あかるいほうへ

       おばあさん魔女への道

母水

2017-01-17 | 引越し
映画、マザーウオーター見ました。

鹿児島にいる頃
友だちと見に行った映画

あのときは、それほど沁みなかったのに
今回は、言葉の1つ1つが心に沁みる

予告編

そう、私の決断は間違ってない。
そう思わせてくれる映画だった。

私が呼吸しやすいように生きればいいんだ。

昨日、フェイスブックで帰省のことを書いたら
熊本の友だちと再会することになりました。
半年間、カウンセラーの勉強をした仲間
私たち幹事をするから!って(涙)
自分たちの悩みを打ち明けあい、学び、心通じ合った仲間
専業主婦の私が、いろんな職業の人たちと出逢い
刺激を受けたのだった。

そのあと、子育て支援の仕事に恵まれたのでした。

その仕事でお世話になった方とも、再会出来るかもしれないです。

どちらも、10年以上会ってないです。

皆さん、いろんなことがあったんだろうな。

東京を離れたことは、全然無駄ではなく
その土地土地で、悩み、友情を育みました。
時を経て、会いたい。と思える関係が嬉しいのです。

会いたい人はたくさんいるけれど、
マザーウオーターの映画が、今の私に沁みるように
今の私に沁みる友だちと会えるタイミングを
大事にしたい。






原点回帰

2017-01-17 | 引越し
サリーの観劇まであと3日
それに備えて、美容院に行って来ましたよ。


女っぷりが上がったはず♪

そして、かわいいカレー屋さんに行くと

入道雲みたいなナンが焼きあがってきた♪
やっぱりここのナンは、美味しい。

そして見て!

冷えは、女性の敵よ!
かわいいな♪
このお店は、かわいさが満ちているよ♪

テイクアウトしょうと思ったけど
安い八百屋さんにも行きたかったので
荷物になると、辞めました。

八百屋さんは荷物になるので最後に寄るとして

私が上京してすぐ住んだアパートまで
歩くことにしましたよ。
一度行ったことがあるから、想像はついているけれど
今度は、また東京に住むことになったので
しみじみと。

もう、そのアパートはなく
そこには、建て替えたにしては古びた家がありました。
もう30年経つのです。

東京に憧れて、25歳で上京しました。
親には勘当だと言われ、最後まで反対されました。

空港まで車で送ってくれた叔父が、
人を羨ましがるというのはみじめなこと。
そうはなるな!
なんて、言ってくれました。

希望に溢れた上京でしたが、
実際、来てみると急に寂しさが押し寄せて来て

東京で結婚していた妹や、その旦那さんと友達に
羽田空港まで迎えに来てもらったのですが
私の考えは甘い。と、言われてしまいました。

商店街を不安な気持ちで歩き
鏡に映った私は、半べそでした。
親に、無事着いたことを公衆電話を見つけて電話したけれど
本当は、帰ってこい。って言われたくて電話したのでした。
でも、親も諦めたのか、その時に限って言ってくれませんでした。

不動屋さんで、一番安い20000円だったかの部屋を借りました。
私の前には、売れない役者さんが住んでいたらしく
大家さんが、あなたも芸能界?って聞かれ、
いいえ。と答えました。
普通の娘が住むようなアパートではなかったのです。
窓ガラスは、ヤニで汚れていて、
星の切子模様のガラス、雑巾に爪を当てて
汚れをとりました。
部屋が綺麗になると、心も晴れて前向きになりました。
電気は裸電球でした。
妹が、あまりに殺風景だからと、
大江千里の、ポスターを貼ってくれました。

これが、アパートがあった場所です。

でも、この外階段使い回し?懐かしい気がします。

私が先に上ると、必ずフル回転さんが、カンチョーって言うので
きゃっきゃと早足になった階段でした。
いつぞやは、鍵を忘れて
木登りをして、窓から入って
大家さんのおばあちゃんに怒られました。

お風呂はなく、銭湯でした。
近所を歩いていたら、知ってる人がいる。
と挨拶をしたあと、だれだったつけ?と思うと、
番台のおじさんだと気付き、恥ずかしくなりました。

部屋にいると、大雨の音がして慌てて洗濯物入れようとすると
隣に住んでいたアジア系の人達が
強火で炒め物する音で、1人で笑った事もありました。
扇風機しかない貧乏暮らしでしたので
真夏は、一人暮らしの女の子なのに
窓を開けて寝ました。

フル回転さんが初めて来たときビックリしてました。
きっと、不憫に思ったんでしょうね。

昼は銀行でパート
週3回は、夜に医療事務をしました。
堅い仕事をしないと、怖かったのです。
そのあと、正社員の仕事を勧められ安定しました。
勘当だと言われたので、頑張りました。

街の様子は、すっかり変わってしまいましたが
近所のクリーニング屋さんは、入ってすぐカウンターではなく
相変わらず外からアイロン台とアイロンが見えました。
暑い夏にも必死にアイロンをかけているおじさんの働く姿に感動したものです。
近くのお豆腐屋さんでは、冬でも冷たい水からお豆腐を取り
冷たいでしょう?と、声かけると
これが仕事だから。と、明るく言ったのでした。
おでん屋さんでは、はんぺんをおまけしてくれて
九州にはなかったので、真っ白すぎるかまぼこ実は苦手でした。
お弁当屋さんでは、
フル回転さんには大盛りサービスしてました。
本当はフル回転さんは自宅暮らしなのにね。

フル回転さんとは東京ですぐに出会いました。
今思えば、口は悪い人だったけど支えだったな。
世はバブルでしたけど、慎ましく生きてましたよ。

結婚もして長男も生まれ幸せでした。
ところが、フル回転さんは仕事を辞め
子どもは九州で育てたい。って言い出しました。
私の親は喜びましたが
私としては、東京で折角頑張って来たのに
悲しかったです。

今となっては、熊本と鹿児島と埼玉で変化に富んだ
3人の子育ては良かったですけどね。

私が東京を諦めきれなかったのは、
25歳のあの頃の頑張りを繋げたいのです。

なんか、随分書いてしまった。
恥ずかしいけど、消さないよ。

原点の場所に行けて良かった。


安い八百屋さん
たくさん買いました。

これで、1400円よ
テイクアウトより、随分安上がり
重かったけど、電車乗り換えましたさ。

ところか、ニムスコたち
晩御飯要らないんですって!

がーん (゚o゚;;