イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ヒトそれぞれの知覚!

2007-08-19 | 第七章「光と復活体」

お盆休みも終わり、友人と旧交を温めたり親戚と語り合った日々も過ぎ去った。

その中で、ふと、友人や親戚の方への私の見方、正確に言えば知覚が昔と今では変わったことに気づく。これも植村高雄先生の「生き甲斐の心理学」を学ばせていただいた成果かもしれない。

昔は人と自分の違いを悲しむことが多かったが、今は人と自分の違いを楽しむことが多くなったようだ。

知覚という言葉がある。難しい言葉であるが、「人それぞれの五感と知性で把握すること」、と理解すると少しわかり易い。

カウンセリングや心理学の中で、カール・ロジャースが有名であるが、そのロジャースのパーソナリティ理論である19個の命題は現象学の影響を受けている。そして、命題の2番目に次の記述がある。

「有機体は、場に対して、その場が経験され知覚されるままのものに、反応する。この知覚の場は、個人にとって実在(reality)なのである」(全日本協議会発行<パースナリティと行動についての一理論:学習の手引き>より引用)

これは、人はある存在(人でも、モノでも、事実でも)に直接反応するのではなく、その人の知覚したものに対して反応するということである。要は、物事は人それぞれのフィルターを通して把握され、ある物事に対する人々の反応はバラバラであるということでもある。

バラバラは当たり前、「生き甲斐の心理学」のひとつの考え方である「自分以外の他人は驚きの対象」という真理である。

イエス・キリストの復活に出会った人々は、新約聖書によると人それぞれの知覚で反応した。中には聖トマスのように、手に釘の跡を見、指を釘跡に入れなければ信じないという知性の持ち主までいた。私もそのタイプの人間であったが・・・

ヒトそれぞれの知覚に関する真実、考えてみる価値はある!

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(鉄塔を皆様はどう思いますか、この反応本当にヒトそれぞれ!)