昔は毎日のようにお世話になった都電も、最近はほとんど見かけない。都心に行くことも少なく忘れかけていたが、最近路上も走る江ノ電に乗る機会が増え、昔の気分を味わっている。
先日は、江ノ電の腰越駅で丁度来つつある電車に飛び乗りたかったが、死角があって駅に向かおうか迷っていると、運転手が窓越しに優しく手で制してくれた。
確かに、後で死角のところは危険なことが判り、親切にボディーランゲージで危険を予防してくれた方に感謝した。
さて、予防という言葉であるがと余りかっこいいというイメージはない。例えば火事場の消防士さんの活躍は思わず憧れたりするが、町内会のおじさんたちの火の用心の見回り活動は地味である。
子供のころは、予防注射は大切と教えられても、痛いのは嫌であった。また、母から大きくなるため、好き嫌い言わず食べなさいと言われても、嫌いなものを食べるのは嫌であった。ただ、今から思うと大事なことだ。
大人になってからは、コンピュータ関連の仕事をすることになったが、その中で、予防保守のソフトを販売した経験があった。人が健康を害する前に、予防する活動があるのは知っていたが、機械や設備にもあることとやその重要さを知った。
ちょっと脱線するが、最近の基幹のコンピュータシステムは、止まってはいけないシステムが増えてきた。保守の仕事は、故障を復旧するだけでなく、予防保守で重大事故を回避することも重要になっている。ディスクが壊れる前に、振動等の情報をセンサーで集めて、あらかじめ交換したり、壊れてもバックアップのシステムが動くようになっていたりする。
コンピュータ関係の会社を退職してからも、予防という言葉に、いろいろなところで遭遇した。介護の世界も、センサーを取り入れた予防的な機材も増えている。そして、予防医学的な「生き甲斐の心理学」は毎日お世話になっている。こころの健康に役立つ知識を知るのと知らないのでは、人生を豊にするのに大違いである。また、予防外交というちょっと耳慣れない言葉も知った。恩師はその活動をされている。国際紛争を未然に防ぐ地味な活動も重要である。
予防活動。それがどういう意味かと考えると、人のことを思いやる愛なのかなとふと思った。私も、おじさんの一人として、予防の世界を大切にしていきたい。
そういえば、昔読んだサリンジャーのライ麦畑のつかまえても予防活動だ。
<倫理4/4>
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