イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

百合を見ると思い出す!

2007-08-05 | 第七章「光と復活体」

今年は父が逝くなって17年となる。百合を見る時期になると、両親と兄弟、家族で過ごした17年前のお盆を思い出す。

最後に父と郷里の岬の荒れ果てた神社に詣でたのだが、その時に父と見た山百合の記憶が忘れられない。

父は、サラリーマンとして猛烈に働き、67歳で逝く直前まで仕事をした。最後の夏は、抗がん剤治療を終えて、お医者様に退院の許可を頂いて、家族団欒を楽しんだ。

癌であることは、告知されていなかったが、父は自分の死を覚悟していたようである。そして母や子供、職場などで優しい言葉を残してくれた。特に母に対しては・・・

父は、サラリーマンの仕事をそのうち勇退し、郷里に帰って世の為人の為、郷里のための仕事をするのが夢であった。そのために、郷里の実家をその2-3年前に新築したばかりであった。

父の死は秋になり、無理をして仕事に出かけ体調を崩し再入院して間もなくであった。突然夜中に連絡があり、多摩からタクシーを飛ばして駆けつけると、内科医が静脈にカテーテルを留置しるための処置をしようとしているところであった。意識朦朧とし暴れる父を抑えてくれとのことで力を貸した。

その後、麻酔が余り効かない中、緊急手術をしたものの、敗血症が進み翌朝家族の見守る中で逝ってしまった。

父の遺産は何だったのだろうかと想う。最後に世の為人の為に仕事をしたいという、純粋な想いがあったが、その意志が遺産だと今は思う

毎日の生活の中、父は私以上に天国で私の為に祈っているかもしれない。

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