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日本史における真の革命家? 9 北条泰時の革命  フィクションの想像力

2024-06-18 11:56:09 | 日記
A.キリストと泰時
 大澤真幸「日本史のなぞ」を読んできたのだが、この人の文章は、やたら句点{、}が多い。「だが、他方で、泰時は、」というように、いちいち区切る。これが妙に気になる。どういう文章を書くか、そのフォームは著者の自由ではあるが、句点のみならず、この人の文章は、石ころの多い坂道をつまづきながら歩く気がして、論旨は別として、心地はよくない。北条泰時が、日本史における唯一の革命を成就させたのはなぜか、という基本テーマを論じるのは、あくまで歴史家の実証主義的視点ではなく、社会変動論の重要ファクターとしての論理構成の問題なのだ。社会学をぼくも学んだから、その意図はよくわかるし、「革命」を可能にする条件を、比較社会学的に検討して、日本史にあてはめることの意欲的挑戦は、とても興味深く読んだ。しかし、読みながら、これは山本七平から、あるいは小室直樹から、使えるところだけ抜き出して、大澤流の空中楼閣を築いているのではないか、と思わないでもなかった。結局、日本の天皇制という装置を、どう捉えるのか。それは社会システム論的にきわめて効果的な機能を果たすものとして評価し、北条泰時はそれをうまく使ったからこそ、日本で唯一の革命に成功したのだ、ということが結論なのか。ならば、晩年の清水幾太郎に近づくのではないか。

「福音書に書かれたキリストの人生が衝撃的なのは、一方では、惨めに死ぬ以上、彼は人間なのだが、他方では、まったき神でもあるからだ。キリストは、半分神で、半分人間なのではない。天皇の場合には、まさに半分だけ神であるような人間である。あるいは、天皇は、紙になりそこなった人間である。しかし、キリストは違う。彼は、百パーセント神であり、百パーセント人間だ。彼が十字架の上で絶命するとき、同時に、彼が、神で(も)あったというアスペクトが、活きていなくてはならない。
 これと類比的な二律背反(アンチノミー)が、泰時の天皇制への態度のうちにも認めることができる。もし泰時が、一般の将軍のように、形式的に天皇に恭順し、天皇から(征夷大将軍等の)地位を受け取るだけであったならば、彼は、天皇の(準)神的な超越性から派生する(二次的な)超越性を受け取り、自らの支配の正統性の根拠として活用していただけだ、ということになる。しかし、彼は、承久の乱において、天皇や皇室を徹底的に否定した。皇室の軍隊と積極的に戦い、勝利の後は、首謀者の上皇たちを厳罰に処し、天皇を退位させたのだから、これだけであれば、天皇の超越性を否定し、自分がそれに取って代わろうとしている、ということになる。中国の王朝の交替において、前王朝の皇帝を打倒し、新皇帝が天子となるときのように、である。
 だが、他方で、泰時は、朝廷を全面的に肯定してもいるのだ。天皇制や皇室を排除することはなく、御成敗式目においても、西国への「内政不干渉」を表明し、律令もそのまま保存した。さらに言えば、鎌倉幕府、つまり得宗政権は、その支配の正統性に関して、究極的には、天皇に連なる要素に依存している。そのことを端的に示しているのが、実際にはまったく政務を担当することがない将軍を、最後まで、摂関家や皇族から招き入れ、まるで宝物のように守り続けたという事実である。
 キリストにおいて、神という位格は、全面的に肯定され、かつ否定されている(別の言い方をすれば、神という位格と人間という位格がともに完全に肯定されている)。同じように、泰時の政治において、天皇は肯定され、かつ否定されている。天皇は、一神教の観点からみれば、真の神ではないので(むしろ偶像なので)、泰時の二律背反が含意する矛盾は、キリストの場合よりはずっと小さい。しかし、形式は同じである。そして、この二律背反、つまり天皇に類する超越性と一介の人間(臣民)であることの従属性とを、泰時が自らのうちに体現してみせる。それこそが、「武蔵守」という資格だ。
 北条泰時が為したことが、どうして革命になりえたのか、泰時の業績や人生をいかに細かく調べていっても、われわれは事実の集積を得るだけで、ここに働いている論理を抽出することはできない。今見出した、泰時とキリストとの、論理の平面での一瞬の邂逅を、いわば奇貨として活用し、ここで、極端に思い切った補助線を引いてみよう。補助線とは、パスカルの賭けである。と言うより、厳密には、パスカルの賭けに対するディドロによる再構成である。
 十七世紀の哲学者ブーレーズ・パスカルは、ジャンセニスムとして知られる異端的なキリスト教思想に属する神学者でもある。パスカルが、人を神への信仰へと誘うために案出した、有名な思考実験的な賭がある。この賭の意義を理解するには、西洋の哲学・神学には、「神の存在証明」の伝統があることを知っておかなくてはならない。中世から近世にかけて、多くの哲学者・神学者たちが、神が存在していることを論理的に証明しようとしてきたのだ。パスカルの立場は、神の存在を証明することは不可能だ、というものだ。それは、神が存在していないということではない。そうではなく、人間には、神が存在しているかいないかを知ることはできない、ということである。おそらく、パスカルは、神の存在の証明を試みること自体を、冒涜的なものと考えていた。しかし、知性に訴えるようなかたちで、神の存在を人に納得させることができないのだとしたら、どうやって、人を信仰に導けばよいのか。そこで、パスカルは、人生を賭に見立てることで、神を信ずべきだ、ということを説く。今日のわれわれが持っている概念の道具箱を用いれば、それは、ゲームの理論における合理的選択のようなものとして記述することができる。
 どのような賭なのか。まず、人間には二つの選択肢がある。もちろん「(神を)信仰する/信仰しない」のいずれかだ。それに対して、現実は、神は存在しているかいないかのいずれかである。しかし、神の存在/不在については不可知である。したがって、人間は、信仰か不信仰かのどちらかに賭けなくてはならない。どちらに賭けるべきなのか。このようにパスカルは問う。
 神が存在していると仮定してみよう。このとき、もちろん、「信仰」の方を取った者は、賭に勝利する。彼には、天国で高い報酬が待っているだろう。しかし、「不信仰」を取った者は、目も当てられない悲惨なことになる。彼には地獄での永遠の苦しみが待っている。重要なのは、神が存在していない場合である。このときには、「不信仰」を取った者が賭に勝利し、「信仰」を取った者が損をするように見えるかもしれない。だが、よく考えてみよ。確かに、神が存在しないとしたら、信仰を持たずに生きたとしても、死後に地獄に行くことはあるまい。では、神が存在しない場合に、それでも信仰を持って生きた者は、何かを失うだろうか。神がいないのだから、信仰していたとしても、何か報われるということはないが、しかし、だからといって、損をするわけでもあるまい。つまり、神が存在しない場合には、信仰をもつ者にももたない者にも同じ結果が――死後に何もないという結果が――待っているのである。
 以上の計算から、人間としては、信仰と不信仰のどちらを選択すべきか、明らかであろう、とパスカルは言う。人間は、神を信仰すべきである。そうすれば、神が存在していても、そして、神が存在していなくても困らない。だが、不信仰に賭けた場合には、神が存在していたとき、とてつもなく不幸なことになるだろう。したがって、人間は信仰に賭けるべきだ。これがパスカルの賭である。
 この論法には、多くの反論が提起されてきた。しかし、たいていの反論は本質的ではない。ここで注目したいのは、パスカルの一世紀後に、啓蒙思想家(百科全書派)のドゥニ・ディドロによってなされた、この賭の再構成である。ディドロは、「唯物論者の信仰」というタイトルで、この賭を再考する。結論的には、ディドロは、パスカルの選択を支持する。つまり、人は「信仰」の方に賭けるべきだ、と。だが、その理由が重要だ。ディドロのあげる理由は、パスカルとは正反対なのだ。
 パスカルが述べていることは、要するに、「信仰」の方を選択する方が得だ、ということである。だから、たとえ神が存在していないとしても、神が存在していると仮定して行動せよ、とパスカルは説く。しかし、これは、報酬を目的とした信仰である。神が存在しているとすれば、信仰に合致した行動は、正の報酬によって報いられることになるということを前提にしている。神が存在しているかもしれないのだから、信仰しておいた方が得だよ、というわけである。しかし、報酬を目的とした信仰は、ほんとうの信仰であろうか。神が与える報酬を目的としているのだとすれば、それは、神を信仰していることにはなるまい。たとえば、あなたが一億円をくれるからあなたについていく、という人は、あなたを敬愛しているわけではなく、一億円に魅力を感じているのだ。状況は、これと同じである。
 そうだとすると、純粋な信仰とは何か。死後に報いてくれる者がいないにもかかわらず(天国や一億円によって報いてくれる者がいないにもかかわらず)、信仰を維持しているのならば、それこそ、真の信仰だということになる。つまり、何の報いもない(かもしれない)ということを十分に自覚した上で、信仰していれば――信仰している場合と同じように行動することができれば――、それは、純粋な信仰である。とすれば、ここには、極端な逆説がある。死後に報いる者とは、もちろん神である。神が存在しない(かもしれない)からこそ、神を信仰する、という逆説である。ディドロが示唆しているのは、このような論理である。パスカルのオリジナルなケースでは、神の存在(の可能性)が、信仰の根拠になっている。しかし、ディドロの再構成では、逆に、神の不在(の可能性)こそが、信仰の根拠になっているのである。
 私の考えでは、イエス・キリストという事象のポテンシャルを最高度に引き出せば、まさに、ここに要約したディドロ的な信仰になる。キリストの磔刑死によって、まったき神はまったき人間に還元され、神は不在となる。まさにそのことを条件とする信仰こそが、キリスト教の論理の徹底した結論である。さらに言えば、イエス・キリストというモデルが、後に、いくつもの革命を産み出す母体となりえたのも、キリスト教にこのようなポテンシャルがあったからではないか。
 パスカルからディドロへと受け継がれた信仰の賭が、目下のわれわれの主題とどのように関係しているのか。結論を言えば、泰時が為したことは、日本人が自覚することなく、歴史の偶然によって、ディドロの信仰と同じ形式の態度を天皇に対してとることを意味していたのだ。泰時は、承久の乱を仕掛けてきた、当時の皇室の実力者たちを、つまり「治天の君」であった後鳥羽上皇をはじめとする上皇たちを厳しく罰した。この点から見れば、彼は、天皇や皇室を、当時としては破格の厳しさで否定したことにもなる。にもかかわらず、彼は、皇室や天皇への敬意を維持してもいて、皇室を廃棄もしなかった。ディドロの信仰は、不在の神への信仰である。これと同じように、泰時は(内面的な意識においてではなく)行動を通じて、言わば、不在の天皇(上皇)への忠義を表現した。
 泰時が明恵上人から引き継いだこと、つまり自生的秩序の徹底肯定は、この点に関係している。自生的秩序の生成をそのまま肯定するということは、その秩序を制御する外的な審級(超越神のようなもの)の存在を否定することである。そのような存在を否認しても、なお神が存在しているのと同じような秩序が存在しうることへの信頼が、自生的秩序をを徹底的に肯定し、その潜在的可能性を引き出そうとする態度をもたらすことになる。
 承久の乱から始まる泰時の一連の行動が、日本の歴史の中で、(今のところ)一回限りの革命でありえたのは、泰時が、ディドロの賭に類比的な態度を、天皇に対してとることができたからである。ディドロが暗示したのは、神なき信仰である。これと対応させるならば、泰時の行動は、天皇なき天皇制を体現している。この革命によって、武者の世への意向が完遂した。確かに、武家政権は、その後も、天皇へのあいまいな依存を断つことはなかった。しかし、東国の田舎を地盤とする、戦う集団がせいぜい天皇や公家に雇われる官僚や警備員になることが最高の出世であるという状況を超えて、自律的な政府をもつことができたのは、泰時によって完成された革命のおかげであろう。このおかげで、武者たちの規範が、日本の伝統の行動原理の中に加わることにもなったのである。
 ここで、革命の可能条件についてのわれわれの探求は、大きな逆説に到達していることになる。第Ⅱ章の末尾で、われわれは、革命の一般範式なるものを提起した。革命が可能であるためには、システムに外在する〈例外的な一者〉が必要だ、と。目下の文脈で対応をみれば、〈例外的な一者〉を否定的にのみ活用する革命というものがありうる、ということである。つまり、それを「抹消する」(神なき信仰、天皇なき天皇制)という方法を通じて成し遂げられる革命があるのだ。泰時が行なったことが、それである。
 〈例外的な一者〉を肯定的に活用するような革命は、日本では起きなかった。天皇は、社会システムとの関係で、真の〈超越性・例外性〉をもっていなかったからだ。しかし、それを否定的に活用するのであれば、日本でも、革命が起こりうる。このことを示したのが、北条泰時であった。」大澤真幸『日本史のなぞ なぜこの国で一度だけ革命が成功したのか』朝日選書、2016年。pp.165-174.

 ある意味で、明治維新で西欧型近代化を試みた日本が、革命を避けながらユダヤ=キリスト教を模倣した西洋絶対主義王権に似て非なる天皇、という神を据えたことが、そのまま力による帝国主義の追求とその先の破滅を呼び込む結末を迎えた、といえる。それは北条泰時型の革命とは、まったく別の悪しき実例になったというなら、かなり当たっているとは思う。


B.歴史のシミュレーション
 1945年、日本が大戦に負けて、ドイツや朝鮮半島やヴェトナムのように二つの国家に分断されていたら、という仮説を、架空物語にするという小説はいくつかあって、冷戦時代の現実はすでに、社会主義国家の消滅という形で結論が出ているので、一種のパロディでしかない。だが、日本が経済大国になって表向き繁栄を謳歌しているかに見えた時代には、それは喜劇として成立した。しかし、いまや分断国家日本の再統一という空想は、重苦しい悲劇でしかない。

「大波小波『ひとつの祖国』の陰鬱 
 貫井徳郎『ひとつの祖国』(朝日新聞出版)の舞台は、ドイツと同様、第2次世界大戦で東西に分割されたのち再統一された日本。共産主義国だった旧東日本は経済が低迷し、西日本との間で格差が生まれている。
 だが、相対的には繫栄している西日本も、内部では格差の拡大が進行。総体としての日本も、国際的には凋落が明らかで、あちこちで格差と分断が広がる。そんななか、東日本独立を叫ぶ組織が登場し、テロ事件が発生する。
 矢作俊彦の『あ・じゃ・ぱん!』(角川文庫)と似た設定だが、田中角栄がパルチザンとして活躍するなど矢作の小説がシニカルな笑いに満ちていたのに対して、貫井の小説のトーンはおおむね陰鬱だ。この違いは何によるのか。
 『あ・じゃ・ぱん!』が自動車雑誌「NAVI」に連載されたのは1990年代初めだった。
 加筆・再構成されて新潮社から出たのが97年。すでにバブルは崩壊していたが、まさかここまで日本経済が低迷するとはだれも予想していなかった。貫井が陰鬱になるのもよくわかる。
しかし、貫井の小説は、共産主義にも資本主義にも希望を抱けない時代に、ひとつの可能性を示唆するところで終わる。物語のその向こうに注目したい。(首)」東京新聞2024年6月17日夕刊、5面。

 どうしてこんなことになってしまったのか。と人々は徐々に気づき始めているのかもしれない。日本経済が凋落を始めたころ、アベノミクスが華々しく登場し、これで日本も立ち直ると期待した者も多かった。しかし、いまやそれがなんであったかは結論が出た。大失敗を重ねた結果、この国は泥沼の衰弱から抜け出せなくなっている。とりあえず、自民党という既得権にしがみつく腐敗した政治家たちを一掃しなければ未来はない。
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