私が高校生のころの40年前ころ、学園紛争が深刻化していった。私が通っていたH高校も、当時は過激なところもあり、私たちの先生達への気持ちは、尊敬から蔑視へと激しく揺れ動いたように思う。
同じ人間なのに、高校1年の時は尊敬していた先生が、高校3年の時は「ちょっとね~」というようにである。先生という職業は、生徒からその立場上尊敬から蔑視まで、あらゆる感情を受けやすいものだと思うが、当時の政治的な時代の中で、その激しさは際立っていたように思う。集団的に自己愛パーソナリティ障害的な混乱が蔓延したような時代だった。学園紛争で何名かの先生が教壇を去ったが、そうした悲しい影響があったように思う。
さて、その後の自分の師弟関係を考えると、大学3,4年のころのF先生との出会いは夢のようであった。学問を通し多くのことを学び、そして師を通して人間にとって大切なことを再確認したように思う。社会人への一歩を図るために、その出会いは大きな意味を持っていた。
師弟関係というのは、何か弟子にとって好ましい「師の原型」、あるいは愛の原型というか、があるかどうかが重要だと思う。私にとっての師の原型は7歳の時のアラスカの出来事だと思う。これについてはブログに既に書いた。
師との出会い。そして、その肯定的解釈により人生での学ぶ喜び、師弟の素晴らしい交流が左右されるように思う。
<師弟を考える4/4>
人気blogランキングへ <- 1クリック是非とも応援お願いします!
よかったら、ちょっとご検討していただけませんか?9月28日に植村高雄先生の「こころの健康と生きがいづくり」の講座が八王子市南大沢で開催されます。資料はこちら! 問い合わせは h.mori@npocull.org