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イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ちいさいおうち

2008-09-25 | 第十章「今ここでの恩寵」

 朝起きてから寝るまでの一日。自分の年齢から計算すると、すでに20,000日以上を迎えた勘定である。そして、その毎日はその時々に住まった自分の家がベースである。

 物理的な自宅に身を置くわけであるが、こころの世界も同じように家がベースにあるように思う。どこか安心で癒されるような場所がこころの中にあるようだ。

 家とは自分にとってどんなものか?そんなことを、2-3日考えていた。自分の幼い頃の家のイメージが大部分であるが、ふっと思い出すことが2つある。

 ひとつは、幼いころに読んだ絵本、ちいさいおうち。田舎の小さなお家が、だんだん街が開発され周りがギスギスしてくるが、最後にはまた田舎に移転するという話である。

 当時は岩波文庫から出た、「ちびくろさんぼ」などの絵本もあったが、「ちいさいおうち」は子供にも買ってあげた本であった。波瀾万丈でも、最初と最後は落ち着ける場所という原点を教えてくれるのだろうか。

 もうひとつ思い出したのは、有名なGreen Green Grass Of Homeである。ホームページ検索や、YouTubeでエルビスプレスリーなどの歌も聴くことができた。死刑囚の話ではあるが、「ちいさいおうち」と自分の世界では繋がるところがあり、リラックスできる。

 自分のこころのどこかにある、ちいさいおうち、その中はどうなっているのだろう?

<家1/4>

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青い鳥は何処に?

2008-09-24 | 第十章「今ここでの恩寵」

 幼いころに読んだ、絵本や童話は記憶のどこかに残り、人生を左右することもあるのだなと思う。その一つに、メーテルリンクの青い鳥の絵本がある。

 チルチルとミチルが青い鳥を探しに、おどろおどろした恐ろしい世界をさまよったりして、最後に青い鳥が身近なところに居るのを見つける。そんな話だったようだ。

 青い鳥の記憶は、もうひとつある。7歳の時、南東アラスカのシトカに父母と住み始めたころ、窓越しに青い鳥が飛んできたことである。母と一緒に、喜んだ記憶である。

 さて、今年初めごろから書きはじめて、最終章に辿りついた。「今ここでの恩寵」という、タイトルである。過去にくよくよすることもなく、将来を過剰に心配をすることもなく、朝起きてから寝るまでの一日を自然体で楽しむことを忘れず過ごすのが、こころの健康の秘訣であると思う。

 そして、その中で、自分自身や他者の話を時に傾聴し、紆余曲折しながらも自分の道を進んでいく。

 舞台は家であったり、学びの場所であったり、職場であったりする。

 この章では、いくつかの生活の舞台を歩きながら、傾聴について考えを深め、そして恵み(Grace)についても考察していければと思う。

<総論>

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朝顔の立ち位置!

2008-09-23 | 第九章「愛」

 長年務めてきた会社を去ってまもなく、丸5年となる。生き甲斐の心理学と福祉の仕事の接点を希求して2003年10月1日に静かなスタートを切った。

 50歳を越えてのスタートは、20歳代のスタートとは違う。一人の力の限界を感じてしまうことも多い。幸いなことに、この5年間で得た貴重な出会い、貴重な学び、いろいろあった。感謝という言葉の厚みを感じる。

 そして今、これからの立ち位置を考えている。

 様々な自分の至らなさとか、小さくて狭い世界なのかもしれないが、人との関わりの機微の中で、ある時は楽しみ、ある時は痛みを伴ってこの立ち位置に来たように思う。

 これからの立ち位置はどうなるのだろうか。自分のどこか想定している範囲で変化するのか。あるいは、突然何かが与えられるかもしれない。所詮それは判らない。ただ、どのように(ぎくしゃくとするか、しなやかかなど)変われるかは努力の範囲かもしれない。

 富士山の前にはさまざまな花が似合うようだ。ヒマワリ、ススキ、月見草、そばの花、コスモス・・・

 でも、一番好きなのは朝の青い朝顔である。

 昨年種から朝顔を育てたが、その凄い生命力を感じた。ぼーっとしていると釣瓶などすぐ取られてしまう。

 今年は朝顔を育てなかったが、朝顔を富士山の前の畑で、大らかに咲いてうるのを見られたのは幸いであった。

 大らかに、しなやかに咲きたいものだ。

<まとめ>

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あの世で落語的に再会する!

2008-09-22 | 第九章「愛」

 伝統的宗教・世界宗教は、個人の資質によったり、時代(政治)の流れの中で、寛容・習合的な側面が強く出てきたり、教化的・教条的側面が強く出てきたりすると思う。

 仏教が日本に伝来され、やがて神仏習合が出てくる。仏教を信じる人も、身近な人や先祖で神道等他宗教を信じている方との強いつながりがあるのだから、そうした宗教に寛容になったり習合的な思想を考えたりするのは自然なことである。

 キリスト教、カトリックも同じように、寛容・習合的な要素が沢山ある。

 さて、私は母がカトリック信者であったので、幼いころからカトリック教会に行ったりした。カトリックも当時は、第2バチカン公会議前のころであり、教化的側面が表面的には強かったようだ。

 そんな中で浄土真宗であった父は死んだら天国に行けるのか?それが私の幼いころの心配種であった。

 今では、父も本当に亡くなってしまった。そして私は、きっと天国で父に会えると思っている。天国で、再会して説教されるのは嫌であるが・・・

 大学を卒業して、会社勤めを始めたころ、上司にKさんがいらした。厳しい方であったが、熱心な仏教の信仰を持たれた方で、単身赴任をしている私を親身に世話してくれた。当時、キリスト教から離れていたこともあり、仏教の話も良くしてくれた。

 そんなKさんであったが随分前に退職され、殆ど交流も無くなってしまった。私が5年前会社を辞めたころ、久し振りにe-mailの交換をした。そのころは私も揺るがなき?カトリック信徒であったので、仏教徒のKさんにそのことを伝えた。

 そんなこと全く気にしないよと言われ、昔ながらの気さくな交流ができ、本当に嬉しかった。その後、Kさんはご病気で連絡が取れなくなってしまっている。心配である。今度再会するときは、それぞれの思い描く極楽や天国かもしれない。

 この世の別れは淋しいが、あの世の再会はどんなものであろうか。落語の世界のように楽しいかもしれない。

<沈黙4/4>

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ひかり!

2008-09-21 | 第九章「愛」

 光の特性について、習うのは高校生のころであっただろうか。そして、大学1-2年の基礎工学の実験で、光の波動性の実験をしたのを覚えている。美しいプリズムを通しての光。何を勉強したのかは殆ど忘却の彼方であるが、光の美しさは印象的であった。

 粒子としての性格と波動としての性格を併せ持つという二重性を持つ光。実に想像を絶していて神秘的ですらある。

 私は、水面に映る景色を観るのが好きである。特に写真では、眼で観る景色と微妙に異なり、場合によっては眼で観るより神秘的な写真ができたりする。

 学ぶということは、結構しんどいところがあるが、理解することで純粋な喜びを得ることもある。

 最近は内田樹氏の「街場のアメリカ論」と「街場の中国論」を読んだが、眼から鱗であった。「私家版・ユダヤ文化論」と共に、今まで疑問であったことが、的確に説明されていて嬉しかった。光の二重性のような知性の煌めきを感じる。

 新しい知識を得ること、自分では到達し得ない何かを得ること、これも恵なのだと思う。

<沈黙3/4>

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