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世界から見た日本と東洋の美 1 東大の学費値上げ?

2024-06-24 00:52:07 | 日記
A.日本美術史という視点
 中学・高校時代、授業には週1回か2回、「美術」の時間があって、教科書あるいは副読本があったことをなんとなく覚えている。高校の「美術」は選択科目で、1年で美術をとると、2年では音楽か書道という具合だったと思う。その「美術」の半分はスケッチブックに鉛筆や水彩で絵を描く実技で、あと半分は教科書か副読本を素材に、美術史の話だった、ような気がする。その美術史も、おもに西洋のギリシャ・ローマから始まって、ルネサンス、バロック、ロマン派ときて、19世紀印象派からぐっと詳しくなって、20世紀のピカソ、マチス、モジリアニからシャガールあたりまで、作品が並んでいた。要するに西洋の美術史が中心で、日本人が出てくるのは西洋の油絵を学んだ明治以後の青木繁、黒田清輝それに藤田嗣治くらいだった。
 もちろん鎌倉時代の運慶・快慶や、江戸時代の浮世絵師、北斎、歌麿、広重という名前くらいは出たかもしれない。でも、ぼくが自分で画集を探して見るまでは、日本の美術にどんなものがあるのか、「美術」の時間では教わらなかった。むしろそれが出てくるのは、日本史の授業の中で、各時代の歴史記述の最後に、おまけのように文化史が出てきて、平安時代なら『源氏物語』や『枕草子』、鎌倉時代なら運慶・快慶の彫刻や源頼朝の肖像画あたりは画像が載っていた。
 その後、西洋近代アートについては、興味をもって有名画家の展覧会などに足を運び、本も読んで、ぼくはそれなりに美術史に関する知識は得てきたのだが、考えてみると日本の江戸期以前の絵画や彫刻、そしてさらに中国・朝鮮半島の美術作品について、ほとんど知らない。それで、以前買って積んであった田中英道『日本美術全史』(講談社学術文庫)を引っ張り出して、頭のところを読んだら、結構刺戟的なことが書いてある。つまりこの田中英道という人は、イタリアやフランスの西洋美術史を専門とする人で、ダ・ヴィンチやミケランジェロの研究で本を書いている人なのだ。その西洋美術史が、日本の美術史を古代から現代まで見渡して本を書くにあたり、通常の日本美術史ではやらないような方法をとっている。田中氏に言わせれば、日本の美術史は歴史記述の資料やローカルな地域史に付随するだけで、独自の「様式」という概念に欠けている、という。どういうことか。まず「文庫版はしがき」から読んでみる。

「興味深いことに世界では、美術作品が豊かな国と、そうでない国がはっきりしている。西洋ではイタリア、フランス、フランドル(現ベルギー、オランダ等)などが大変豊かで、観光の目玉となっている。これらの国々は主としてカトリックの国で、人間性に富んだ美術作品が多い。つまり個々の内面を重視する「個人宗教」として、キリスト教を理解しているのである。一方、イスラム教や東方教会の諸国では美術作品は豊かとは言えない。「偶像崇拝禁止」であったり、イコンとして形式が先立っているからである。そしていずれも宗教が、「共同宗教」の形をとっており、個々人の内面表現にまで至っていないのである。
 日本の宗教といえば、神道と仏教が併存しており、神仏習合と言われるが、実をいえば、神道の方には像名不明の神像を除くと美術作品はほとんどないと言ってよい。日本字名はあまり意識していないが、神道は「偶像崇拝禁止」の「共同宗教」だからである。ところが仏教の方は、仏像を中心に、美術作品は非常に豊富である。とくにアジアの仏教国と違うのは、釈迦像だけでなく、菩薩像、明王像、天部像など、仏になっていない修行の段階の像が多く作られていることである。釈迦像のようなすでに人間を超越した像だけでなく、喜怒哀楽をもった人間の姿で表現されている。これは「個人宗教」であるからで、「近代」個人主義とも重なりあっている。しかしそれが神道的な在自然観や御霊信仰によって裏打ちされ、インドや中国と異なる、「神・仏」の、「共同宗教」と「個人宗教」とが重なった表現となっている。ここが日本の仏教美術のみならず美術全体の人間表現の深さとなっていると思われる。
 この『日本美術全史』の初版が講談社から発刊されたのは、1995年のことで、すでに十七年以上経っている。そのときの書評類を見ると、美術史学会の方からは、冷淡な反応を受け、それ以外の美術愛好者からは、好意的な反応を受けた、と言ってよいようである。ある新聞社の一般の文化賞の選考で最後まで残り、電話の前で通知を待っているようにと言われたが、それは来なかった。その最終選考の際に、日本美術史家がいて反対した、という話を確かな情報として、後で聞いた。それほど、この本に書かれていることは、日本美術史家の普通の見方と違うらしいのである。
 私は優れた創造には、必ず優れた個人作家がいる、という当然のことを追求し、この本で、それを「古代」「中世」にまで徹底させようとした。優品には必ず「個人様式」が顕著であるからだ。興福寺の『阿修羅像』には、将軍万福が、東大寺の『日光、月光菩薩』には国中連公麻呂がいるということを指摘したのもそれ故である。これまでの日本美術史は、「古代」「中世」は、ほとんど共同制作で個人の作家などいない、としていたのである。
 また作品の造形には、かならず「時代様式」があり、その展開がある。こうして「様式」に注目することになって、いい作品が個人、時代によってみな違い、それを区別していかなければならない、と主張した。それが「アルカイスム」「クラシシスム」「マニエリスム」「バロック」時代などと分けた理由である。これまでの日本美術史は、ただ政権交代による時代別に書かれて来た。それは美術を解しない書き方である。
 こうしてこの新しい日本美術史からは、個人主義は「近代」にしかない、とする「近代史観」は疑われるし、また各時代それぞれ確固とした様式がある、という認識は、過去は遅れた時代であり、人々は劣っていたとする「進歩史観」も疑うことになる。また「階級闘争」の歴史では落ち着いた文化は生まれないことも自明である。「古代」「中世」「近世」といった「近代史観」の時代区分はとれないのだ。つまり歴史は進歩するという歴史観では、かつての文化の方がより高度だった、という認識は生まれない。最高の和歌は『万葉集』にある、という評価が出来ないのである。さらに、日本の美術史が、中国や西洋と独立して様式展開をしている、ということは、決して他の国の模倣でも、追従でもなかったことが、明らかとなる。
 この本が、こうして文庫版になり、またすでに英訳がなされ、イタリア語版、フランス語版も出ることになっているのも、日本美術史が、世界の美術史に肩を並べる内容を持っているからと思われる。私はイタリアやフランス、そして中国のすぐれた美術作品は、文化を愛する人間として、必ず見ておかねばならない、と考えているが、そこに日本美術が加わるべきだと確信している。しかしこれまで、本書のような「様式史」を中心とした美術史が書かれなかったために、日本美術が宗教や習俗に従属しており、「美」の普遍性を持っていないと思われたのである。それらの国々のような美術目的で、観光客が来ない理由の一端はそれである。しかし実際は、世界の中でも、日本美術の水準は大変、高いのだ。とくにこの本でも、そうした作品には◎をつけている。」田中英道『日本美術全史 世界から見た名作の系譜』講談社学術文庫、2012年、pp.3-6.

 続いて、「はじめに」では、よりはっきりと日本の美術史に「様式」をもちこむ意義について、逆に西洋の美術史家たちが、日本や東洋の美術に、ほとんど無知または無関心だということを、日本側の問題でもあると指摘する。

日本美術無視の世界美術史
 「西洋の美術史家たちが書く「世界の美術史」の書物の類を見ていつも気づくのは、日本や東洋の美術の部分の記述の弱さである。これは西洋美術の専門家が書くからであろうが、西洋ではそれだけの日本や東洋美術史についての知識や、価値に対する認識が欠如しているからであろう。
 例えば『美術の歴史—原始時代から現在まで』(1961年、邦訳1964年)と題された名著の誉れの高いH・W・ジャンソン教授の書物があるが、ここでは日本美術は最後の「あとがき」の「東洋と西洋の出合い」でわずかに扱われているに過ぎない。范寛の『渓山行旅図』とか、『鑑真和上像』などには触れているが、極東の美術が「進歩の遅れた」ものであったのではなく「洗練されすぎている」と言っているのみである。《それらの様式は幾世紀にも及ぶ絶えざる発展の結果であり、特殊な感情とは適合しても、西洋の伝統とは相容れぬ性質のものだったのだ。このことは極東の芸術に関しては殊に真実である》と語り、避けているようなのだ。
 この「特殊な感情とは適合しても」という言葉は問題である。それは普遍的でない、ということを西洋の伝統に照らして述べているからである。もし東洋美術が、西洋的でない、という理由で記述されないとすれば、この書物は「西洋美術の歴史」と題されるべきで、「美術の歴史」と言われるべきではないはずである。
 こうした例はこの書物だけではない。F・ハートの『美術――絵画・彫刻・建築の歴史』(1976年、邦訳1982年)は一切東洋、日本美術はあつかっていないし、現存する最高の美術史家と言われるE・H・ゴンブリッチの『美術史』(1967年、邦訳『美術の歩み』1972年)にはわずかに「二世紀から十三世紀まで」の「東方の国々」の中で中国美術が述べられているにすぎない。そしてその瞑想的な態度を評価しながらも《私たちヨーロッパ人にとってその心情を把握することは容易ではない》と語る。
 さらにこれらの本よりも前に書かれたフランス人学者ジェルマン・バザンの『美術史』(1953年、邦訳「世界美術史」1958年)では第11章に「東アジアの文明」という項目があり、そこでインド文化圏と中国文化圏があつかわれ、中国美術の伝播という項で日本も述べられているに過ぎない。メアリー・ホリングスワース『世界美術史』(1989年、邦訳1994年)でも、中国美術はあつかわれていても日本美術は、きれいさっぱり無視されている。
 わたしはこうした記述に日本字であるから不満を述べているのではない。これまで私のささやかではあるが西洋美術研究の結果として、この無視に近い態度が決して正当ではない、と考えるからこそ指摘するのである。これら西洋美術史家たちがこの無視について何らかの弁解めいたことを述べているのでもわかるように、東洋美術、日本美術について語りたいが、どのように述べてよいかわからず、その結果特殊な感情に適合するとか、理解がむずかしい、と避けてしまっているのである。わたしはこうした態度を彼らの不勉強のなせるわざだとか、西洋中心主義的態度といってせめるつもりは毛頭ない。この分野ではないが、西洋学者の東洋研究についてパレスチナ人のサイード氏が『オリエンタリズム』(1978年、邦訳1986年)で言うように、これが植民地主義による結果だという気はない。それはことを政治的不毛に陥らせるだけだかあらである。
 逆に私はその原因が、東洋の学者自身が「普遍性」を東洋の美術作品に明確に見出ださなかったことにあるのではないか、と思うようになった。矢代幸雄氏は『日本美術の再検討』の中で、次のような西洋美術史家ケネス・クラークの言葉を引いている。

 自分は東洋美術が好きであって、とくにそれを勉強したことはないが、子供のときから親しんでいる。ところがこの展覧会(1935∸36年ロンドンで開かれた中国美術の展覧会)で催される講演を聞いたり、あるいは東洋美術のオーソリティの学者が新聞雑誌に書いているものを見ると、むずかしいことを説明してくれているけれども、物そのものに対する批評はどうも私の感覚にぴったり来ない場合が多い。彼等がいかにこれが名品であると解説してくれても、私にはぴったり来ない場合が多い。

 私は昨今欧州で開かれる日本・東洋美術の展覧会も必ずしもこうした言葉と異なった状況にある、とは思わない。矢代氏は《即ち東洋美術というものは世界的に考えて、未だ芸術批評の対象となっていないで、主として単に東洋学の資料という見地から見られているに過ぎないのである》と述べているが、彼が書いた1958年と現在とはさほど異なってはいないように考えられる。なるほど1970年代に「ジャポニスム」が再評価され、フランス「印象派」たちに対する日本の浮世絵の影響はある意味で決定的な事実となっていたし、「日本ブーム」はその経済的、工業的伸長にともなって各地に起こっている。しかし1986年パリで開かれた「前衛芸術の日本」展で、日本国内の「前衛」画家への評価とは全く違った批判と失望が表明された。どうやらまだ日本文化、とくに日本美術に対しその「普遍的価値」が見出せないでおり、「特殊の感情」をより理解するにとどまっているように思われる。
むろん日本文化の紹介は活発になされている。しかしそこには「普遍性」に対する留意が足りないようなのだ。日本人が、西洋人に対して単に自らの「美意識」を押しつけ、むこうの無理解を嘆く、という態度があるといってよい。もしそこに東洋学者の単なる民俗学、宗教学的な解説を要しない、一般人にも理解できる「芸術作品」として「普遍的」なものを提出されたのなら、「芸術批評」の対象として「日本美術」が「世界美術史」の中で多くのページを、「西洋美術」と対等にさかれることになるはずである。
そのことで日本美術が「西洋人」の基準で判断される危険がある、と思わない方がよい。私たちが「西洋美術」に感嘆し、惹きつけられることがあるならば、同様なことは、やはり彼らにも存在しうることであるからだ。もしその共通性を信じられなければ、芸術に人々が惹かれるはずがない。美術研究など国際的には何の役にも立たないし、単なる郷土画家の資料研究と等しいことになってしまうのである。「西洋美術史」においてイタリア美術をイギリス人が、フランス美術をドイツ人が評価するように、お互いの政治的な民族意識を超えて、「普遍性」を育ててきた過程があるのである。それを日本美術に対しても開始させねばならない。そのためには日本美術の作品はもっと「普遍的価値」に立脚したきびしい選択によってすぐれた作品だけの歴史が書かれねばならないのである。」田中英道『日本美術全史 世界から見た名作の系譜』講談社学術文庫、2012年、pp.19-23.

 日本文化論・比較文化論を語るとき、しばしば問題化される「日本特殊論」と「西洋中心至上主義」は、つねに不毛な形で終わる。田中氏のこの本は、そこで「様式」という西洋美術史で彫琢されてきた方法を、日本に適用できるか、という実験をやっていることになる。


B.国立大学費値上げ
 国立大学の学費(授業料)はいま、58万5800円だそうである。ぼくらの大学生時代は、国立大の学費は10万円もしてなくて、私立よりぐっと安かった記憶がある。それが58万とは、物価上昇を考えてもずいぶん上がった印象だ。それでも全然足りないのであるという。それで、国際競争に勝つためにも東大が学費値上げを検討中だそうで、他の国立大学ではすでに値上げを実施している大学もあるという。これも昔の話になってしまうが、1970年前後の大学紛争は、私立大では学費の値上げを言い出した大学当局への抗議も多かったと思う。その時代とはまったく違うのだろうが、この学費値上げをめぐって学生と総長との対話集会が、オンラインで開かれたというニュースがあった。

「東大 値上げ検討巡り集会 総長「交付金増えず」 学生「蚊帳の外だ」
 東京大学が2割(約11万円)の授業料値上げを検討するなか、21日夜、東大の学生と藤井輝夫総長が意見を交わす集会「総長対話」がオンラインで開かれた。本郷キャンパス(東京都文京区)では、反対する学生らによる集会や、総長対話のパブリックビューイング(PV)が開かれた。
 藤井総長は冒頭、教育環境の整備や教職員の人件費に使われる国からの運営交付金が増えない中、断念せざるを得なかった教育活動も複数あったと説明。寄付金集めや支出削減に限界がある一方、授業料の値上げで約29億円の安定的な財源が確保できるとして「教育環境の改善は待ったなしで、一刻も早く改善したい」と強調した。
 また、値上げにあわせて経済的に困窮する学生への支援も拡充するとし、授業料免除の基準を世帯年収400万円以下」から「同600万円以下」にすると説明した。
 学生からは「多子世帯の学生や、親との関係が悪くて授業料を出してもらえない学生など、世帯年収だけでははかれない事情もある」などと反対の声が上がった。値上げの検討について、報道されるまで大学から学生への説明がなかったとして「学生は完全に蚊帳の外」との批判も。もう一度総長対話の機会を設けてほしいとの声もあったが、藤井総長は「約束はできない」と述べた。
 国立大の授業料は、文部科学省令でさだめる年53万5800円の「標準額」から20%まで値上げできる。文科省によると、2019年度以降、東京工業大、東京芸術大など6校が学部の授業料を値上げしている。
 国立大の財務状況は近年、光熱費や物価高騰の影響で危機的だと指摘されてきた。全国86の国立大でつくる国立大学協会は7日に会見を開き、「もう限界です」との声明を発表。教職員の人件費や研究費に使われる国からの運営交付金の増額を訴えた。(狩野浩平)」朝日新聞2024年6月22日夕刊8面。

 オックスフォードとか、ハーバードなど欧米のトップ大学の学費は、東大よりはるかに高い。国立ではないから高くなるのは当然ともいえるが、奨学金の充実も日本の数倍だ。逆にいえば、国が公費で大学をやっているのだから、もっと安くても国費の使い方として国民の合意が得られれば良い、ともいえる。かつての国公立大学の前提は、高等教育は公共のものだから税金で運営すればよい、という考え方があったと思う。それが、大学が法人化され独立採算を求められ、おかしな成果主義と競争主義で汚染されてしまった結果、学費値上げを当然だと言い出している。この自己責任自己負担の新自由主義政策に学生は抗議して当然だ。
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