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ハーバート・リード『芸術の意味』再読 2 「右翼・左翼」?

2019-12-18 18:59:12 | 日記
A.アート作品と政治性
 芸術作品には作家がそこに表現しようとしているなんらかのアイディアがある。それは見る者に造形的・視覚的なある刺激的な感覚や体験をもたらすことを、作家は意図して作品をつくる。これは当たり前のことだが、それがたんなる「美」であるならば、あるいは人々が疑いなく信じている秩序に沿ったものであれば、美術館のような公的空間に展示されて多くの人々に喜びを与えるものとして、奨励され賞賛される。しかし、人々の疑わない「美」の規範や、多数派が信じている世界の見方に抵触するような表現を見せられた場合、常識(だと信じている価値)を信じる人々は、感情的な嫌悪と拒否を示す。だが、ある意味でそのような反応を喚起させることが、芸術作品の創造的な意味なのかもしれない。多くの場合、それは「政治的に極端な」表現であるから公共空間に展示して、誰もが見るようにすべきでない、「反社会性」を含む危険な作品は公表を禁止すべきであり、公的資金で援助するのは間違いである、という抑圧的な反応が行政に寄せられる。
 ここで考えたいのは、「政治的」なメッセージを含む芸術作品は、芸術とは認めないという主張は正しいのか?ということである。具体的な事例で考えよう。
今年のあいちトリエンナーレでの「表現の不自由展」をめぐる騒動で、攻撃のやり玉に挙がったのは韓国の彫刻作家キム・ソギョン、キム・ウンソン夫妻による「平和の少女像」と、大浦信行氏の作品「遠近を抱えて」(4点組)だった。キム夫妻は8月1日のハフポスト日本版によるインタビューで、少女像は元慰安婦の女性たちが戦時中・戦時後に受けた苦痛を表現したものだと説明。「反日の象徴ではなく、平和の象徴です」と話していた。昭和天皇の肖像写真を曼荼羅や頭蓋骨などとコラージュした版画「遠近を抱えて」は、1986年に富山県立近代美術館主催の「86富山の美術」で展示され、展覧会終了後に美術館に収蔵されたが、一部県議から批判が寄せられたことを受け、美術館側は作品を売却。さらに、同展の図録を焼却したという。ニューヨークでこれを制作したという大浦氏は、米国にいるなかで日本のアイデンティティを求めて、その一つの形象として「天皇」を題材としたという。大浦氏が今回の展示会をきっかけに作った映像には、作品を燃やすシーンが入っており、「美術館が図録を焼却した」ことへの反発をあらわしているとも解釈できる。
この他にも、「表現の不自由展・その後」に出展されていた嶋田美子氏の「焼かれるべき絵」や、藤江民の作品も、富山県立近代美術館の図録焼却事件をモチーフとして制作されていた。また、日本の象徴天皇制をテーマにした小泉明郎氏のシリーズ「空気」より、東京都現代美術館での出品が不可になった作品(皇室の写真に絵の具で影を描いたもの)も展示された。韓国からは「平和の少女像」のほかにも、写真家・安世鴻氏が撮影した元慰安婦12人の写真や、日韓合意を契機に高校生が描いた絵画「償わなければならないこと」を展示。「平和の少女像」は2012年、東京都美術館でのJAALA国際交流展でミニチュアが展示されたが、同館運営要綱に抵触するとして作家が知らないまま4日目に撤去された。「表現の不自由展」の展示をめぐっては、名古屋市長が「日本人の心を踏みにじるもの」などとして撤去を求めるなどの事態に発展し、トリエンナーレに支出が決まっていた文化庁補助金が停止されたことも報じられた。
作品の「政治性」が、このような保守派の感情的な反撥や攻撃を喚起したことは確かだが、そうした反応自体がまさに「政治的」であって、芸術にとっては考えるべき問題だろう。ハーバート・リードの芸術論ではどうなるだろうか?
「7 画一的でない芸術 
 芸術とはある特定の理想を造形的な形式で表現したものではないということをわれわれは認めなければならない。芸術とは、芸術家が造形的な形態につくりあげることのできるような理想の表現なのである。そして私は、すべての芸術作品には、ある形態の原理つまり首尾一貫した構造があると考えるけれども、このことを決定的な意味で強調しようとは思わない。というのはわれわれに直接的に本能的に訴えかけるすぐれた芸術作品の構造を研究すればするほど、それを簡単で説明しやすい法則にまとめることが難しくなることを知っているからである。「すぐれた美は必ずその比例のなかに、比例を破るものをふくんでいるものだ」ということは、ある文芸復興期のモラリストにさえ明瞭であった。
 8 芸術と美学 
 どのように美感を定義するにしても、われわれはただちにそれを理論上のものとして限定しておかなければならない。抽象的な美感はただ芸術活動の基本的な基礎であるにすぎない。芸術活動を行うものは生きた人間であり、人間の活動は人生のあらゆる流れの交錯に左右される。美感にはおよそ三つの段階がある。第一には物質的な諸性質、すなわち色、音、身振り、その他多くのもっと複雑で定義づけられない物理的な反応をたんに知覚することであり、第二にはこのような知覚を快適な形態とパターンに配列することである。美感はこの二つの過程に尽きるといえるかも知れない。しかしこのような知覚が情緒なり感情なりの既成状態と一致するように配列されるときが第三の段階である。この段階でわれわれは情緒なり感情なりが表現されたという。この意味では芸術は表現であり、表現以外のなにものでもないというのは正しい。しかしこの意味での表現は五官の知覚と形態上の形態上の(快適な)配合という、上に述べた過程のなかでの最終的な過程であるということを忘れてはならない。この点でクローチェ派のひとびとは時に誤っている。もちろん表現が形態上の配合をまったく欠いていることもありうるが、その場合はその支離滅裂な点で、それを芸術というわけにはいかないのである。
 美学あるいは知覚の科学は初めの二つの過程に関係するにすぎない。芸術はこれらの情緒的な価値以上のものを含むだろう。芸術につて論議するときおこるほとんどすべての混乱は、この区別をはっきりしておかないところからおこるといってよいだろう。たとえは芸術史のみに関係する観念が美の概念の論議にひき出される。また感情の伝達という芸術の目的が、ある特殊な形態によって伝達された感情としての美の特質と解き難いほど混同されているのである。
 9 形態と表現
 芸術における形態の要素に一致する人類の普遍の要素は人間の美的感受性である。感受性こそ不変なものなのである。何が変化しやすいものかといえば、人間が感覚的に印象したものの抽象から組み立てた理解力であり、人間の知的生活である。「表現」という言葉は「形態」という言葉と対照して用いるのに適当であるとは思われない。表現は直接的な情緒的反応を意味するために用いられている。しかし芸術家が形態をつくりだすための規律とか束縛そのものもそれ自身表現の一方式なのである。形態は尺度、均衡、律動、調和などの知的な用語に分析することができるが、それは本来は直感であって、芸術家の実際的な作業のなかでは知性の力の産物ではない。それはむしろ統御され、限定された情緒である。そしてわれわれが芸術を「造形の意志」とよぶときに、われわれは極度に知的な活動を想像しているのではなくて、むしろ本能的な活動を想像しているのである。このようなわけで、原始芸術が美の形態としてギリシア芸術より劣っているということができるとは思われない。原始芸術はより低い段階の文明をあらわしているかも知れないが、それは形態に対する同等の、あるいはよりすぐれてさえいる本能を表現しているということもできる。一時代の芸術は、普遍的なものである形態の諸要素と、一時的なものである表現の諸要素とを区別することを知ってはじめて標準たりうるのである。ましてジオットがミケランジェロほど複雑ではないが、形態が複雑であるほど価値があるというものではない。率直にいって、形態を判断するのに、それを創造すると同じ本能による以外の方法を私は知らないのである。
 10 黄金分割
 ギリシア哲学の初期から、ひとびとは芸術のなかに幾何学的な法則を発見しようとつとめてきた。というのはもし芸術が(それは美と同一視されているが)調和であり、しかも調和が比例を遵守することによってえられるものだとするならば、これらの比例を固定されたものと仮定するのは合理的であるからである。黄金分割として知られている幾何学的な比例は、何世紀ものあいだ、芸術の神秘をひらく鍵と考えられてきた。そして芸術のみならず、自然にも普遍的に適用されて、ときには宗教的な崇拝の念をもってさえ取り扱われた。十六世紀の著述家たちは、その三つの部分を三位一体になぞらえた。それはユークリッド幾何学の二つの問題に定則化されている。第二巻の問題十、「与えられた線分を、その全線分と一つの線分との積が、他の線分の自乗に等しいように分けること」。そして、第六巻の問題三十、「与えられた線分を黄金比に分けること」がそれである。普通の公式では、与えられた線分を短い部分と長い部分との比を、長い部分と全体との比に等しいように切ることである。これによって生ずる部分はおよそ五と八(あるいは八と十三、十三と二十一、以下同様)の比例になる。しかし決して正確にこうなるのではない。それは数学で常に無理数として知られている。そしてこのことはその神秘的な名声に少なからず役立ってきた。この問題についてはおびただしい文献があり、前世紀のほぼ中ごろから非常に重大に扱われてきている。ドイツの美学者ツァイジングは黄金分割が自然と芸術のすべての形態学の鍵であることを証明しようとしたあ。そして、実験美学の創始者であり、1870年代にその主張を出版したグスターフ・テオドール・フェヒナーは、この問題を彼の研究の最大の目的の一つとしている。これ以後、実際に美学の研究はすべてこの問題について何らかの考慮を払っているのである。
 ツァイジングのような極端論者は黄金分割が芸術作品のいたるところに及んでいると主張したが、後につづく研究は彼の主張を支持しなかった。われわれはすぐれた芸術家はその作品の構造に黄金分割を意識的に適用するか、または本能的な造形感覚によって、必然的に黄金分割に到達すると仮定することができる。窓や扉や額縁、本や雑誌のページなどの矩形の縦と横との正しい比例をうるためにしばしば黄金分割が用いられる。出来のよいヴァイオリンのすべての部分はこの法則に適っているといわれている。エジプトのピラミッドはこの法則によって説明されるし、ゴシック寺院はこの比例によって容易に解釈することができる。すなわち袖廊の長さと内陣との関係、支柱とアーチとの関係、尖塔と塔との関係などがそれである。この比例は絵画においてもしばしば見られる。すなわち、地平線の上下の空間の関係、前景と背景との関係、そしてさまざまな側面の区分も同様に黄金分割にしたがっているのである。ピエロ・デㇽラ・フランチェスカの絵画は幾何学的に組織された極端な例である。」ハーバート・リード『芸術の意味』滝口修造訳、みすず書房、1966.PP.15-19. 
 最初に出てくる「芸術とはある特定の理想を造形的な形式で表現したものではないということをわれわれは認めなければならない」という言明と、続く「芸術とは、芸術家が造形的な形態につくりあげることのできるような理想の表現なのである」とは一見矛盾するように思うかもしれない。リードは、「すべての芸術作品には、ある形態の原理つまり首尾一貫した構造があると考えるけれども、このことを決定的な意味で強調しようとは思わない」と述べ、それは優れた芸術作品を研究していくと単純な法則や理論では割り切れない、そこを逸脱し食い破るものがあるからだという。
 このことを「政治性」との関係で考えると、単なる政治的主張や偏狭な価値観をストレートに表現するだけならわざわざ芸術作品を作る必要などないし、そういう作品であるならばつまらないプロパガンダといわれても当然だろう。「平和の少女像」や「遠近を抱えて」を攻撃し「日本人の心を踏みにじるもの」と見た名古屋市長は、まさにそのようなものと見做したわけだ。しかし、作品に即して考えてみると、「表現の不自由展」に出品された作品は、そのようなつまらないものだっただろうか。従軍慰安婦問題を日本攻撃や歴史問題として問うたり、天皇の戦争責任や天皇制の是非を問うだけの作品であるならば、その「政治性」はアートの領域を越えてしまう。公共性を謳う美術館や作品選定に責任を負う専門委員が、これは特定の主張を訴える政治ポスターではなく、政治性をも取り込んだ質の高い芸術作品だと考えたのだと思うし、ぼくもこれはアート作品だと感じた。美術館に圧力をかけたり展示を妨害したり、補助金を打ち切ったりする勢力は、「政治的中立」をお題目に、逆にものすごく政治性をアートの領域に持ち込んで、作品を見て感じて考える機会を奪おうとしている。もしそれを望ましいあり方にできるとすれば、政治的にこれとは反対の立場にたつような作品を一緒に展示するのがよいと思う。かつて右翼とみなされ、戦後の憲法と対米従属の欺瞞と天皇の価値を作品化した三島由紀夫のような、芸術作品として一流の仕事があり、それは左翼的文学と拮抗して文化の豊かさを形成したと思う。しかし、今の日本のアート・シ-ンは、次元の低い「反日」攻撃みたいな話ばかりで炎上していて、「表現の不自由展」に出品して勝負できるような右翼の作品は皆無なんだろうか?

B.右翼の研究には歴史がある
 「右翼・左翼」という言葉は、政治用語として昔から使われてきたが、その起源はフランス革命期の「(憲法制定)国民議会」(1789-1791年)において、旧秩序の維持を支持する勢力(王党派、貴族派、国教派など)が議長席から見て右側の席を占め、反対の左側に旧勢力の排除を主張する共和派・急進派が陣取ったことに由来する。現在の政治状況で旧秩序を保守し、伝統的価値を壊そうとする左翼に対峙するほんらいの「右翼」政党はあるのか?実際に動き回って右翼的言説を撒き散らしている人たちは「ネット右派」(ネトウヨ)と呼ばれるが、どうも伝統の保守ではなく有名人や芸能人などに「左翼」的な言動を探し出しては、罵倒攻撃するのが楽しくてしょうがない、というだけな気がする。国会で「一強」を誇る与党自民党は、かつては正統な保守を自称していたが、どうやら小泉政権あたりから「改革派」を名乗り出して、旧体制に閉じこもる左派的な勢力をひっくるめて「旧秩序保守派」に仕立て、自分たちが社会を変えると言い出した。安倍政権はその変える方向をどんどん「右翼色」に染めていったが、もう「右翼・左翼」という言葉自体がわけがわからなくなったので、メディアは使うのをやめて、「保守派」「リベラル派」などと呼び出したが、これは実態を誤解させる用語だと思う。
 これは岩波『世界』に載った伊藤正亮「ネット右派の歴史社会学」という本の書評。
 「タイトルにある「ネット右派」とは「ネット上で保守的・右翼的な言動を繰り広げる人々」のことを指す。
 本書は、ネット上にとどまらず、路上やメディア、そして政治の世界にまで侵食している現代日本の右派運動が、いつ・どこで誕生し、何をその思想的・文化的背景としてもっているのかを、膨大な資料をもとに再構成した労作だ。
ここ数年、ネット右派(ネット右翼・「ネトウヨ」)に関する研究書がたて続けに刊行されている。2018年に刊行された倉橋耕平『歴史修正主義とサブカルチャー ――90年代保守言説のメディア文化』(青弓社)を筆頭に、樋口直人、永吉希久子、松谷満、倉橋耕平、ファビアン・シェーファー、山口智美著『ネット右翼とは何か』(青弓社)、田辺俊介編著『日本人は右傾化したのか――データ分析で実像を読み解く』(勁草書房、2019年)などを挙げることができる。
 このうち、計量的手法を駆使した社会心理学的研究では、ネット右派の直接的な担い手というよりも、日本社会全体に伏在する右派的あるいは排外主義的な政治志向を把握することに軸がおかれていた。本書はこうしたアプローチとは違い、「戦後の保守勢力の政治史や、さらに明治期以来の右翼団体の運動史など、日本の近現代史の一部に通じるようなより長い歴史にまで射程を広げて」現在の現象をとらえるという、歴史社会学の方法を採っている。そのため叙述は、「ネット右派」現象の前史をなす(戦後の)戦争観をめぐる相克やサブカルチャーの変遷にも及び、保守・右派論壇の言説史としても読めるところが、本書の魅力の一つとなっている。
もう一つは「アジェンダ」と「クラスタ」という方法だ。「アジェンダ」とは、言説の特定の論題・議題を指す。本書では、嫌韓/反リベラル市民/歴史修正主義/排外主義/反マスメディア――という五つのアジェンダを設定し、それぞれの歴史的形成過程とアジェンダ間の関係をたどる。
「クラスタ」とは、「ネット右派運動」の担い手の特定の集まりを指す。本書では、サブカル保守/バックラッシュ保守/ビジネス保守/既成右翼系/新右翼系/ネオナチ極右――という主要な六つのクラスタを措定する。
言説史だけでは運動が見えてこないし、活動家(=担い手)の来歴だけでは社会的に流布された右派系イデオロギーの興亡は描けない。「ネット右派」という混沌とした現実を、この「アジェンダ」と「クラスタ」とに切り分け、それぞれの相互関係・複合を歴史的かつ思想的に分析していくところは、本書の非常に優れた点だ。とりわけ「反リベラル市民」というアジェンダと「サブカル保守」というクラスタが提起されたことは、2000年代以降の社会意識を読み解く上で欠かせない視座として学ぶところ大だった。
しかも本書ではそれぞれのアジェンダ/クラスタの主導的な人物の来歴と活動の変遷を取り上げることで叙述に愚多性をもたせ、「歴史社会学」の名にふさわしい構成が取られている。これは同時に、諸個人におけるアジェンダの重なり合いを表現する手法でもあり、読みものとしても面白いという大きな効果を生んでいる。
実は評者は、日本版歴史修正主義運動と民族排外主義運動とは、それぞれ起点がどこにあるのか、いつ・どのように内容的に複合したのかについて、強い関心を持っていた。
初期の「新しい教科書をつくる会」で理事をつとめた坂本多加雄は、「幼いナショナリズムを卒業している我が国と、いま丁度初期ナショナリズムの爆発期を迎えている近隣アジア諸国が歴史認識で相互に歩み寄るとしたら、わが国の屈伏という結果をもたらすほかはないであろう」(新しい歴史教科書をつくる会編『新しい日本の歴史が始まる――「自虐仕官」を超えて』幻冬舎、1997年)、「韓国の人々の近代ナショナリズムというのは、日本に対する反撃を軸として出来上がっています。非常にやっかいなアイデンティティを持った国民が隣にいることです(笑い)」(「つくる会」第二回シンポジウムでの坂本の発言、『正論』1997年10月号)と語っていた。
シンポ会場での「(笑い)」に象徴されるように、「いつまで(戦争犯罪を)謝罪しなければならないのか」を合言葉に、日本版歴史修正主義と嫌韓・嫌中のメンタリティは軌を一にしていた。だからこそ「日本人としての誇り」を取り戻すという旗のもと、〈日本スゴイ=自民族の優秀性の称揚〉と〈嫌韓・嫌中〉の両面をあわせ持つ「国民の物語」を彼らは創造したのである――とはいえ、排外主義運動の現実的な形成過程においては、さらにドロドロな人脈と思想的背景があったことを本書で学んだ。
例えば第五章「ネオナチ極右クラスタと排外主義アジェンダ」では、「排外主義の祖」とされる篠原節という人物の来歴を軸に、外国人労働者排斥から始まった運動がどうして在日コリアンへの攻撃へと転化したのかをたどっている。
農本主義的傾向をもち同時にヒトラー信奉者であった篠原は、民族派右翼として生活困窮者救済運動や「日本の山河を守る」自然保護運動に瀬戸弘幸らと共にとりくむ。やがて宇野正美、赤間剛、太田竜ら1980年代以降にやたらと本が出ていたユダヤ陰謀論と出会い、反ユダヤ主義・反フリーメーソンを公然と掲げるにいたった。しかし日本では「大衆運動として捉えにくい」と外国人労働者排斥運動にかじを切り、石原慎太郎「三国人」発言(2000年)を一つの契機として、在日コリアンをターゲットにした民族排外主義運動をネット・リアル双方で開始していたのだった……。
アジア主義の残滓や反共に規定されて、どちらかといえば「親韓」的であった既成右翼運動の中から、「嫌韓」と「排外主義」アジェンダが結びつき「行動する保守」擡頭へとつながってゆく流れが活写されている。
 本書が解明の対象とした領域は、数年前にひとしきりブームになった「日本会議」研究本の数々が取りこぼしてきた諸運動を見事にすくいあげるものだ。とりわけ、「ジェンダーフリー批判」「教育改革」など日本会議の掲げるイシューと、「ネット右派」との焦点の違いはなぜ生み出されるのかに着目していることも、すぐれた観察の成果だ。
 しかし、「日本会議」と「ネット右派」との間には、さまざまな右派系市民運動が叢生している。例えば竹田恒泰らの「日本文化を学ぼう」セミナー系や「素手でトイレ掃除」運動、さらに「親学」や「道徳教育」を推進し教育や行政に食い込んでいるTOSSやモラロジー研究所などの右派系団体も多数存在している。これらはもはや「ネット右派」の範疇を超えるものだが、本書の到達地点を踏まえて、さらに解明が必要とされている領域ではないだろうか。」SEKAI Review of Books: 伊藤正亮「ネット右派の歴史社会学」(早川タダノリ「ネット右派――その複合的な思想・文化基盤を摘出した労作」)岩波書店『世界』2020年1月号、pp.234-236。
 日本の右翼の源流は、復古神道もあり農本主義もあり、平田国学もあり法華経系もあり、アジア主義もありで、伝統保守思想といってもかなりバライエティがあったと思う。それが明治の西洋絶対主義王政を真似た天皇主権国家体制のイデオロギーに結びついて、最後は昭和の観念的な天皇崇拝皇国史観になって敗北した。戦後の右翼は、占領期以来裏街道の日陰者扱いされた時代もあったが、「つくる会」の歴史修正主義が奏功していまや右翼的な風潮に乗った言説は、保守系論壇では花盛りを呈している。しかし、今必要なのはこうした動きを歴史の流れの中に位置づけ、思想的な意味を含む研究がすすめられる必要がある。伊藤氏の仕事はその一つだと思う。
 それにしても、日本の右翼のアキレス腱は、ナショナリズムと国家の主体性を主張しながら、卑屈な対米従属を批判しないのと、新自由主義的な経済思想にも向き合おうとせず結果的に迎合する点にあると思う。
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