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オルテガ『大衆の反逆』を読む 13 過去と未来 Go To trouble

2020-07-23 21:30:54 | 日記
A.イギリス人はスペインを理解できるか
 オルテガ『大衆の反逆』(佐々木孝訳)を読んできたのだが、最後にかなり長い「イギリス人のためのエピローグ」という文章が収められている。はじめに置かれた「フランス人のためのプロローグ」と本文の前後を飾っている形だが、書かれた時点は本文刊行が1930年、プロローグは1937年、エピローグが1938年である。この1930年から38年までの9年間にスペインで何があったか、そしてマドリッドで本文を書いたオルテガは、1931年4月にスペイン第二共和政が成立すると制憲議会の議員となり、新憲法制定まで議員として活動する。しかし1936年2月に人民戦線の政権獲得、これに反対するフランコはモロッコでクーデターを起こし、内戦となったことで、スペインを脱出、亡命先のオランダで書かれたのがこのプロローグとエピローグだったという。つまり、まさに共和国成立から内戦に至る激動のスペインが、この『大衆の反逆』出版から二つの文章までの9年間にあたるのだ。内戦は1939年4月に、反乱軍側の勝利で終わり、フランコの独裁体制ができるのだが、オルテガがスペインに戻ったのは、第2次世界大戦終結後の1945年だった。
 「イギリス人のためのエピローグ」は英語に訳された『大衆の反逆』を読むイギリス人にむけて語りかけられている。内戦に向かう混乱のスペインの状況に対して、イギリスの知識人やメディアが対岸の火事のように、自分たちとは関係のないかのごとく平和主義を唱え、ナチスとすら妥協する一方で、国内では労働党など左派がスペイン共和派に同情的な言辞を吐く。要するに外国で進行中の事態を冷静に正確に知ろうとせずに、中途半端に自分たちの基準でものを言っていることを、皮肉を込めて批判している。それはフランス人にも言えるが、オルテガの立っている場所は「ヨーロッパ人」なのだ。

 「ここで現実に起こっている複雑なプロセスをよく理解するために、図式的に説明してみよう。A民族がB民族から受け取る情報は、Aの中に反論しなければならないという状況――幅広いグループでの反論か、あるいは国全体の反論――を引き起こす。しかし今ではそれら情報が超スピードで、しかも大量に途切れることなく届くので、そうした意見は一世紀前のように多少とも「静観的」な段階に留まることはなく、むしろ即座に活発な意向を帯電し、すぐさま干渉という性格を帯び始める。他にも、いつも特有の動機を持った陰謀かたちがいるもので、彼らは用意周到にそうした干渉を促そうとする。
 また逆にB民族の方でも、そうした遠くで起こった意見について、その不穏な空気、動向に関する情報をこれまた素早く、大量に、しかも途切れることなく受け取る。そして外国の奇妙な連中がとんでもない無礼な態度で、まるで自国を侵略しているような、まるで目の前で怪しい動きを見せているような印象を持つのである。こうした怒りの反応はすぐさま激昂にまでエスカレートしてしまう。なぜならB民族は、A民族の意見と実際にB国内に起こったこととの不一致にすぐさま気づくからである。こうなると隣人が自分たちの生に干渉しようとしていることに苛立ちを覚えるのはもちろんだが、しかしそれだけでなく自分たちの生を完全に無視しているとなると、相手側の不遜な態度は自分たちの中に激しい怒りを誘い出す。
 マドリッドで共産主義者やその同調者たちが、作家や教授たちを脅迫して、自分たちのマニフェストに署名することやラジオで話すことなどを強制していた間も、イギリスの主だった作家たちは自分たちの書斎やクラブの安楽椅子に座ったまま、なんの圧力も受けずに、それら共産主義者やその同調者たちは自由の擁護者であることを保障する別のマニフェストに署名していたのである。事を荒立てないようにしたいものだ。しかしイギリスの読者にぜひお願いしたいのは、先のような醜悪さと悲劇の間を揺れ動く現実を前に、私の最初の行動がどのようなものであったか、想像していただくことである。
 なぜかと言えば、それ以上に辻褄の合わない事態に出くわすことなどめったにないからだ。幸いなことに、私は生涯を通じて、私の心理的、身体的機構の中にきわめて強力な抑制と抑止のシステム―ーもしかすると文明とはまさにそうした装置以外の何ものでもないのではないか―ーを設置することに努めてきたし、またダンテも述べていたように、
 予見された矢はもっとゆっくり飛んでくる
 というわけで、驚きのあまり私自身が意気阻喪するようなことはなかった。もうだいぶ前から、私はヨーロッパのインテリに頻繁に見られる浮薄さと無責任さを指摘することに腐心してきたが、私はこれらを現在の混乱の原因の中でも第一級の大きさを持つ要因だと告発してきた。しかし、たまたま私が示すことのできるこの中庸は、「自然のもの」ではない。自然なのは、それらギリス人作家たちに対して私が今や情熱的な戦争状態になっていくことの方であろう。それゆえこれは、諸民族間の相互の無理解を作り出して機構船のメカニズムの具体例なのである。
 数日前、アルバート・アインシュタインは、スペイン市民戦争について意見すること、それに対する態度表明をすることが自分の「権利」だと確信を持った。ところでアルバート・アインシュタインは、現在と過去において起ったこと、いや常にスペインに起こっていることについての根本的無知を利用したわけである。このような無礼な干渉へと彼を踏み切らせた精神は、このところずっと知性人の世界的な権威失墜を招いてきたのと同じ精神である。そうした知性人には、精神力が欠けていて、世界が成り行き任せに進んでいくのを、手をこまねいて見ているのだ。
 分かっていただきたいのは、私がスペイン市民戦争について話すのは、多くの例のうちの一つとして、より正確には私自身に明らかな例としてであって、イギリスの読者にたとえ一瞬ではあっても、大量の「情報」にもかかわらず、自分が充分な情報を得てはいないという可能性があることを認めてほしいからに他ならない。もしかして、このことが読者を動かして、他の国についての不充分な認識を修正してもらえるかも知れないが、それこそが再び世界に秩序が君臨するための最も決定的な前提である。
 (中略)
知られざるすべての現実は、復讐を用意する。人間の歴史における破局の起源はこれ以外にはない。それゆえ民族は人間と同じく、別な形で別な理由からだが、一つの内面性――それは理由なく外から発見されることのないシステムである――を無視しようとするならば、その意図はすべて忌むべきものとなる。読者はどうか漠然としたこととか神秘的なことを考えないでいただきたい。何か集団的機能、たとえば言語などを取り上げてもらいたい。たとえどんなに勉強したとしても、外国語を内面的に知ることは事実上、不可能ということは動かし得ない事実なのだ。それならば、外国の政治的現実の理解がやさしいことだなどと信じるのは、無分別もいいところではなかろうか。
 だから私は世界の新しい枠組みの中では、かつてはほとんど無害であった、他国に起こっていることについて軽々に意見することが、ときに正真正銘の侵略に変わってしまうと主張したい。このことは、ヨーロッパの国民群がより上位の統一化へと近づいているように見えるまさにそのときに、突然、自分の中へ引きこもり互いに対してその存在を密閉し始め、国境を絶縁体で覆われた潜水服に変え始めたのはどうしてか、を説明するには充分だろう。
 私が思うに、前にも触れたことだが、ここには法の問題と並行して国際的な規律にとって第一級の新しい問題がある。以前私たちは新しい法的技術を要請したが、ここでは民族間の付き合いに関する新しい技術を要求したい。イギリスでは、個人が他の個人について意見することが許されるには、いくつかの注意事項を守ることが前提とされることを学んできた。誹謗文に関する法律があるし、「礼儀作法」という恐ろしいまでの独裁体制がある。一民族の他民族についての意見が、同様の規制を受けない理由などないはずだ。
 もちろんこのことは、基本原則についての合意があるということを前提とする。基本原則とは、すなわち諸民族ならびに諸国民が存在しているということだ。ところで、古くからの安手の「国際主義」は現在の苦悩を生み出した当のものだが、かつては、心の底ではその反対のことを考えていた。つまりその理論と行動のいずれも、その根っこに国民とは何か、そして国民という存在が世界の中で無視できない恐るべき現実を構成しているのだとうことについて、無知であったことを認めないかぎり理解できないのである。複数の国民が存在しているという肝心な事実をいつも自分の思い込みのせいで忘れていたという不思議な国際主義である。
 おそらく読者は以上のような否定的な考えではなく肯定的な教説を求めておられるのではなかろうか。もちろん私としては、きわめて図式的な説明になるかも知れぬ危険をあえて冒してでも、自分の見解を披露することになんの不都合も感じない。
 英語版でかなりの読者を得た『大衆の反逆』の中では、ヨーロッパ的共存の最も進化した形式の到来を、その統一の法的政治的組織化への第一歩を、私は擁護し告知している。このヨーロッパ的理念は、あのわけの分からぬ国際主義の対極に位置するものである。ヨーロッパは国民の側にあるもの(inter-nacion)ではないし、これからだってそうではないだろう、なぜなら国際なるものは、明確な歴史的概念からすれば、空隙、嘘、虚無を意味するからだ。むしろヨーロッパは超・国民(ultra-nacion)なのだ。西欧の国民群を形作ったのと同じ霊感が、ゆっくりと静かにサンゴ礁が繁殖するように地下深く活動を続けている。
 要するに、例の国際主義が代表する方法上の迷走のせいで、大事なことが見えなくなっていたのだ。つまりヨーロッパが具体的で意味のある統一に到達するのは、限界まで悪化したナショナリズムの段階を過ぎて初めて可能であるという事実である。これまでの伝統的な形式が新しい生の形式に移行し定着するのは、極限の形での修練を積んで初めて可能となる。ヨーロッパの諸国民は、いまや自分たちの限界に達し、そしてそれらの間の角の突き合いを経てヨーロッパの新しい統合へと進むであろう。問題はそこである。つまり国民を張り合わせることではなく、西欧の豊かな特性を残しつつ統合することなのだ。
 現時点において、先ほどもほのめかしたように、ヨーロッパ社会は今にも蒸発しようとしている。しかしだからといって、これが消滅や決定的な解体を意味すると考えるのは早計であろう。ヨーロッパ社会に見られる無秩序や極端なまでの分散状態は、ヨーロッパ社会が有する現実のもう一つの証明である。そういうことがヨーロッパに起こっているのは、共通の信念、ヨーロッパ的信念、それの社会化の基礎となっている有効性が危機に陥っているからである。いま直面している病気は、したがって共通のものである。問題はヨーロッパが病気になっていることではなく、それでもあれこれの国が充分な健康を享受していることである。つまりヨーロッパが消滅することもあり得るし、また別な歴史的現実の形式―ーたとえば手綱を緩められた諸国民、あるいは西ヨーロッパと根っこのところから袂を分かった東ヨーロッパ――に取って代わられたヨーロッパもあるかも知れないということである。ところが以上のいずれも地平線上にその姿を現してはおらず、だから病気は共通の、ヨーロッパ的なものであって、再建もまたそうであろう、ということだ。要するに、公的生の二つの違った形式、すなわち新しい自由主義と、ぴったりしない名称だが普通そう呼ばれている「全体主義」、という二つの形式をとってヨ-ロッパが現れる時代がやって来るであろうということだ。弱小民族は過渡的かつ中間的な姿を採用するであろう。
 これでヨーロッパは救われるであろう。またもや明らかになったのは、生のあらゆる形式は、その対立者を必要とするということだ。「全体主義」は「自由主義」の上でその色を落としながら、自由主義を純化させ、そうすることによって、自由主義を救うであろう。この純粋に機械的で暫定的な均衡は、最小限度の休息の新時代を、つまり人びとが心の中に持っている森の奥に、再び新しい信仰の泉が湧き出るためには欠かせない短い休息の時代を可能にするであろう。これこそ本物の歴史的想像力であるが、しかしそれは混乱の中からではなく、慎み深い自己沈潜の中から湧き出るのだ。
       パリ、 1937年12月 」オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』佐々木孝訳、岩波文庫、2020年.pp.370-379. 

   スペイン内戦がどのような戦争であったか、Wikipediaの引用によれば「この戦争では特に戦車および空からの爆撃が、ヨーロッパの戦場で主要な役割を果たし注目された。戦場マスコミ報道の出現は空前のレベルで人々の注目を集めた(小説家のアーネスト・ヘミングウェイ、ジョージ・オーウェル、写真家のロバート・キャパらが関わった)。そのため、この戦争は激しい感情的対立と政治的分裂を引き起こし、双方の側の犯した虐殺行為が知れわたり有名になった。他の内戦の場合と同様にこのスペイン内戦でも家族内、隣近所、友達同士が敵味方に別れた。共和国派は新しい反宗教な共産主義体制を支持し、反乱軍側の民族独立主義派は特定複数民族グループと古来のカトリック・キリスト教、全体主義体制を支持し、別れて争った。戦闘員以外にも多数の市民が政治的、宗教的立場の違いのために双方から殺害され、さらに1939年に戦争が終結したとき、敗北した共和国派は勝利した民族独立派によって迫害された。人民戦線派の反カトリック姿勢は徹底しており、内戦中、人民戦線派支配領域で殺害された聖職者は、その1割に相当する7,000人に上り、その大半は内戦当初の1936年秋に殺害された」(「スペイン内戦」の項)。さらに言えば、フランコ勝利後は、共和国派への弾圧もまた悲劇を生む。
 『大衆の反逆』が描く「大衆」は、自分たちが作っている社会の根拠を問う想像力をもたぬ、現状維持と享楽に埋没する王政末期のスペイン人だったが、王室の自滅と共和国の発足に、オルテガは改革の期待を抱いて政治に関わった。しかし内部対立や王党派の反抗の中で混乱は拡大し、ついに内戦に至り、それはソ連のコミュニズムとドイツ・イタリアのファシズムが各派を応援する代理戦争と化し、オルテガはスペインを見限った。

 「オルテガの『大衆の反逆』は危機感に満ちている。いまやヨーロッパは世界を導くにたる理念、モラルとエトスを持たないのではないか。その生の充実を失い、衰退の過程にあるのではないか、オルテガはこのことを繰り返し、本書の中で問い直している。その彼の眼前にあったのはアメリカとロシアの台頭である。
 オルテガにとって、アメリカはヨーロッパの「若返り」であり、共産主義ロシアという「カモフラージュ」の下には若い民族が見られる。それこそが両者の本質であり、「若者には生きるための理由など必要ない。必要なのはただ口実である」(244頁)。オルテガは共産主義を認めないが、いずれにせよ、若き両民族に対して老いていくヨーロッパを対置する。
 オルテガにとって、生きるとは「何かに向かって放たれることであり、目標に向かって歩むことである」(249頁)。その生が何ものにも向けられておらず、自らを託すものを持たないとき、人間は自らの迷宮をさまよう。自己解放を成し遂げたあと、なすべきこともなく、自らの内に閉じこもる生は空虚である。
 国家もまた同じである。「自らを賭ける何もの」を持たなくなり、減退感と無力感に悩む存在として、オルテガはヨーロッパの現状を描いている。ある意味で、このような診断は、現在の日本にも当てはまるかも知れない。民族的・言語的・文化的同一性を強調して、他者に対して開かれることなく、むしろ内なる衰退の言説にとらわれ、未来への共通の企てを考えようとしないのが日本の現状であるとすれば、それはまさに本書の中で描かれてるものに等しいのではないか。
 自分たちの生活が誰によって創られ、維持されているかを想像することなく、自らに課せられた使命や義務を考えようとしないとき、私たちは誰も「満足しきったお坊ちゃん」である。オルテガの本を読み、これを「新鮮な自己批判の書」として読む理由はそこにある。」宇野重規 解説(オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』佐々木孝訳)、岩波文庫、2020年.pp.423-424.

 宇野氏の解説は、オルテガが見た1930年のヨーロッパの状況は、現代日本にも当てはまるかというが、むしろ現在の世界で没落の運命にあるのは、まずアメリカ合衆国ではないか。スペイン内戦に続き第2次大戦が起こり、その結末と戦後の国際連盟という政界秩序をオルテガはある程度見通していた。だとすれば、戦後を導いたアメリカとロシアの軍事的・精神的覇権はすでに崩れ、「若い無謀で野蛮な新興国」があるとすれば中国になるのかもしれない。日本は、旧秩序にしがみつき、片隅で過去の栄光を懐かしむだけの存在なのかもしれない。


B.Go To トラブル?
 新型コロナウイルスの感染が日々新記録を更新し、第2波の到来といえそうな状況のなか、3月頃に考えた終息後の「V字回復」を期す観光業振興策「Go To トラベル」が始まった。火事を消すために薪を投げ込むような矛盾を、みんな感じているが、それでも安倍自民党政権やめろ!という声は起きない。インバウンド客をあてにした観光振興策は、地方経済の活性化を謳い文句に、カジノはじめあれこれ講じられてきたが、コロナで一挙に火が消えた。災害によって一気に客足が止まる観光業に頼るのは危ない、という認識は江戸時代からあった、という記事があった。なかなか面白い。 

「観光立国へ 江戸時代に学ぶ 寄稿 高橋陽一 宮城学院女子大准教授(日本近世史)
 災禍の危機管理 公の支援不可欠 :政府主導の観光立国政策は、これまで着実に成果をあげてきた。核となるのはインバウンド(訪日外国人)誘致で、その数は右肩上がりで増え続け、2019年は過去最高の約3200万人を記録した。だが、新型コロナウイルスの感染拡大により、事態は大きく暗転した。20年4月の訪日外国人数は、前年同月比99.9%減のわずか2900人だった。また、政府の観光支援策「Go To トラベル」をめぐっては、賛否両論の議論が巻き起こっている。観光立国政策は、岐路に立たされているといってよい。
 観光業は、災害や政情の影響をまともに受ける産業だ。災害や風評被害で旅行者が減少すると、たちまち観光地の宿泊業や飲食業は窮地に追いやられる。東日本大震災では、被災地の経済をインバウンドによって活性化させる東北観光復興事業が推進されたが、災害で冷え込んだ地域経済を災害にもろい観光政策で立て直すやり方は、自己矛盾ともいえる危うさをはらんでいる。はたして災害社会の中で観光立国は実現するのだろうか。
 江戸時代は、現代と同じように旅の時代であった。「伊勢参り」に代表される寺社参詣がトレンドだったが、松島(宮城県松島町)のような景勝地や温泉も庶民旅行者でにぎわった。そしてまた、江戸時代は災害の時代でもあった。とくに東北地方は、18世紀後半に天明の飢饉という大災害に見舞われ、一説には30万人ともいわれる死者を出している。
 その復興過程で、仙台藩の領民から、疲弊した地域を近隣の温泉の利潤で再生したい、という請願が出されたことがあった。増加しつつあった入湯客に眼をつけ、温泉の収益を貧窮村落に分配するといった計画だったが、仙台藩はこれを認めなかった。裁定を下した役人は「計画は書面通りに始終うまくいくだろうか」と疑念を呈している。不安定な産業に経済的依存度を高めることへの懐疑的な見方があったのだ。温泉が観光地として発展していくのは近代以降のことである。
 現在でいう観光収益によって地域経済にてこ入れしようとする社会の動きに対して、江戸時代の公権力は慎重な姿勢を崩さなかった。19世紀前半に天保の飢饉という災害に再び襲われた結果をみても、それは誤りとはいえまい。ただ、一方で領民も自らの将来を熟慮の末、温泉による地域の活性化を計画したはずである。多少のリスクを補填する覚悟で公権力がサポートできれば、新たな地域の展開もありえたが、江戸時代の領主はそれをまっとうできなかった。「観光立藩」を政策化するためのプロセスが未成熟だったと見るべきかもしれない。
 地域経済の観光への過度な依存が危険なのは、過去も現在も同じだろう。それでもなお、災害社会の中で観光業に存在感を発揮させようとするならば、ダメージを補う公の継続的なバックアップが欠かせないだろう。
 これからも災害は必ず発生する。そして、観光業は打撃を受ける。その弱点をあらかじめ念頭に置き、長期的視野に立って公的なリスクマネジメントを構築できるかどうか。これが、日本が真に観光で立国できるかどうかの分水嶺ではないだろうか。」朝日新聞2020年7月19日朝刊26面、文化・文芸欄。 

 観光で国を支えるというのは、モナコとかサンマリノとか、小さなミニ国家ならありうるが、日本は災害が頻発する1億人の国家で、観光業を栄えさせるために無理に国内外から旅に駆り出さなくても、もっと効果のある産業育成を考える知恵はないものか。
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