あかるいほうへ

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しあわせはじぶんのこころがきめる あいだみつを

2020-10-20 | 手作り

Facebookにも、母の留袖のことを書いた。

熊本の友達が♡いいね。をくれた。

 

 

20数年前に出会ったその友達は

母が事故の後遺症で寝たきりになり苦しんでいる私を知ってた。

当時、自分の心が楽になれたらと、カウンセリングの勉強をしたときの仲間だ。

そのあと、ご自分の母親が亡くなられたとき色々あって

当時の私の苦しみがわかったと

20年後に再会した時に言ってくれた。

 

そんなことも含めて、母のぐし縫いの写真に♡いいねをくれたことに

心が暖かくなった。

 

25年ほど前、病院からかかってくる危篤の電話や

父や親戚の心ない電話に、ビクビクして、

電話の音にビクッとするようになってた。

電話は今でも苦手で、

メールやラインで済ませられることがとても助かる。

 

あの頃の私は、人生の厳しさの入り口でもがいていて

まだまだ弱っちい私だった。

それでも、母の「子どもを育て損なうな。」の言葉を大事にして

私なりに子育てを頑張った。

 

3人の子育てが終わって、熊本に帰省したとき

寝たきりの母に、「上等!」って言ってもらった。

褒めすぎ(笑)

厳しかった母に褒められた記憶はほぼないので、

意外だったし、とても嬉しかった。

 

だからね。

母の留袖は、どんなに色あせていても

着なくちゃいけないんだ。

母は、苦労の多い結婚生活だったけど、

自分の好きなことをすることで、

きっと自分に折り合いをつけていたのだろう。

 

苦労ばかりして、その後25年も寝たきりになって

母の人生が切なかったけれど、

母は、私が思うほど不幸ではなかったと気づいた。

思えば、金銭的には恵まれて

和服を縫い揃えることもできた。

洋裁や和裁をしている母の姿を見るの好きだったし

憧れてた。

母の作ったワンピースを着るのが嬉しかった。

 

親戚の結婚式で、母はお気に入りの留袖を着たことが

誇りだったかもしれないな。

そう思うと、母の人生も幸せだったんだと思う。

 

私の結婚式には、留袖着せられなくでごめんね。

東京で式を挙げるので、

スーツが楽でいい。と言ってたけど、

今思えば、着たかったかもね。

母のシュッとした着物姿好きだった。

 

サリーは、若いのにいろんなことに気を配ってるし、

自分がしたいことを全て叶えようとしてていいなと思う。

 

今日は、仕事の前に留袖の帯を見に行きます。

自分が花嫁になった時よりも忙しいかも?(笑)

 

 

母が不憫なような気がして帰省してたけど

母は、幸せだったんだ。

留袖を見ながら

そう気付けた私、成長したんだよ😊

 

私も今、とってもしあわせ✌️


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
幸せ (いづみ)
2020-10-22 19:26:21
人生、教えられること一杯ですね♪

世代が繰り返すように、
今までの自分の経験をうまく、
次の世代に伝えれればと思います。
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Unknown (ひーちゃん)
2020-10-23 02:55:01
いづみさん♪

心のつぶやき
恥ずかしくなって消そうかなと思ったけれど
コメントありがとうございます。
ブログは、私の心の整理です。

今、とても心が穏やかです。
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Unknown (あんじい)
2020-10-24 10:45:59
褒めすぎなんかじゃないです。
お母さんの「上等!」って言葉
うまく言えないけれど、カッコいいです。
何より嬉しいね。
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Unknown (ひーちゃん)
2020-10-24 12:21:53
あんじーさん♪

母の言葉、かっこいいって言われると嬉しいです。
救われます。
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