小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

東京二期会『蝶々夫人』(10/3.4)

2019-10-04 23:35:31 | オペラ
宮本亞門演出の二期会『蝶々夫人』の初日(10/3)と二日目(10/4)を東京文化会館で観る。ザクセン州立歌劇場、デンマーク王立歌劇場、サンフランシスコ歌劇場との共同制作で、東京発信の新制作となる。黙役の「ピンカートンの息子」が、死の床の父親を看取る言葉のない芝居シーンから始まり、老いたスズキ、育ての母ケイト、医師と看護婦がピンカートンを囲む。父が息子に最後の手紙を渡す。「30年前の夏の終わり」に一か月だけ過ごした日本でのことが記され、息子がその内容に驚愕した瞬間に『蝶々夫人』の音楽が始まる。

この黙役の息子(牧田哲也)はずっと舞台にいる。オペラのラストはどうなるか、観客は知っている。「自分はどこから来たのか」を見つめる役として、残された息子を物語の証人にするのは凄いアイデアだ。控えめな照明が当たり、一日目は前方列で観たので「彼」の存在感をずっと間近で感じていたが、二日目は少し舞台から離れたので時々見過ごした。ライトは少し明るくなったりほとんど見えなくなるほど弱くなったりするが、どんな場面でもほとんどいる。ほつれた金髪が根本の黒髪と混じり、真面目そうなメガネをかけた平凡な「ハーフのピンカートン・ジュニア」が、あまりに現実に存在していそうな外見だったので、感情移入せずにはいられなかった。
ずっとアイデンティティを求めていた彼にことの発端を見せるためにオペラは展開されていく。自分の存在の根幹に愛があった、と認めさせ、父親のかつての姿を見せることで、「彼」は衝撃を受けながらも癒されていくのだ。

初日の蝶々夫人は森谷真理さん。ピンカートンは樋口達哉さん。森谷さんの蝶々さんは2017年にも観ており、そのとき「声楽的には素晴らしいがこの話がラブストーリーに見えない」と書いた。自分が書いたことはよく覚えている。亞門版での森谷さんは、世界で今一番この役を「歌える」歌手なのではないかと思わせた。水を得た魚のように、鮮烈で誇り高かった。樋口さんもピンカートン得意役だがいよいよ磨きこまれて、二人の歌唱はヴェリズモ的というより、「プッチーニのオペラが特別に求める」演劇的でドラマティックな声だった。

『蝶々夫人』は「誤解」のオペラだというのが、過去のほとんどの演出で描かれてきたことで、最も好きなアンソニー・ミンゲラのMETのプロダクションでは、「悲しみ」と名付けらた息子を文楽の人形が演じる。あの文楽の人形には不思議なデリカシーがあったが…。名演出家をもってしても、9割9分誤解の話として語られてきたストーリーを、宮本亞門さんはすべてひっくり返し「男にとっても永遠の愛」にした。ピンカートンが日本を離れたのは日清戦争に参戦するためで、負傷して米国に帰国してケイトと結婚するが、彼らの関係は最初から冷えている。男の心の中にずっと別の女性がいたから…こういう筋書きをこのオペラに与えるのは大きな危険でもある。ある種の「前提としての敵対関係」が、ずっとこの物語の芯にあると思われてきたからだ。

演出家は「このような愛があると、自分は思う」ということが出来る人で、男のバイアスも女のバイアスも知り尽くしている。一幕ラストの愛の二重唱は宇宙に包まれた巨大な男女の愛の凱歌で、この二人のつながりは国籍や性をも(!)超えた魂のつながりであると表現した。あの二重唱は、核融合のような世界だった。
神奈川芸術劇場で2012年に上演された『マダムバタフライX』で亞門さんは既にそのアウトラインを強く把握していた。ピアノ伴奏で、プッチーニの音楽の前衛性と国際感覚が素晴らしく浮き彫りになり、物語は「震災後の日本」が舞台だった。嘉目真木子さんが嘉目さんとして登場するのも面白かったが…そこでも既に母と子のつながりがメインテーマになっていた。恋愛の問題はやがて「家族」の問題になる。

スズキは両日とも若いメゾ・ソプラノ(3日/藤井麻美・4日/花房英里子)が演じ、どちらも老けメイクをして樹木希林さんのように見せていた。花の二重唱ではスズキと蝶々さんの女同士の絆のハイライトが描かれることが多いが、亞門版では息子と蝶々さんの幸せな関係をスズキが自分のことのように喜ぶ、「父の帰りを待つ家族の愛の歌」になる。子役はたくさんのことを正確にしなければならず、両日とも小さな子だったが稽古の成果を見せ、立派に演じていた。

二日目の大村博美さんの蝶々さんは、観ていて心が爆発しそうだった。ヒロインの心模様が全身から溢れ出し、声楽的な体裁などどうでもいいというぎりぎりの表現で、涙を流しながら渾身の演技をされていた。それを「正しくない」とは言わせない。「プッチーニは泣かせればいいと思っているから嫌いだ」という意見にも私は大反対なのだ。プッチーニが流させる涙は最高の涙で、他にこんなのはない。「男は泣いてはいけない」という教育、人前で感情は慎むという教育…そんな抑圧を拭い去った素っ裸の心と向きあわせてくれる。スコアを見れば、作曲家がどんな脳外科医よりも精密な知性を持っていたか一目瞭然だ。

バッティストーニは、ずっと前にフィレンツェで代役として振って以来、全幕のバタフライを振るのは初めてだったという。二期会では「バッティはヴェルディ、ルスティオーニはプッチーニ」という暗黙の役割分担が出来ていたが、2014年のバタフライもバッティストーニはとても振りたがっていたという話も聞いていた。東フィルは見事にバッティストーニの夢をかなえ、ダイヤモンドの輝きをピットから放っていた。レスピーギやマーラー、プロコフィエフの断片も感じられた。今年6月のレンツェッティとの共演でもオーケストラはこのオペラについての特別な知性を得ていたのだと思う。世界で一番美しい音楽が、次から次へと聴こえてきた。

シャープレスは脇役のようでいて、このオペラのすべてでもある重要な役で、78歳のドミンゴが今年METでロールデビューを切望していた役だった(降板になってしまったが)。黒田博さんは思慮深さの中に天地をひっくり返すような激しさを忍ばせ、ピンカートンを後悔の渦に落とし込むラスト近くの場面も迫力だった。一幕の再現部の美しいフレーズで、ピンカートンは松葉杖をふっとばして床に倒れこむ。あのシーンはあまりに見事だった。苦悩する役で大きな魅力をみせる小原啓楼さん(4日)のピンカートンも忘れ難い。久保和範さんのシャープレスも心に残る。

髙田賢三さんの衣装はカラフルで華やかで、芸子たちの色とりどりの衣装には特に目を奪われた。その一方で舞台美術は潔いほどシンプルで、可動式の小さな木枠で出来た部屋が色々な表情を見せる。なんとラジコンで動いているらしい。「ある晴れた日に」は、その木枠の部屋のてっぺんに上って歌われる。木枠の大きな円の輪郭は、太陽のようにも日本国旗のマークのようにも見える。間奏曲のあとの、小鳥がちゅんちゅん泣く朝のシーンで、スライドが見事な朝焼けを映し出したときに、木枠の円がもうひとつの太陽に見えた。あの朝日のシーンは素晴らしい。希望に燃える朝の太陽を、最後の日に全身で蝶々は浴びる。西欧の男性を愛すると、今まで意識しなかった「東の女」である自分を意識するものだと思う。太陽が昇るところに生まれたヒロインの「血潮」が空全体に漲っていた。

ラストはどの演出より悲痛だった。小さな「自分」が母親の死を見ないで済むよう、32歳の息子は彼を抱きかかえて目をふさぐ。自決のシーンは隠されていて見えないが、同一人物である息子が母の死を認識するという設定は、心が割れそうになった。最後のピンカートンの「バタフライ!」の一声まで、演劇は諦めない。敵対も誤解もなかった。全く新しく生まれ変わった物語だった。

こんな愛の物語を作り上げてしまえるのは、明らかな天才だが、その直観の源にあるのは、やはりその人の受けてきた愛にあるのではないか。2007年に『週刊朝日』で亞門さんと、お父様の亮佑さんの親子対談をさせていただいたときのことを思い出した。これは『親子論』という単行本にもなっているが…お母さまの須美子さんは松竹歌劇団のレビューガールで、12歳年下の亮佑さんと出会ったときは43歳で前夫との間に二人のお子さんがいた。「お前の母ちゃんは綺麗だったから一目ぼれだった。第一、俺は着物に弱いんだ」と父上。最愛の母君は、亞門さんがパルコ劇場で役者デビューを飾る前日に亡くなった。張り切って、色々なところに電話をかけて、血圧の薬を飲むのを忘れてしまったのだ。風呂場の水が流れっぱなしで、お母さまは亞門さんの洗濯物を握りしめていた。
「お父ちゃんは死んだお母ちゃんに最後、キスしたんだよ」「20年以上たつのにますますお母ちゃんが大好きになる」という会話を聞いた。そのときは、12年後の今日のことは想像しなかった。
東京ではあと2回、これからドレスデン、デンマーク、サンフランシスコで上演が続く。それぞれの国の観衆、そして誰より指揮者、歌手、オーケストラがどのようにこの新しい『蝶々夫人』を受け入れるのか、胸が高鳴る。