小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

東京都交響楽団×マルク・ミンコフスキ(10/7)

2019-10-09 14:49:33 | クラシック音楽
楽しみにしていたミンコフスキと都響のシューマン&チャイコフスキー・プロ。シューマンの『交響曲第4番』は初稿をもとにしたクリティカル・エディションが使用されたが、個人的にすべての版のフルスコアを所持しているわけでもないので、原典重視のミンコフスキの視点は尊重しつつも、特にそこに審美的な重点を置くことなく聴いた。指揮者や演奏家を囲む懇親会などでは、熱心な記者が版について質問をすると「君がどれほどのことを知っているのかね? 版に関係なく音楽は音楽だよ」と言うヤノフスキやキュッヒルのような人もいる。彼らの言葉は、ある意味心に突き刺さるものだった。個々の学究的な姿勢は評価されるべきだが、現場で音楽を仕事にしているわけでもない聴き手が、コンサートでどのように音楽を享受すべきかを教えてくれた。

ミンコフスキのシューマンは、淡々としすぎていて呆気にとられた。「端正な」指揮者であることは知っていたが、何かを意図的に排除し、選別している印象だった。そのことで、音楽に積極的な効果が出ていたかどうかは聴き手の受け取り方によると思うが、私は良さが分からなかった。都響がもつ、「音楽の無意識」までを表すような卓越した知性や美意識が、指揮者の不可解な意図によって塗りつぶされ、次々と即物的なフレーズが飛び出していた。ミンコフスキが描いていた「音の画」が分からない。印刷された楽譜が拡大コピーされたような、そんな図が思い浮かんだ。

この演奏会はミンコフスキらしくない、とも思った。2014年の都響初共演のビゼー「アルルの女」のリハーサルを見学したときには、「サバンナを走る動物たちのような…」といった指揮者からの2.3の言葉によって、オーケストラが繊細で色彩感に溢れたサウンドスケープを描き出していく様を見た。ミンコフスキの中で何が変わったのか。何も変わらず、聴き手である私が勝手な誤解をしていたのか。

シューマンの印象がほとんど消えてしまうほど、後半のチャイコフスキー『交響曲第6番《悲愴》』は奇々怪々だった。指揮者の動きは終始せわしなく、音楽とはあまり関係があるとは思えない、不思議な体全体の横揺れが加わる。個人的に最も苦手な「手旗信号タイプ」の棒だった。チャイコフスキーのメロディメーカーとしての魅力が、指揮者の意図によって消され、そのことで特に強調される感動はなかった。もっと言うなら、音楽の最もコアにある魂が死んでいたように感じられた。

都響は、その5日前の東京芸術劇場でのマチネで心奪われるような演奏をした。フィリップ・フォン・シュタイネッカーがスッペの『軽騎兵』序曲や『美しきガラテア』序曲、オッフェンバックの『チェロ協奏曲』『ホフマンの舟歌』『天国と地獄』序曲などを振り、コミカルで賑やかなオペレッタというより、作曲家の人生の奥に秘められた悲哀や真実の言葉がじわじわと聴こえてきた。都響の洗練に脱帽し、涙が溢れた。オペレッタの三拍子には人生の郷愁や無念、後悔が詰まっている。『ホフマン物語』を完成させる前に亡くなったオッフェンバックの魂がそばに降りてきていた。

ミンコフスキのチャイコフスキーは、指揮者の風変りな美学によって喜劇的な音楽になっていた。戦闘音楽のような1楽章、戯画化された2楽章のコン・グラツィア、再び「軽騎兵」のようになる3楽章…4楽章は比較的普通かと思ったら、管楽器が形而上的なるものから最もかけ離れたぎょっとする音を放った(巨匠の「バロック的」解釈なのかも知れない)。これは作曲家に対する何かの報復なのだろうか。
それでも指揮者の理念は尊重されるべきなのかも知れない。まったく都響の奏でる音楽とは思えなかったが、オーケストラは幸福だったのだろうか?

この演奏会の感想としてしばしば散見されたのは「明晰で混じりけのない」「手垢のついていない」という言葉で、手垢とはそもそも何を示すものなのかを知りたいと思う。音楽は人間世界全体の相似形で、膨大な他者の解釈とともに高揚し、進化を遂げていく。8月にミューザで聴いた東フィルとダン・エッティンガーの『悲愴』は、チャイコフスキーの最後の交響曲が行きつく先を示す壮絶なもので、作曲家の脳のシステムが自らの肉体を蝕んでいくという凄味のあるストーリーが浮かんだ。個人的に最も先鋭的で本質的な、アップデイトされた『悲愴』だった。
音楽愛好家…特に教養ある愛好家の中には、文学的な世界を好まないタイプもいる(それは何故だろう?)。東フィルのドストエフスキー文学を思わせる演奏も、ある種の客層には好まれないものだったのかも知れない。
しかしながら、文学は人間にとって疑いようもなく大事なものだ。作家は命懸けで文学を綴り、その苦悩や悲痛さは作曲家と同類のもので、科学実験や数式の合理性とは別のものだ。ミンコフスキのチャイコフスキーは「音学」であり、音楽のパロディであるように思えた。作曲家の存在そのものが否定されたような気持ちになった。

よりによってシューマンとチャイコフスキーで、なぜこのようなことをしたのか全く理解できず、日本の上品な聴衆が、孤独な指揮者にブーイングを送らないよう心から祈っていた。それはとんでもない杞憂で、奇妙な音楽会はスタンディングオベーションと、指揮者単独のカーテンコールによって歓迎されたのだ。
ミンコフスキはオーケストラアンサンブル金沢の芸術監督で、都響ファンにも好評だが、このロマン派の演奏に関する限り、なぜこれほど熱狂するのか理解が及ばなかった。オーケストラも、聴衆と同様この演奏会を祝福していたのだろうか?
後日伝え聞いたところによると、同解釈で振ったフランクフルトとケルン放送響では大ブーイングが起こっていたという。日本の聴衆に歓迎されたミンコフスキは感無量だったろう。