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「絵を読む」20 マティス・モンドリアン・カンディンスキーと風土..風力発電先進国 

2018-11-21 19:14:07 | 日記
A.絵画と土地風土
 ゴッホのアルル、セザンヌのエクス・アン・プロヴァンス、ゴーギャンのタヒチ、あるいは生涯一ヵ所にいて絵を描いていたフェルメールのデルフトとかユトリロのモンマルトルとかでもいいが、画家にとってある場所の土地風土とその作品との結びつきは、重要な研究テーマになる。19世紀から第2次大戦まで、コンテンポラリー美術はパリを中心に回っていた。しかし、絵画のモデルニテはつねに革新を求め、まだ誰もやっていない新しい試みを期待していたから、画家たちはパリで同時代同世代の画家やアーティストから刺激を受けながら、同時にパリにいては自分のなかにある創作への情熱が枯渇する恐れも感じた、と思われる。情報と市場の集中する大都会は、競争と淘汰と退廃への誘惑の街でもある。そこで、これではいかんとそれぞれの故郷へ戻ったり、まったく新しい土地に移ってみたりしたのだが、それがどう作品に反映したのかは、個々の作品に即してみていくしかない。『絵画の冒険』の小林康夫氏は、それを「南へ」という乱暴な方向性で読む。

 「これらの構築的な形はすべて、メロディーのそれにも似た単純な内面の響きをもっている。わたしがそれらを《旋律的》と呼ぶのはそのためである。セザンヌによって、さらにはのちにはホルダーによって新たな生命をあたえられたこれらの旋律的なコンポジションは、今日では、リズミカルなコンポジションと呼びならわされている。」(ワシリー・カンディンスキー『抽象芸術論――芸術における精神的なもの』西田秀穂訳、美術出版社、1958)

 「大雑把な言い方ではあるが、1906年前後のピカソの革命が形態にかかわるものであったとするなら、マティスの革命は何よりも色彩にかかわる。印象派、新印象派、ゴッホやゴーガンなどが行った絵画革命を受け継ぎつつ、マティスはそれを完成させると言ってもいい。色彩の勝利です。
 だが、いまわれわれが作成中の「絵画史の地図」の上では、色彩と光は、これも誇張して言えばですが、「南」と結びついていた。だから、「パリからの逃走」ではないにしても、マティスのキャリアにとっての「南」のモーメントを探してみると、それがくっきりと現れる。コリウールです。パリから南西に下ってもうスペイン国境に近い、カタルーニャ文化圏に属する地中海沿岸の漁村。1905年夏、マティスはそこに赴く。すると、マティスにとっての絵画の窓が開く(一言断っておきますが、前年1904年にかれは南仏のサン・トロペで夏をすごし、そこで新印象派の巨匠ポール・シニャック(1863-1935年)と対決することになる。その対決がマティスを独自の道へと向かわせる。その方向付けが翌年の夏に、開花というのでは足りない、爆発すると言いましょうか)。
 港に向かって大きく《開いた窓》。遠くの突堤。港に浮かぶ数層の船。おそらく蔦がからまるベランダに置かれた(赤いゼラニウムでしょうか)花の鉢植え。窓の上部が赤いのを見ると、朝焼けでしょうか、海もピンクに波立っている、となれば、これは部分的には、マティスの《印象、日の出》だと言ってもいいかもしれない。窓を通して強烈な光がまっすぐに室内に、そして画家の魂に射し込んでくる。すると、内部は、もはや暗い影のうちに取り残されているのではない。一挙に、緑、そしてそれと補色の関係にあるような藤色に染め上げられる。光が色彩となって爆発するのです(のちにマティスは「色彩はダイナマイトの筒も同然だった。色彩そのものが光を放っていた」と言っています)。
 言うまでもなく、ルネッサンス以来の古典絵画においては、窓はいつも絵画そのもののメタフォールでした。壁にかかっている1枚の平面的タブローが、視覚の効果としては、「窓」のように三次元の光景を現出させるというものです。しかし、モネの《印象、日の出》もすでにそうでしたが、モデルニテの時代、絵画は三次元の光景を錯覚的に表象するのではなく、その光景が画家という主体に侵入してくるその効果をこそ表現しようとしていた。まずは「印象」、そして「感覚」、そしていま、さらに奥深く「感情」(「情動」)、つまり魂における効果へとそれは到達しようとしているのです。つまり、マティスは、コリウールの波止場の傍にある友人の別荘の2階の部屋に、海の方から入ってくる光の風景をただ描こうとしていると言ったらいいか。現実の部屋としては影になって暗い壁であったはずのものが、エメラルドグリーンあるいはモーヴの色彩として弾ける。扉の枠も、現実にはありえない赤で描かれねばならず、するといつのまに波の色もひたすらピンク、それがこの「室内」にもひたひたと打ち寄せてくる。それを受けて、かれの「魂」は、船の帆柱のようにゆらゆらと揺れ騒ぐ。もはや色彩を形態のうちに閉じ込めておくことなど問題にならない。色彩を物体に従属させておくわけにはいかない。いま、ここで即刻、色彩が、そう、音楽のように、立ちのぼってくるのでなければならないのです。後年のマティスの発言をもう一度、引くならば、「われわれは‥‥‥自然を前にした子供のようなものだ。われわれは自分の気性が自由に語り出すようにしなければいけない‥‥‥規則にのっとったものはすべて無視し、感じたままに絵を描く。ただ、色彩だけを頼りに」と。  〔中略〕
 絵画は、《生きる歓び》の明証(エヴィデンス)である――それこそ、マティスの核心です。この確信をもって、マティスはいま、ジョルジョーネに、ティントレットに、マネに、アングルに、ゴーガンに、ゴッホに、スーラに、シニャックに、セザンヌに、つまりは絵画の全歴史に対して応答する。「魂」の奥底には「楽園」がある。1904年、サン・トロペでシニャックへのオマージュとして点描的な技法で描かれた作品のタイトルであった、シャルル・ボードレールの詩『旅への誘い』の一句が言うようなあの「楽園」。裸のままの人間の肉体が自然と調和する「楽園」。絵画はその「楽園」からこそ生まれてくるべきだ。そして、だからこそ、色彩が爆発する画家のアトリエは、すでにはじめから「楽園」なのであると、かれは宣言するのだと言いましょうか。《開いた窓》やマティス夫人を描いた《帽子の女》(まさに色彩の「爆発」です!)が出品されたサロン・ドートンヌの第7室に響く観衆の嘲笑や揶揄という、マネの《オランピア》が引き起こしたそれにも似たスキャンダルの只中で、マティスはひるむことなく自己を確立するのです。
 しかし、こうして絵画が、三次元の現実的な空間と、無次元あるいは無限次元の「魂」とを接続する二次元の表現ということになると、それは「装飾」という問題系――だが、誤解のないように、ここで言う「装飾」とは「外的な飾り物」などではなく、生命あるいは精神の、まさしく無限の「襞」であるようなもの、生命や精神の「荘厳」と呼ぶにふさわしいものだのですが――とつながってkることは避けられません。だから本来なら、ここで同時代の工芸・建築・デザインの分野で一世を風靡したアール・ヌーヴォー運動との共振現象などを掘り下げるべきところなのですが、余裕がない。その極限とも言うべきタピストリー的作品を一瞥しておくに留めます。
 《赤のハーモニー》は実際に「装飾用のパネル」として制作されたものであり、装飾性が強調されているのは当然でもあるのですが、しかし「赤」という色彩の輝く強度のなかにすべてが調和をもって統一されているほとんど究極的な絵画、これ以上進んだら、具象性が保てないと思わせる作品です。なによりも冒険的なのは、本来、テーブルクロスの模様であったはずの、スペインのアルハンブラ宮殿のそれのようなアラベスク模様と花籠模様が背後の壁にまで増殖していることでしょう。もともとは青と白の織物(トワル・ド・ジェイ)であった者が、一度完成したものをマティスが全面的に「赤」で描き直したという逸話はよく知られています。論じるべきことはたくさんありますが、ここでは、これに対応する現実がどのようなものであるかということを一瞬で見て取るために、1896-97年の《食卓》と併置しておきましょう。つまり、マティスは10年前の自分の作品を取りあげ直し、それにまったく新しい表現を与えた。これは、マティスの「魂」の部屋のなかにかかるタピストリーなのです。アラベスク模様はその「襞」。それが「音楽」のように立ち昇る。
 左上の「窓」は、その「魂」の部屋にあけられた開口部です。それは「絵画」そのものでもある。絵画こそが、「外」と「内」を遮る壁に穴をあけ、光を導き入れ、そして「外」と「内」とが、おなじ「自然」の「生命」によって連続していることを証している。となれば、左側の少し大きすぎる椅子を思い出してください――ゴッホが描いた《ゴーガンの椅子》あるいは《ゴッホの椅子》を思い出してください―-《マティスの椅子》なのだと言ってみたくなりませんか(ぜひ1911年の《赤のアトリエ》も参照してみてください、そこにも「椅子」がありますから)。
 だが、そうであればこそ、「魂」が不安と恐怖に陥るとき、絵画もまた、それを忠実に反映しないわけにはいかない。1914年、第一次世界大戦のさなか、パリ郊外の自宅は陸軍に接収され、実母はすでにドイツ軍の占領地域にいて連絡は途絶、世界全体が戦争へと雪崩れ込む時代に、光溢れるコリウールでマティスは1枚のタブローを描きました。《コリウールのフランス窓》です。
 窓は開いているのに、そこにあるのはただ一面の「黒」。この作品は、マティスの生前には一度も公開されなかったと言われています。」小林康夫『絵画の冒険 表象文化論講義』東京大学出版会、2016.pp.234-239. 

 1905年5月、マティスはアンドレ・ドランと連れ立って、南仏地中海岸の町コリウールを訪れた。その前年、これも南仏サン・トロペに住んでいた点描派のポール・シニャックと出会い、シニャックに点描法を放棄する契機となる。マティスは若いドランとコリウールで絵を描いた。これは友情の始まりと実りあるコラボレーションとなった。太陽が降り注ぐ地中海を前にスペイン・カタロニアにも近いコリウールのあらゆるもの、港、尖塔、屋根や通りの角が彼らの創作意欲を刺激したと思われる。パリはフランスでも北にあり、明るい光や色彩には乏しい。

 「だが、こうなると、コリウール、ドムブルフに並んで、もうひとつの地名を挙げたいという誘惑に抗することはできません。もう余裕もないので、詳述することはできないが、それは、ミュンヘンの南西、バイエルン・アルプスの麓の丘陵地帯にあるムルナウという町。時代もモンドリアンがドムブルフに行ったのと同じ1908年、そこに、モスクワで生まれ、ミュンヘンで画家になったワシリー・カンディンスキー(1866-1944年)がやってくる。そして、かれもそこで、今度は「海」ではなく「山」を見ながら、独自の抽象絵画への道を歩きはじめる。その道行きのキーワードもまた「精神」。なにしろかれは、みずからの絵画のマニフェストとも言うべき『抽象芸術論――芸術における精神的なもの』というテクストを書いています(その一部を冒頭に引用しました)。こうした「精神」中心主義とも言うべき思想が生まれた背景には、―-これは、モンドリアンにも共通することですが――19世紀、ブラヴァツキー夫人からはじまる神智学やそれを受けたルドルフ・シュタイナーの人智学などの神秘思想の影響もあるのですが、ここでは立ち入りません。いずれにしても、カンディンスキーにおいても、抽象絵画への歩みの背景には強固な宗教的ないし神秘主義的思想があり、それゆえにこそ「精神」という言葉が特権化されるのだということは、理解しておかなければならないでしょう。
 《山》は精神的な青に染まって聳えています。しかし、その頂上には何やら「街」あるいは「神殿」があるのでしょうか、赤と黄と白のその色彩は、画面下部の二人の抽象化された人物の色彩と同じ、いや、《山》の上の空も同じ色彩です。だからこの《山》に登ることが問題になっているようにも思われます。《タイトル不詳(最初の抽象水彩画)》は、画家本人がずっと後から1910年制作と記したことで問題になりましたが、いまでは1913年制作であることが研究者のあいだでは認められているようです。色彩とタッチが乱舞する自由な抽象絵画ですが、それでも左下に見えるのは絵筆のようでもあり、右側の線描は「手」を思わせ、それならば、全体は画家のパレットそのものだろうか、と言ってみたくなる。実際、モンドリアンが「手」を抽象し、「色彩」を抽象して、幾何学的なコンポジションへと突き進んだのに較べると、カンディンスキーは、あくまでも画家の肉体、その「手」の運動を、またそれが生みだす「色彩」の出来事性を信じている、と言いましょうか。つまり絶対的で、普遍的で、純粋な形式を求めるのではなく、若い時のかれがしばしば言っていたという「対象がさまたげになる」という言葉のとおり、絵画を対象の拘束から自由にし、そして、手=色彩の自由がそのつど、音楽のように、ひとつの精神世界を立ち上がらせることを追求した。すると、そこに立ち現れるのは、そう、やはり「楽園」なのではなかったでしょうか。絵画の抽象化の必然的な結果ですが、カンディンスキーは1910年くらいからすでに《コンポジション》というタイトルの連作を描いている。また、《インプロヴィゼーション》というシリーズもある。しかし同時に、かれのなかには、「楽園」がある。マティスにも似て、裸の肉体が戯れる《愛の庭》であるように描かずにはいられない。そこでは愛し合う男女の肉体がはっきり描かれています。そしてそこには《小さな歓び》(Kleine Freuden)もある。それは、マティスの《生きる歓び》につながるものであるかもしれない。迫り来るさまざまな苦難を超えて、しかし「山」の頂上の向こうにはつねに「太陽」があって、それが《小さな歓び》をもたらしてくれるのでしょうか。カンディンスキーにとっては、絵画そのものが、そのような精神的な「山」であったかもしれないのです。」小林康夫『絵画の冒険 表象文化論講義』東京大学出版会、2016.pp.244-247. 
 
 モンドリアンのドムブルフというのは、マティスより2歳若いアムステルダムにいた画家ピエト・モンドリアン(1872-1944)が、ベルギーのワルケヘレン島でひと夏を過ごした場所である。後に直線と色彩だけで構成するコンポジション・シリーズで高名になるモンドリアンは、それまでの具象的な絵画から脱皮する契機をここで得たという話に続き、ロシア出身のカンディンスキーというこれも20世紀抽象絵画の開拓者にいくのだが、こちらは南でも地中海ではなく、アルプスの山である。
 画家にとっての風土とは、それを直接作品化する風景画には限らず、それを描いている場所の光、風、空気、建物、人の醸し出すもの、すべてが作品に反映しているといえばいえるだろう。マティスのコリウールは、それがぴったり当てはまるけれど、モンドリアンのドムブルフやカンディンスキーのムルナウは、どうも違うような気もする。北海沿岸やアルプスの北麓という場所は、地中海のような「南」の光と輝きとば別種の風土だということは、そこに行ってみるとわかる。だから、モンドリアンやカンディンスキーは抽象絵画に行ったのだというのも、少々牽強付会のような気がする。



B.風力発電が国を救うか?
 いずれはやめなければならない石油石炭火力、原子力に代り、風力、地熱、太陽光などの再生エネルギーへの転換は、それを積極的に進める国と、あえて取り組まない不熱心な国との差が開くばかりだ。もちろん国によって考え方や事情はいろいろ違う。電力の4割を風力発電でまかなうデンマークの風力発電事情についてのインタビューが新聞にあった。

 「再生エネへ転換 国の決意あり 「風力発電大国」に学ぶことは:ペーター・ヨルゲンセン氏
 電力の約4割を風力でまかなう「風力大国」デンマーク。太陽光など再生可能エネルギーを「主役」にするために日本が学べることは。電力システムを運営する国営会社エナギネットのペーター・ヨルゲンセン副社長(64)に聞きました。
――デンマークでは風力発電が盛んですね。
「30年前から本格的に導入し、15年前に海に風車を設置する洋上風力を始めた。昨年は電力の43%を風力発電が担った(火力は41%、太陽光は2%)。2020年までに50%にし、50年には石炭などの化石燃料から脱却するのが目標だ」
 —―なぜこれほど拡大したのですか。
 「国が確固たる意志をもって決めたからだ。当時、私は石炭火力発電所に関わっていた。効率のいい石炭火力があるのに、たくさんの風力を受け入れるという国の決定はクレージーだと思った。出力が変動する風力は、最大でも3~5%程度にしかならないと当時の業界では言われていた。従来の業界の考え方を変えることも必要だった」
 —―どうして実現できたのですか。
 「送電網が盤石だったからだ。大切なのは一国単位ではなく、欧州全体を一つの地域と捉えて(気象状況で出力が変動する再生エネの)電力の過不足分を補完しあうことだ。また開放的で自由な電力市場があり、(石炭などの燃料費がかからないため)安い再生エネが優先的に取引された」
 —―九州で今秋、再生エネの受け入れを減らす「出力抑制」が続きました。
 「デンマークで風力を抑えるのはまれで、中央機関から最後に出力抑制を指示したのは09年の大みそかだ。風力はそもそも競争力のある電源なので電力市場で選ばれて先に流れるからだ。風力を抑えても、火力のように燃料費の節約はできない。
 ――日本では原子力などを「ベースロード電源として優先しています。
 「デンマークにとってはベースロード電源という考え方より、柔軟性の確保の方が大事だ。原発は柔軟な調整ができないのが欠点だ。デンマークでベースロード電源だった石炭火力発電所は今、出力を上下させる調整用に使われている」
 —―日本が今後、再生エネの導入量を増やすことはできますか。
 「もちろん可能だ。日本は技術力がある。決意があるかの問題だ。電力を広い地域で融通しあうため、国有化された会社が社会の利益を考えながら送電網を運用するのも一つの案だ」朝日新聞2018年11月21日朝刊14面、金融・経済欄「聞きたい」。

 「決意があるかが問題だ」といわれて、少なくとも日本政府はこの決意にはきわめて無関心、というか無視している。もちろん、日本のような人口と経済規模の大きな国で、風力発電や再生エネルギーで電力の大半をまかなうのは容易ではないことはわかる。デンマークは、国土面積43,000㎢、人口約550万人(2008年)、老年人口(65歳)比率16%(2008年)、一人当たり国民総所得58,800ドル。日本は、国土面積378,000㎢、人口12,770万人(2008年)、老年人口(65歳)比率21.4%(2008年)、一人当たり国民総所得38,130ドル。
 兵庫県ほどの人口と埼玉県ぐらいの面積の北欧の小国が、日本を上回る一人当たり国民所得を得ていることを考えれば、風力発電で4割の電力をまかなえるのは小さい規模と海に面した半島という自然条件が幸いしている。北欧各国は原子力ゴミの処理を含め、長期的なエネルギー政策で先進的な取り組みをしている。それに引き換え、日本のエネルギー政策は、リスクを抱えた原発を再稼働して引き延ばすほかに10年先もまじめに考えていない惰性の延長にある。だからこそ国民生活を支えるインフラの長期的安定を「技術的に」真剣に考えるエンジニアが、この国にいると思いたいのはぼくだけではないだろう。
 同じページに経済学のミニ・コラムは、行動経済学という話題。

 「行動経済学は「学」か:米シカゴ大のリチャード・セイラ―教授のノーベル経済学賞受賞で日本でも話題になり、今や経産官僚諸氏のお気に入りとなった「行動経済学」について何冊か専門書を読んでみた。
 心理学や社会学の成果を引用する前置きに続き小難しい数式も出てくるが、「これは初歩の政治学の話でしょう」というのが読後の印象だった。
 英国の経済学者、ライオネル・ロビンズ教授の名著「経済学の本質と意義」によれば、経済学とは「与えられた財(資源)をいかに効率的に配分し効用を最大化するかに関わる人間行動の学問」だそうだが、人間行動の観察は政治学の領分。私が尊敬する京極純一東大名誉教授は、「人間とは意味を求める生き物」「意味を求める人間には欲がある」。そんな人間が「人生に、社会に、自分の行動に、他者との関わりに、意味を求めて浮世を生きる。その人間の営みを研究するのが政治学である」と説いた。
 経済学の基本概念である「効用」にしても、人間が「欲のある生き物」だから出てくるものだ。人の欲望は主観的かつ刹那的、そもそも次元の違う様々な欲望の共通指標などそう簡単に作れるものではない。3個のリンゴと彼女とのデートの効用は数値では比較できない。それでも人間はその時その時の状況で選択し行動している。それが市井人の生き様というものではないか。
 「暗闇で落とした鍵を明るい街灯の下で探す」のが経済学、と言う人もいる。モデルで説明できないことを「経済は感情で動く」だの「行動変容のナッジ理論」などともっともらしく解説するようになってくると、申し訳ないが素人の生兵法、もはや「学」とはいえない。 (呉田)」朝日新聞2018年11月21日朝刊14面、金融・経済欄

 現代の日々に生きている人間の営みを冷静に合理的に、あるいは実証的に研究する学問を、「社会科学」social scenceと呼ぶようになったのは、20世紀の始まった頃だという。経済学、政治学、歴史学、心理学などが近代科学の方法論を導入して精密な実証科学を目指した。経済学は、その基本概念「効用」「需要」「供給」「価格」「市場交換」を作り出して、現実の人々の集合的な行為の結果としての経済現象を、数理的に分析する新古典派総合の体系理論を生みだした。それは、経済的行為という人間の欲望のあらわれのある側面を詳細に描き出し、予測することに成功した。しかし、その前提となった人間観、ホモ・エコノミクスはきわめて人工的な、近代的・個人単位の功利主義的理論に拠っていた。この(呉田)氏は、「行動経済学」にみる経済現象におけるこの人間的欲望の分析枠を、政治学の領域に横流しして、精密な経済学から押し出す。
 でも、「社会科学」の一分野という謙虚な位置に甘んじた社会学からいえば、経済現象こそ人間の欲望と相互行為を、単純素朴な「効用」概念に縛りつけるのではなく、たとえば「経済成長への妄想的欲望」をいかに科学的に説明するか、という応用問題に答えることができるだろう。
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『自然数製造機』 ([魂]と⦅自然数⦆)
2019-11-14 05:20:05
 ≪…三次元の現実的な空間と、無次元あるいは無限次元の「魂」とを接続する二次元の表現…≫は、
「点と線から面へ」ヴァシリ―・カンディンスキー著・宮島久雄訳の
 ≪…すべての力はその表現を数に見出し、それは数的表現… ≫の
  ≪… コンポジションの「見取り図」 …≫として、『自然比矩形』の『つるぎがた』に託したい。

 『自然比矩形』や[円]の[点・線・面]の≪…「境界まで行く」…≫との≪…強い表現…≫は、≪…無限次元の「魂」…≫として⦅自然数⦆の[言葉](言語)を掴む。 
 それは、⦅自然数⦆の[1]が[カオスのヒエラルキー構造]を[示唆]していよう。

 ≪…数的表現…≫の[創生]は、『(わけのわかる ちゃん)(まとめ ちゃん)(わけのわからん ちゃん)(かど ちゃん)(ぐるぐる ちゃん)(つながり ちゃん)』で・・・
自然数 (絵本のまち有田川)
2020-01-14 06:32:26
 自然数は、
 [絵本]「もろはのつるぎ」で・・・

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