イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

嫌いな人を好きに・・・

2007-08-30 | 第八章「魂と聖霊」

先の皆既月食の日から、猛暑も去りめっきり涼しくなった。

窓を開けると、ひんやりした風が入ってくる。

さて、風は息を連想するのか、命とか魂といった言葉と関係が深いようである。ギリシャ語のプネウマは風という意味と同時に霊の意味がある。

このところ、傾聴において、如何に熱心に話を聴けるかという問題を考え続けている。その中で、相手の方への嫌いという感情にどう対処するかという問題がある。嫌いな方や、苦手な方とは、普通は話すのも嫌だからである。当然傾聴にならない。

嫌いな人とどう接するかという問題は、私たち社会人の一般的な問題のひとつのようである。さらに、教育・医療・福祉などの人と接する仕事では深刻な問題であると思う。

そして、今までいろいろお聴きした中では、次のような対策で少しでも嫌悪感を緩和し好きになろうとするようだ。

一例であるが・・「その人の長所を思い浮かべる努力をする」。「ひとそれぞれの知覚はことなり、それは個性の美と考えるようにする」。「人類の50億年近い歴史を想像するなどで、気持ちを切り替える」。 「その方の身体の状態、成育史からくるこころの状態などを考慮する」。「愛そのものがこの方の身体に住まわれていると想像する」。「性善説」。

確かにそうだなと思う。私の場合はどうであろうか?やはり信仰の問題と切り離せない気がする。罪深い私が救われるという信仰からの平安感、生かされているという感覚がベースかもしれない。人間観はもっとも重要な気がする。そして先の例もその場で有効だと思う。

嫌いだという感情、それは人間であれば当然持つ自然な感情であり、それを持つことは当たり前だと思う。暗さを感じ電気をつけるようなセンサーのひとつと考えればよい。

ただ嫌っている相手を、なにか考え方を変えることで、より好きになり自分の行動を変える自由は残されていると思う。

今日の窓からの涼風は、そんなことを教えてくれる。

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