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この国の病に効く薬はあるのか?

2015-06-20 03:43:28 | 日記
A.ハケンは身分か
 同一労働同一賃金、あるいは同一労働同一労働条件という原則に対して、派遣労働法制定の当初の理念は必ずしも背くものではなかったともいわれる。終身雇用的な固定した雇用関係に、フレキシブルで自由な雇用の可能性をひらくことも期待された。しかし、その後の派遣労働の推移と改定が繰り返されるたびに、派遣労働は「雇用の調整弁」としての機能、いや雇用上の身分格差と有期雇用の固定化を強める結果になっていることは疑えない。今回はそれをさらに一般化する改正だと考えられる。こういう形で生き残るしかない企業とは、ダメな企業ではないのか?

「働く人を交代させれば企業が派遣労働者を使い続けられる労働者派遣法改正案は十九日午前、衆院厚生労働委員会で採決され、自民、公明両党の賛成多数で可決された。民主、維新、共産の三党は反対した。与党は同日午後の衆院本会議に緊急上程して衆院通過させ、参院に送る方針。政府・与党は今国会中に成立させ、九月一日施行を目指す。
:〔解説〕「一生派遣」消えぬ懸念:労働者派遣法改正案は、企業が派遣労働者を使いやすくすることが狙いだ。経済成長を優先したい安倍政権が、経済界からの強い意向を受け改正を目指す。本来、派遣労働は「臨時的、一時的」な働き方とされるが、改正案は「一生派遣」の労働者を増やすとの懸念がぬぐえない。
 改正案の最大のルール変更は、現在は最長三年となっている同じ職場で派遣労働者を受け入れる期間の制限を事実上撤廃することだ。
 賃金などが正社員より低く「雇止め」しやすい派遣労働者を使い続けられる企業には有利な改正だ。労働側は派遣労働者が増えると反発する。
 現在、派遣期間の上限がない秘書や通訳などの「専門二十六業務」は、契約を更新すれば同じ職場で働き続けられる。改正案では三年までしか働けなくなる。専門を生かせる職場は限られる上、中高年からは新しい派遣先が見つからない不安が広がっている。
 政府は、改正案に雇用の安定策を盛り込んでおり、働く人を守っていると強調するが、実際に仕事につけるかどうかは疑問だ。
 二〇〇八年のリーマン・ショックの際は「派遣切り」が社会問題化した。派遣労働者は同年の二百二万人から十四年には百二十六万人まで減った。人手不足の今、派遣労働者のニーズは再び高まっている。だが、「雇用の調整弁」の立場が変わらなければ不安定な雇用は続く。改正案が派遣労働者の正社員登用や雇用の安定を実現させるのか注視し、検証する必要がある。(鈴木穣)」東京新聞2015年6月19日夕刊1面。

 安倍政権はこの国をやる気のある企業が思い切り活動できる国にしたい、というようなことを言っていたはずだが、実際にやっているのは、人件費を切り詰めるしか策のないダメな企業が、思い切りすきなだけ人を使い辞めさせられる国にしているだけではないのか。治療が必要なのは、派遣労働者ではなく、ダメな経営者を後押しする政府じゃないのか?



B.治療としての文学と患者としての読者
 1992年に高橋源一郎は40歳ちょっと過ぎ、柄谷行人は51歳。考えてみれば、若かったんだな。表紙の写真も若い。その彼らが、若者は文脈を共有しない「他者」であると言っている。だからこそ、その若者に「文」で語りかけることは、理解不能を知っていてなお語ることが意味があると言う。確かにそうなのだが、「文学」は「文」でやるしかないので、かなり「厄介」な作業だな。

「高橋:起源の小説とされる『ロビンソン・クルーソー』だって漱石の手にかかるとコテンパンです。漱石の『文学評論』でいちばん面白いところは、デフォーの悪口をいうところなんですね。漱石はデフォーを「無味乾燥である」といって猛烈に批判している。ユーモアの欠如を許せなかったんでしょう。
柄谷:笑いに関しては、誰でもベルグソンのユーモアはあの「笑いについて」とは関係ないと思う。それは彼の哲学そのものにある。バフチンがいう笑いもユーモアではない。それから、ウンベルト・エーコが『薔薇の名前』で笑いをもってくるけど、あれも違う。ユーモアはない。
高橋:うん、あの小説にユーモアはないですね。
柄谷:だから、ほんとは世界的なレベルで「美と崇高とユーモア」という本を書かないといけない。フロイトはそれを非常に重視した。ラカンは、フロイトの可能性を片言隻句から引き出した人だけど、それについては無視したということは、彼自身にそういう関心がなかったということになるだろうね。
高橋:そこは回避してるのです。フロイトはほんとうにあらゆることについて書いているのですが、驚くのは、その多様性より、とり上げ方が的確なことですね。ラカンやユングもそこは絶対にかなわない。
柄谷:正岡子規は結核でずっときつい状態にいたけど、フロイトもガンの手術を何度も受けているんですね。
高橋:そうですか。
柄谷:今の医学じゃないから、ガンになればおしまいでしょう。
高橋:大変だったんですね。
柄谷:彼がそういうなかで、あんな仕事をした人だということは、知っておくべきだね。何でそれに耐えられたのかというと、やっぱりユーモアだと思うんですよ。
高橋:虚子もユーモアのない人ですね。
柄谷:ないですよ。
高橋:しかし、子規にはある。
柄谷:子規の姿勢は、東洋的悟達とかそういうものとは違う。悟達なんか出来ないといっているわけでね。食い物のことばかり書いたりして。絶望的な状態だからこそ、やるという感じだね。
高橋:絶望的なのはわかっているからこそ、元気を出そうとしている。そして、そのことを他者に向かって書くわけですね。
柄谷:そうそう。それがユーモアだと思うんだよね。共産主義の理念が崩壊して、それに対抗することさえ意味がなくなってしまったから、ぼんやりしているというようなタイプはいやだね。
高橋:ええ。
柄谷:さっきのオルビーの話は、僕にとっては、たしか一九六〇年代の初めごろなんです。あの頃「イデオロギーの終焉」が一番いわれたんですよ。実際、あの頃、僕の同世代の連中は、近代経済学に移行した。しかし、僕は実はそれからマルクスを読み始めた。だから、僕には、同世代から文句をいわれる筋合いはないんだ。(笑)そういう意味では、三十年前の気分とほとんど変わらない。「孤立」なんて、当たり前じゃないか、と思う。
柄谷:高橋さんは、『さようなら、ギャングたち』で登場したんだけど、僕はたまたま「群像」で創作合評をやっていたから、そのころの文壇的反応を覚えています。小説なのか何なのかよくわからない、という感じだった。実際、あなたは「小説」を書こうとしていなかったわけですね。それは、ある意味で、漱石と似たところがありますね。
高橋:漱石は僕にとって別格の作家です。たとえば、僕は自分の中で『さようなら、ギャングたち』という小説を、もちろん作品の価値は別にして、漱石にとっての『吾輩は猫である』の位置にあるように思ったりしているのです。そして、いままで自分の過ぎてきたのが、『漾虚集』や『虞美人草』や『草枕』の時期であり、今書いているのが『坊っちゃん』にあたるのではないかと、主観的には、考えたりしています。そう、そして、ようやく自分にとっての『三四郎』を書くことができるのではないかと想像したりしているのです。
 では、なぜ他の作家ではなく漱石なんだろうか。さっき、僕たちはフォークナーの話をしました。かれは南部という固有の世界とその空気をもっていました。はっきりした場所があったんですね。バースやカルヴィーノやピンチョンはフォークナーのような書き方はしないし、できない。たとえば、日本ではどうだろう。最終的にそれを肯定するにせよ、否定するにせよ、中上健次には「路地」があり、大江健三郎には四国の「村」があった。たしかに僕たちにはそういう条件が欠けています。しかし、そのことを羨む必要もなければ、悲しむ必要もないと樸は思うのです。所属する土地はなくてもかまわない。だが、出発するための場所は必要です。そういう条件で書かざるを得なかった作家、ということになると、僕は真先に漱石を思い出してしまう。
 もちろん彼には複雑な家の問題があった。国家との関係にも悩まなければならなかった。しかし、かれが作家としてのたたかいの相手に選んだのは、ジャンルとか、言文一致であった。要するに言葉を相手にたたかいはじめたのですね。それは今でも可能だし、僕にとって漱石はいつも現役の作家なんです。
柄谷:高橋さんはたぶん知的に早熟だったと思うけど、書き手としては、いわばオクテなんだね。『さようなら、ギャングたち』も三〇を越えていたでしょ?そういう遅れは重要だと思う。漱石も書くのはオクテですからね。それは、やはりその時代とはうまく合わないものをもっていたからでしょう。表現形式もふくめて。それは反時代的ということと違うと思う。たとえば、僕も「批評」という形式が何なのかよくわからないままでやってきた。べつに、これまでの批評に反撥したり、新しい形式を作ろうとしたわけじゃない。何となく、やりたいようにやってきただけなんだ。それが「批評」として読まれたらそれでいいし、そうじゃないといわれたってかまわない。
 ただ、「読者」という問題が在るでしょう。たとえば、湾岸問題の時、あなたは、自分の読者に伝えたいというようなことをいっていた。それが妙に印象に残った。そういう場合、あなたは、具体的な読者のイメージがあるんですか。
高橋:以前は、ある程度具体的な読者のイメージがあったような気がします。でも、いまはそのイメージはありません。
柄谷:そうか。それは湾岸以来ですか?
高橋:この二、三年です。僕は湾岸戦争についてはほとんど何も書きませんでした。唯一の例外が、「Switch」という雑誌に載せた架空講演です。僕はそこで講演を「書いた」のですが、その時、いったいどんな観客、というか読者を想定すればいいのか分からなかった。だから、逆にこれを読んでくれる人間が読者なのだと思うことにしたのです。あらかじめ読者がいて、それに合わせて書き送るのではなく、そのとき書かねばならないものがあり、それを読む人間がいたとするなら、それが読者だと思ったのでした。
柄谷:「読者」というのは、非常に難しいですね。目の前で、「私、愛読してます」といわれても、それは僕の考えている「読者」ではない。つまり、僕が考える「読者」というのは、実は、僕の本を読んでくれそうもないような他者ですね。具体的にいうと、若い人ですね。若い人は精神病者みたいなもので、ナルシシストで、過去のいきさつなど何にも関心がないわけだからね。
高橋:そう、決してこちらの文脈を読みとろうとはしないのですね。
柄谷:自分がいいと思えばいいと断定するし、すぐに見捨てる。これが大学院生ぐらいになってくると、自分の書生が関係してくるから、いろいろ気を使いはじめるわけね。大学生は無責任そのもので、威張りまくってる。僕もそうだった。高校生なんてもっとむちゃくちゃいってるね。
高橋:僕もそうでした。(笑)自分に似た人間が読んでると思うと、ゾッとする。(笑)
柄谷:可能性しかないから。
高橋:失うものがないんですからね。
柄谷:若い人というのは、僕にとっては、無関心な他者というのとほぼ同じなんだけど。そういう人に向かって書くということは、若者向けということとは全然違う。若者は無知でどうしようもないんだ。若者に新しい感覚なんてあるわけがない。「世代」なんていう連中は全然怖くない。しかし、若い人はほんとに他者であって、今までのいきさつを理解してくれないから。
高橋:そう、ほんとにうんざりする。(笑)しかし、読者にはその権利があるから仕方ない。
柄谷:それが一番ふさわしい読者ということになるんじゃないかな。だから、共通の規則という前提なしに書きたいと思いますけどね。漱石もそういうことをいっている。そして、やはり若い人に向かっている。
高橋:漱石はそこでも非常に面白い存在ですね。かれは新聞に小説を発表しつづけた。そこは読者の問題をもっとも生々しく考えられる場所だった。たぶん、かれは新聞の向こう側にいる読者について、具体的なイメージを持っていただろう。ある場面では、作家が精神科医であり、読者が患者であるということも知っていただろう。なにしろ、かれは自分で自分を治療していたぐらいですから。それから、また別の場面では、作家が患者であり、読者がそれを治療する医師であることも知っていた……。
柄谷:それは常に相互的に入れ代わるし、しかもフロイトは、精神病者に対する無力と敗北を認めてるんですよね。手も足も出ない、と。僕は、だからだめだというんじゃなくて、だからいいのだと思う。敗北を公然と認められるというということがね。
高橋:で、元気出せって。(笑) (1991.12.14)」柄谷行人×高橋源一郎「対談:現代文学をたたかう」講談社『文藝』1992年5月臨時増刊号.pp.47-50.

 これで対談は終わっている。もう少しぼくも「現代文学」についても考えてみたいとは思ったが、何しろ高橋源一郎があげる現代作家の作品をほとんど読んでいない。漱石や谷崎の話なら何か言えそうだが、20世紀末から現在進行形の文学は何も知らないに等しい。少し読んでからの方がいいか。
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