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世界から見た日本と東洋の美 2 美術史における「様式」  うそはいけない。

2024-06-27 09:39:27 | 日記
A.様式とは何か 
 西洋美術史で「様式」を指す独自の用語が用いられているのは知られている。「バロック」、「ロココ」、「ネオ‐クラシシスム」「印象派」など、あるいは「ルネサンス」という言葉も、美術史上の様式をあらわすと考えることもできる。これらは、ある時代、ある地域に現れた一群の作家・芸術家とその作品に共通する特徴をまとめて呼んだものである。しかし、これは西洋とくにヨーロッパに焦点を置いたもので、古代にまで遡ればギリシャ・ローマ時代からそういうものがあった、という見方による。この「様式」を、東洋とくに日本の美術史にあてはめられるか、そんなことを考える日本美術の研究家はまずいなかった。なぜなら、少なくとも江戸時代までの日本美術は、中国からの影響は多大なものがあったけれど、西洋とは全く違った文化であり接点もなかった、と見れば、西洋美術の「様式」を日本にもってきても背景が違い過ぎて無理である、と考えたからだろう。しかし、西洋美術史学者である田中英道氏にとっては、これはおかしなことであり、美術作品そのものに、あるいはそれを制作した作家の造形意志に、西洋も東洋もないではないか、ということになる。そこで、この『日本美術全史』という果敢な試みになったわけだ。
 ある意味で、すごい挑戦だと思うが、一般の常識にはかなり反しているので、まあ読んでみる。

「目次を見られてもわかるように、本書ではこれまでの「日本美術史」の書には聞きなれない「アルカイスム」とか「クラシシスム」「マニエリスム」「バロック」などという言葉がつかわれていて、驚かれた向きもあるであろう。
 私は決して「西洋美術史」の用語を、奇をてらって割りふったわけではない。内在的な形象の問題があるからそうしたのである。従ってまず最初に、この書の骨格をなす「様式史」について説明しておこう。
 日本美術の歴史を記述する場合、これまでは政治的な時代区分をそのまま使ってきた。それは、美術が政治からは自立して発展してきたことが気づかれなかったからである。しかし、美術には「様式」というものがある。
 芸術的表現において「様式」が常に問題にされなければならないのは、まず人間の精神的創造活動が、対象の形象化において感覚的に把握されているからである。この意味で「様式」は単なる外面形式とは異なり、精神的表現の形象化を本質に持っている。リーグルの有名な「芸術意志」の言葉を待つまでもなく、そこに自律的に発展する内在的な個々の表現力が存在する。それはまず「個人様式」となってあらわれ次に「工房様式」や「地方様式」「民族様式」そして「時代様式」となって現出する。しかしその上にそれが時代によって変化して初めて、自立した発展が見出されるのである。
 この「様式」概念はヴィンケルマンにより西洋美術史に取り入れられて以来、リーグル、ヴェルフリン、ドヴォルシャ-クに及ぶ考察により、様式史の常数として「アルカイスム」「クラシシスム」「マニエリスム」「バロック」様式などが明らかにされてきた。この様式発展はギリシャ時代の紀元前六世紀から三世紀にかけてと、西洋のイタリア美術の十三世紀から十七世紀にかけて適用されているが、西洋美術史が一つの学問として確立されたのも、政治権力史とは自立した展開をもつ「様式史」の発展が大きな要因となっている。
 ドイツの著名な美術史家ヴェルフリンはその『美術史の基礎概念』において十六世紀「クラシック」から十七世紀「バロック」への有名な五つの対概念を述べている。

 一 線的(彫刻的)なもの――絵画的なもの
 ニ 平面的――奥行的
 三 閉じられた形式(構築的)――開かれた形式(非構築的)
 四 多元的統一――一元的統一
 五 絶対的明瞭性――相対的明瞭性

 この対概念については何を撰的といい、何を絵画的なものというか、具体的な作品の中で検討せざるをえないが、ヴェルフリンはそれをいちいち挙げて説明しているわけではない。輪郭線において、それぞれの描かれた対象が独立性をもって描かれる「クラシック」に対して、線より陰影法により、動きの多い対象が互いに連関をもって描かれるのが「バロック」だということになるが、このような定義は、具体的な作品となると、曖昧なものになる。このときヴェルフリンの概念は個々の史的な場合ではなく、理論を問題にしているのだ、と説明される。しかし対象が芸術作品なのであり、理論だけでは意味がない。とはいえ大づかみにいえば、この対概念は妥当するところが多いことは事実であろう。
 フランスの美術史家フォションも『形の生命』で、芸術作品が一つの形象であり、形象は自律する内的論理に従い、時間的契機の中で展開すると述べている。歴史は単線でもなく、純粋連続的でもない。《広範囲にばらまかれた様々な現在の重なり合い》、過去、現在、未来が重なり合い、進行するものである。芸術の歴史の諸段階が、社会生活のそれ、政治や経済の歴史的な流れと溶け合いながら、それと齟齬したり先行したりする。歴史的時間の中では、生命体である形は、「実験」―「古典」―「洗練」―「バロック」という流れがある。
 しかし彼はヴェルフリンのように五対の「基礎概念」のような説明の仕方をとらない。それはもっと多様なものである。「実験」期や「バロック」期の旺盛な活力、古典期の普遍的価値を有する「様式」の完成をligne des hauteurs (美術表現の稜線)で捉え、成長、発展、衰退という生命観に近い発展史で捉えている。いずれにせよこのような「様式」問題は、二十世紀の前半に西洋美術史においては「マニエルスム」がひとつの「様式」として加えられたあと、美術史を成立させるものとして認められている。
 ところで最初に述べたように日本美術史において、時代区分といえば、飛鳥、白鳳、天平、貞観、藤原、室町とほぼ政治権力の変遷史とともに美術史は論じられており、そこに自立した「様式」の概念が見出されない。政治史区分のその時代名が、芸術の「様式」の概念を含んでいるかに見える。
 たとえば天平時代の様式といえば東大寺や興福寺の彫刻を思い出し、潑剌として生命感あふれるとか、鎌倉時代の様式といえば、慶派の彫刻を考え、強い写実主義的傾向などを想定する。しかしそれは単に時代の作風の印象を断片的に述べるにとどまっているように見える。この範囲では日本の美術史が政治の随伴史としてしか考えられないし、ジャポノロジー(日本学)の一部分としてしか評価されえない、といわれても仕方があるまい。ヴェルフリンのいう「素朴な美術史」といってよいかもしれない。
 果たして日本の美術には、政治史から自立した様式的発展がないのであろうか。優れた芸術作品が生み出されるとき、意識するしないにかかわらず、そこには前後関係があって、創作者たちはそれ以前の作品を学び、それの模倣あるいは否定を通じて新たな作品を構想する。「精神史としての美術史」を標榜したドヴォルシャークは《すべての歴史的形成作用は、ある歴史的発展のひとつの鎖の輪であって、先行する形成作用によって条件づけられる》と述べている。同じ仏像を造る天平の作者たちは、周辺の寺院の仏像、飛鳥、白鳳のものを見知っていたし、それを参考にしたことは当然考えられる。
 無論「クラシシスム」(古典主義)という言葉そのものは、すでに日本の美術史家も奈良時代(天平時代)に対して適用している。この芸術史的用語は、クラスという言葉から来たように、階級を意味する言葉から生まれたもので、最高の階級のものということである。従ってまず卓越した価値、普遍的な価値があるものであり、普通考えられているように、「古代ギリシャ」の美術に似ている必要はない。それが西洋で十七、八世紀以降「古代」が理想化され、調和や均衡、崇高さ、静謐さなどがその性格となったのである。その意味でも確かに奈良時代の美術は、東大寺法華堂(三月堂)や興福寺の諸仏によく見られるように「古代ギリシャ」の彫刻の「崇高さ」「静謐さ」を感じさせる。
 しかし問題はその後の時代の様式である。ヴェルフリンが「クラシシスム」の後に「バロック」様式を対照させたから、奈良時代が「クラシシスム」とすると、それが変化する平安時代は「バロック」ということになってしまう。この「バロック」は西洋では様式としてはっきりしていて、調和や均衡、理想主義、線的表現に対して動勢や誇張が目立っており。写実主義や明暗法がより明瞭になっている。果たして貞観の彫刻が天平のそれに比べて、そのような特徴を示しているかといえば、それほどとも思えず、その結果この「クラシシスム」以外の様式史の適用は日本では不可能になってしまっているのである。町田甲一氏は「バロック」的表現を既に八世紀半ばから見ておられるが、戒壇堂の『増長天』や新薬師寺の『十二天神将像』まで「バロック」的であるといわれると、「クラシシスム」の中での怒りの表現と区別ができなくなってしまうようである。これらが「すさまじい怒り」の表現であるとはいえ、表現は決して動勢や「誇張」があるわけではない。
 ところで「マニエリスム」という「様式」用語は、レオナルドやミケランジェロ、ラファエロなどの巨匠たちの「マニエラ」(様式) を模倣した「様式」として考えられたが、今では「メランコリー」の風潮を表現するあらたな世界観を持って登場した美術の「様式」として総称されるようになっている。つまり大芸術家の「様式」を模倣した群小の美術家の衰退期の美術や、また「ルネッサンス」から「バロック」への移り変わりの移行期の芸術様式でなく、「古典様式」の完成された表現に対する反発としての動き、もしくは十六世紀西洋全体の精神的危機を反映している「様式」であるという考え方、さらにはその継続発展としての高次の美的段階なのであるという、積極的な見方がされている。
 拙著『イタリア美術史』(1990年、岩崎美術社)でも十六世紀の宗教上の喪失感と「メランコリー」の創造性を自覚的に捉えた美術を「メランコリスム」と捉え、巨匠の模倣としての美術を「マニエリスム」と区別している。日本でもこの区別ができると考えられ、たとえば「メランコリスム」と関連する表現として、平安時代後期の芸術、『源氏物語』やその絵巻が存在しているように思われる。宮廷芸術の洗練度の高さとともに、それ自身「もののあはれ」に象徴される憂愁と苦悩の雰囲気があるのである。これを定朝の平安様式の洗練された「様式」化の芸術と区別出来るであろう。しかし当面混乱を避ける意味で、この両方を含んだものとして、九世紀から十一世紀いっぱいにかけての日本美術を「マニエリスム」美術として捉えたいと思う。この「様式」の認知によって、これまでの奈良時代と鎌倉時代の奇妙な断絶を埋め、七世紀から十三世紀にかけて連続して「アルカイスム」「クラシシスム」「マニエリスム」「バロック」という「様式」展開を、日本美術でも一貫して捉えることが出来るのである。
 たとえばリーグルは「アルカイスム」と「クラシシスム」には「触覚値」があると述べ、物質的個体性において閉じられたもので、孤立したものであり、「バロック」では「視覚的」と述べ、物体をその周囲との関係で捉えるのであるが、これは飛鳥、天平時代の彫刻と鎌倉時代の変化をよく捉えているようである。
 リーグルはエジプト彫刻からローマ末期への「様式」発展を「触覚的」把握から「視覚的」把握へと向かう発展として捉えている。だが西洋美術が展開する「様式」が、すべて日本の美術にあてはまるわけではない。たとえば線的、奥行的といっても、「遠近法」の無かった日本では、俯瞰的な視点からの奥行きなのであり、また明暗法が余り発達しなかった日本では、線的描写が続くので、対象の静的描写か動的描写かによって区別されるのである。しかし表現形態の変化は驚くほど似ており、これを以後順を追って述べてみよう。」田中英道『日本美術全史 世界から見た名作の系譜』講談社学術文庫、2012年、pp.32-38.

 西洋で開発された概念や分析道具を、そのまま日本にもってきて日本の現象を説明するということは、自然科学ならともかく社会科学や歴史学では、そんなにうまくいかない、ということはやってみればわかる。対象となる社会や歴史がとくに近代以前では、大きく異なるからだ。しかし、この本で田中氏がやっていることは、なかなか興味深く、ある意味では成功しているのではないか、と思う。でも、もう少し具体例で説明を聞いてみよう。


B.うそをつく人は政治家であるべきではない
 いま選挙運動が始まった東京都知事選挙。これまで現職が立候補した場合、負けたことがないという。小池百合子氏は、現職で立候補しているので、当然有力視されている。だが、前回までの選挙で勝利したのは、自民党に距離を置き都民ファーストという立場で有権者の支持を集めたことがある。ところが今回は、自民党あるいは自公政権の全面支持、推薦ではなく表向きは無所属だとしても、実質的に自民党と手を組んだ選挙をしている。そして、以前も問題になった学歴詐称が再び噴出して、必ずしも当選確実とは言えない。「カイロ大学主席卒業」はどうも嘘だったということは明白だが、それだけならば若気の過ちでたいしたことではない、と見る人はいるだろう。しかし、これまでの小池氏の言動、その政治姿勢を考えると、うその背後に政治家としての問題点が浮かび上がるのではないか。

「時代を読む  拝啓・小池百合子様  法政大学名誉教授・前総長 田中 優子
 あなたは12日に出馬表明をなさいました。その時、私の脳裏に真っ先に浮かんだのは、新井白石の『折たく芝の記』にある蛇のエピソードでした。ある人が小さい蛇にかみつかれそうになり、小刀でその蛇を切りました。小さな傷でした。しかしその蛇はたちまり大きくなり、その傷も巨大化して蛇は死んでしまったのです。白石はその話をして、大富豪からの出資を断りました。今その金をもらったら、大成した時に大きな傷になる、と。
 若い時の傷が今、大きな傷になって衆目にさらされています。あなたの小さな傷は、すでに1976年10月の複数の新聞に、輝かしい事実として報道されています。政治家になれば、記者の背後には多くの有権者がいます。
◇ ◆ ◇ 
 「政治家のうそ」を、有権者はどう考えるべきなのでしょうか?英国にいた時、ある議員の、妻以外の女性との付き合いが問題になりました。私は友人に聞きました。「政治家として有能なのになぜこのことで政界から追い払うの?」。英国人の友人は言いました。「うそをついたからよ」と事の正否ではなく、うそをつく人は政治家としてふさわしくないのです。民主主義は、情報の開示と真摯な議論があってこそ、機能するからです。あなたを支援している自民党議員たちも同様に、虚偽記載や数々の隠蔽が発覚した後、いまだにそれを自浄することができていません。そのことに、多くの人が失望し怒りを感じています。
 7日の記者会見で関東大震災への追悼文のことを問われ、あなたは東京大空襲の話に入れ替えて答えました。私はそこに、ごまかしを見てしまいました。数はともあれ、朝鮮人虐殺があったことは周知の事実です。追悼文の発信は「二度と同じことを繰り返さないようにしましょう」という、東京都民への真摯な呼びかけです。都知事としての、多様性を受け入れる姿勢の表明です。それを中止するのならば、当然あらゆる資料を精査し、ご自身のお考えをもったはずです。問われたらそのお考えを堂々と述べるべきです。なぜそうなさらないのですか?
◇ ◆ ◇
 明治神宮外苑の民間事業者による再開発事業で、日本イコモスはこの2年半で15回以上の意見書、提言、要請、調査資料、代替案、警告を東京都に出しました。都が認可した神宮外苑のまちづくり計画が、樹木伐採をともなう超高層ビル建設計画であることが明らかになったからでした。全てお読みになっているなら坂本龍一さんに、「神宮にも手紙をお出しになったら?」とは言えないはずです。イコモスの提言や勧告は神宮や国にもなされています。その全てを承知の上で、坂本さんはあなた宛てに手紙を書いたのです。鍵を握るのは、都市全体の未来像に照らして認否を決めることのできる都知事だからです。東京はロンドン、パリ、ニューヨーク等と比較して、その1人当たりの緑地保有率がきわめて低く、公園面積が狭いことはご存知ですね。Sらに狭くして高層ビルを建て続けることに、いったいどのような未来があるのでしょうか。
 あなたは記者会見で東京都が「もっと良くなる」とおっしゃいましたが、それはプロジェクションマッピングやさまざまな開発を続けることですか?今こそ有権者に向けて、ぜひ十分に説明してください。」東京新聞2024年6月23日朝刊、5面社説・意見欄。
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