小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

ヤクブ・フルシャ&バンベルク交響楽団(6/26)

2018-06-28 02:42:22 | クラシック音楽
来日中のバンベルク交響楽団のサントリーホールでのコンサートを聴いた。指揮は2016年から首席指揮者を務めるヤクブ・フルシャ。前半はブラームスの『ピアノ協奏曲第1番 ニ短調』で、ユリアンナ・アヴデーエワがソリストとして登場した。久しぶりのフルシャは相変わらず人懐こい笑顔で楽員たちを見渡し、コンチェルトの前奏を指揮しはじめた。生真面目で厳粛で哲学的なサウンドが渦巻きのように立ち上り、このオーケストラがもつ悲劇的な響きに忽ち魅了された。ピンクのジャケットを着たアヴデーエワは決然とした表情で最初の一音を鳴らし、それがオケの音と完璧に調和していたことに驚いた。静謐で厳しく、痛々しいほど清潔で聖なる音だった。
ブラームスの2曲のピアノ協奏曲はそれぞれ青年期と壮年期に書かれたもので、二つの曲には共通する精神性を感じる。「独身者の矜持」ともいうべき特異な精神で、それがこの曲を美しいものにしている。生涯結婚しなかったブラームスの厭世観は、ピアノコンチェルトに最もよく描き出されていると思う。ニ短調の1番の執筆中にはシューマンが亡くなり、初演と同じ時期(1859年1月)にブラームスはアガーテ・フォン・ジーボルトとの婚約を破棄している。クララへの断ちがたい想いがそうさせたのだ、というのが通説だが、別なふうにも考える。ブラームスは俗世間と距離を置いて生きる必要があり、彼の芸術性において婚約破棄は避けて通れないものだった。恩人の妻への思慕は、「私はファントムとしての女性しか愛さない」という決意でもあったとも思う。

アヴデーエワのピアノが、凄まじい表現力だった。禁欲的で崇高で、ブラームスの人生と精神性をどこまでも掘り下げていく覚悟に溢れていた。硬質だがストイックな愛情に満ち、あらゆるパッセージに死に至る渇望感が感じられた。女性なのに強靭な左手の持ち主で、オケに比肩するダイナミックなサウンドを一人で鳴らす。オーケストラはこの名曲をありきたりに演奏せず、毎秒ごとに新鮮で新しい美を投げかけていた。木管がとても「ボヘミア調」な雰囲気なのが面白い。弦は偏光オパールのように色彩を変化させ、音楽に秘められた情熱をミステリアスに表現する。ピアニストは、オーケストラからこんなふうに返されたら誰でも嬉しいのではないだろうか。崇高な愛のダイアローグで、それは曲が展開していくごとに濃密な対話となり、枯渇することがなかった。
2楽章のアダージョは完璧な祈りの音楽で、芸術の究極の美は宗教性の中にあるのではないか…という最近の自分の考えに答えをもらった心地になった。時間の感覚が取り払われ、聖なる境地に心が運ばれていった。
3楽章の力強いメロディは、ブラームスの愛の凱歌だった。「私は秘めた愛を封印する」という決意で、フルシャはこの楽章を英雄的に演奏した。アヴデーエワのピアノは金色の螺旋階段を上昇していくかのように舞い上がり、フィナーレに向かってブラームスの魂は救済されていった。ピアニストと指揮者は両方の頬を合わせて抱き合い、奇跡のコンチェルトが実現したことを祝福した。

フルシャには都響の第九のリハーサルのとき(2016年)に一度インタビューをしたことがある。東京文化会館の練習室で、オケに穏やかに語りかけ、楽員全員に感謝の意を示し、みんなを大切に思っていた。「プレイヤーには毎回心から感謝している」と語った。指揮者のエゴで理想郷を創り出すタイプではなく、人の心が織り成す調和の総体がオーケストラだと信じている人だった。
バンベルク響の音も、強制的なものが一切感じられない音で、軍隊のように一糸乱れぬサウンドを愛する人にとっては「緩く」感じられる箇所があったかもしれない。「一糸乱れぬ」ことはフルシャの目的ではないのだ。後半のドヴォルザーク『交響曲第9番 新世界から』では、フルシャが「超」のつくポピュラーな名曲を、微塵もありきたりのものにしないために工夫を重ねていることが伝わってきた。音楽は予想に反してどの楽章でも一直線に突進しない。リタルダンドが何度もかけられ、遊び心とも迂回ともとれる不思議なニュアンスがオケの美しい断面図を見せていく。創造性に満ちた瞬間が何度も繰り返され、奏者たちの心は躍動し、ドヴォルザークの旋律とともに高揚していた。ラルゴ楽章の弱音は危険なほどデリケートで、心からの告白を聴いているような心地になる。
勇壮なフィナーレ楽章でひとしきり燃えたかと思ったら、再び鎮まって音楽に繊細さが溢れ出した。オーケストラは本当に、戦隊ではないのだ。ラストの音の思慮深さは何と表現したらよいか、指揮者のエゴイステイックなナルシズムとは対極にあるもので、フルシャはプレイヤー全員に永遠に続く音楽の喜びをプレゼントしていた。円環のように次につながっていくサウンドで、フルシャという指揮者が本物の「王者」であると感じさせてくれた。平和な王国を統治する王様で、全員が心から幸福であることが彼の喜びなのだ。全く、そんなふうに指揮者が存在できるとは思っていなかった。彼は新しい世代のマエストロで、持って生まれた新しい魂を正直に音楽に投影するのだ。6/29には愛の音楽そのものであるマーラーの3番をサントリーホールで演奏する。

(ブラームスが私的に婚約していたアガーテ・フォン・ジーボルト。1858年に婚約指輪を贈っていた)


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