イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

プライドを捨てる捨てない!

2008-09-12 | 第九章「愛」

 京王線沿線7市の図書館相互利用が今年になって可能となった。県境ではないが、市境に近いところに住んでいたこともあり、早速この特典を利用して他市の図書館を利用したりしている。

 既に4市の利用カードを持っていたが、昨日は稲城市中央図書館に夜、行ってみた。素敵な建物、そして、いろいろなサービスが充実しており、すっかり虜になってしまい、最近読み進めている内田樹氏の本も5冊も借りてしまった。

 その本の中に、「狼少年のパラドックス」(ウチダ式教育再生論 朝日新聞社)があり、パラパラとページをめくっていたら、30年くらい前の日比谷高校についていくつか記載があった。

 一年後輩の私なので、興味津津読ませて頂いた。その中で、日比谷高校で16歳から18歳(私の場合)に吸い込んだ空気の残留臭気のことがあった。氏は「シティーボーイの都会性」、「強烈なエリート意識」、「小市民的なエピキュリズム」、「文学的ミスティフィケーション」と述べているが、言葉が難しく思わず辞書を引いたりしたが、確かにそんな校風?があったと思う。

 私は、既に学校群一期生であったので、残留臭気はより微弱になっていたと思うが、変なプライドなど、どこか自分の中に今でも微弱ながら残留しているように思う。

 変なプライド(自分の個性を悪くいうのも良くないが)は、若い頃は逆にそれで悩んだ時期があったが、50歳を越えてからは余り感じなかった。

 しかし、脱サラを決行し、福祉の仕事に就いたときに、親しくしてくれた方から、この業界はプライドを捨てなければならないと言われ、ある人からは決して批難ではなかったが、私はプライドが強いといわれた。

 高校生活だけで身についたとは言わないが、自分の生育史でしみついたプライドが自分のどこかにあると思う。プライドなんか捨ててしまえと強く思ったりした時期もあったが、自分の個性となっている部分もあり、まあ適当に共存していかなければと今は思っている。

 このことは伝統宗教(私の場合はカトリック)を信じて見えてきたこと(問題のある自分でも受容してくれる存在を信じること)の一つかもしれない。

 さて無視されること、無視すること、これは意外とコインの裏表のように思う。プライドという核を巡っての双生児なのかもしれない。そして、自分にもうひとつの核を発見したとき、この双子は、よりかわいい存在になるように思う。

<無視を考える3/4>

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