が拳銃3発で射殺された。犯人安重根(アンジュングン)はその場で逮捕、死刑となったが、韓国では抗日運動の英雄とされ切手にも載っている。日本側から見れば、安重根はまぎれもなくテロリストである。それは単なる殺人ではなく国家のありようを変えようとする邪悪な政治的意図を持った犯罪である。だからこそ、朝鮮の人々にとっては正反対の意味を持つ。「治安維持法」によって維持される「治安」とは、現に国家を政治的に成立させている特定の秩序・体制のことであって、それは対立する国家や組織にとってはテロの根源、テロリズムの温床になっている。つまり、「テロ」「テロリスト」は、敵を殺せ、という都合のいいお題目であって、一般的な定義は難しい。それを予備段階で防止するというのは、要するに自分たちの国家に疑問を持つ人間はみな敵だから、一網打尽にしてよい、という所に行ってしまう思想だ、ということだな。
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