高校1年の時、理論的で政治好きのAさんと、学校でまじめに議論したことがある。歴史は進歩するというAさんに、人類は何時の日か滅亡すると断言し、議論になったのだ。私は小学校のころから地学や考古学が好きで、万年単位でものごとを考えるところがあり、Aさんは政治家的な発想であった。
結局、その時の話のギャップは埋まらなかった。Aさんは、太陽が消滅する長い時間など、基本的に興味がなく、私も日本の政治にはそれほど興味がなかったからかもしれない。
さて、先日行った、山中湖。美しい富士山をゆっくり堪能した。その一方、富士五湖の山中湖や河口湖も観て、堰止湖など自然の力の凄さを感じ、微かな怖さを感じた。
幼い頃家の庭でよく土を掘って遊んだが、分厚い関東ローム層(赤土)を見ながら、富士山の噴火の凄さを教えてもらったことがある。小学生・中学生のころは富士山は休火山と習ったが、今では休火山という言葉も聞かなくなった。
あるいは、あまりに美しい自然・富士山にどこか怖さを感じたのだろうか。
話はちょっと変わるが、「スーパーボルケーノ」という映画を今年の春ごろかテレビで観た。米国の西部の地下にある巨大マグマが突然超巨大噴火するという物語であった。深夜に観た映画であったが、とても良く出来ていて印象深かった。
超巨大噴火は七万年前のインドネシアのトバ火山噴火が有名で、この時人類は大きな被害を受けたとされている。遠くインドまではヒト(現世人類ではないと思うが)が住めなかったとようである。
そんな記憶がどこかにあり、理屈では巨大噴火が富士山とは理論的に異なるはずなのに、どこかで繋がっていたのかもしれない。
噴火も恐ろしいことであるが、人類の過去の歴史で、恐ろしいのは、やはり地球の寒冷化の問題である。今は温暖化のこと(富士山の頂きも万年雪が溶けていたようであった)を心配している方が殆どであるが、寒冷化は桁違いに怖いことだと思う。
今手元に、「フューチャ・イズ・ワイルド」(驚異の進化を遂げた2億年後の生命世界)(ダイアモンド社 ドィーガル・ディクソン&ジョン・アダムス著 松井孝徳監修)がある。第一線の科学者によって描かれる世界がどうか興味があるが、二億年後の世界は、巨大なイカが闊歩している。人類は、とっくに滅んでいるようだ。
話がちょっと錯乱的になってしまった。いろいろな不安感があるが、ポジティブに解釈できるところがあるだろうか、静に思索したい。
・・・自然に対する畏怖の感情というのだろうか、それは、どこかで今ここに生きている私が、人間同士の複雑で残念ながら儚い関係を越えて、神の愛というか、そういうことを思い出させてくれる。
<沈黙2/4>
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