イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

夏の夕暮れと胡蝶

2007-08-26 | 第八章「魂と聖霊」

昨日は納涼会があり、多摩の夕暮れを楽しんだ。猛暑が続くが、夕暮れになると涼風が吹き、美しい多摩の夕焼けが観えた。

そんな納涼会の準備中に、蝶が一匹庭に飛んできた。そして携帯のカメラを近づけても逃げないで、写真に収まってくれた。 その蝶で、何故か亡くなった方のことを思い出す。まして携帯を近づけても、どうぞ撮って良いよとばかりで、その方のことを強く思い出だした。

 人の魂が存在すると信じると、いろいろ豊かな感情を伴い、人生が豊かになるように思えるのは私だけだろうか? 以前ネアンデルタール人(旧人)の墓の遺跡で花粉の化石が発見された記事があった。ネアンデルタール人も死者に綺麗な花を手向けていたのだ。

自分の既にこの世に居ない祖先のことを考えてみる。最古の人類化石がアフリカで360万年前といわれている。一世代大雑把に30年として考えると、12万世代の祖先がいた事になる。祖先の数は2の階乗で増えるから、ちょっと計算するだけで気が遠くなる。

因みに現在の世界人口は66億人といわれている。この数字になるには、32世代の累計で64億人程度になるので、約1000年辿ると自分の祖先の累計は世界人口を超えると考えて良いようだ。実感できないが数字上そうなる。

膨大な自分の祖先に想いを寄せる。恐らく大多数の祖先は、魂を信じていたに違いないと思う。そして、死者に花を手向けたりしたのだと思う。

今日も美しい夕暮れが見えるだろうか?

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ヒトって何?

2007-08-25 | 第八章「魂と聖霊」

昨日から、ヒトとは何であるかを考え続けていた。WHO(世界保健機構)ではどう考えているか調べたところ、Palliative Care(癌の緩和ケア)の説明があり、この中で全人的なケアの考えが参考になった。

身体のケア、心理学的ケア、スピリチュアルケアの3つのポイントがあるようである。興味のあることは、心理学的ケアと霊的ケアであるスピリチュアルケアの領域を分けている点である。

WHOも国連の世界人権宣言(1948年)18条の思想、良心および宗教の自由の権利を明確に支持しているようだ。Wikipediaで世界の宗教の状況を見ると、世界の現状が判る。日本では、宗教や思想を人権として議論されることは少ないようであり、福祉や医療の現場でも宗教や思想を表立って話すことは少ない。

ヒトとは、本来やまと言葉で、日・霊がある所という意味だという。日本人は本来魂を信じて疑わなかったようである。そして、現在でも日本人の多くは特定の宗教を信じなくても、魂の存在は信じているようである。京都五山の大文字焼きが先にNHKで放送されたときは胸が熱くなった。

日本もこの数十年で大きく変わり、昔の犯罪が少なかった時代とは大きく変わってきている。暗い話は毎日新聞を賑わせる。私たちも全人的な見地から、もう一度ヒトを見詰めなおす必要があるように思う。

もちろん私自身もだ!

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より良く人に寄り添うために!

2007-08-24 | 第八章「魂と聖霊」

昨日は意図しなかったのではあるが、常識が相対的であることに関していろいろご意見を承った。私も、介護・福祉・医療・保健などに関わる仕事をし始めて、いろいろ考えさせられることが多い。

自分以外の他人は驚きの対象。本当にそうなのだ。当初は厭世的になり勝ちな自分を発見したりした。

そんな中で、植村高雄先生から学んだひとつの方程式が役立っている。

これは、植村高雄先生が愛の方程式と名づけたものであり、この式を信じることで、より人に寄り添える効用がある。

A=B(X+Y)という公式である。Aは生きている人間そのもの、Bは死んで身体から離脱する魂、Xは生きている時のその人の心・考え方、Yは生物学的な身体の事。

この式は現場で人と対峙するときに役にたつ。まずBは愛そのものを仮定しているから、どんな人間でも愛そのものの魂・純霊の要素があることを忘れてはならないという戒めになる。

次にAという様々な現象ががあるが、これは、魂がその方の成育史に関係するこころ、あるいは生物学的な身体という二つの影響を通して現れるという解釈である。逆に言えば、身体やこころの現象を通して病理を人に教えているという見方もできる。

この考え方を知っているだけで、現場でのストレスは軽減できる。また、心の問題、身体の問題に注意する上でも役にたつ。

話は変わるが、私が学生のとき、卒業論文がBrunswikLens Modelをベースにした研究であった。これは目で見える様々な現象から、診断や様々な意思決定をするための基礎研究である。

30年前の研究ではあるが、現在でもLens Modelの研究は継続されているようだ。植村高雄先生の愛の方程式も欧米の大学で研究されていることがベースにある。一度Lens Modelの最新の動向を調べてみたくなった。医療や宗教心理学とかかわりはあるのだろうか?

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真実を知る!

2007-08-23 | 第八章「魂と聖霊」

28年勤めた外資系企業を辞めて5年目になる。その後、それまでの人生で殆ど接触したことのない方々とお会いすることが多く、今までの職業生活で得た常識を初めの2-3年は随分考えさせられた。

結論ということでもないが、常識は様々なことで相対的であり、一見確かそうなことも、立場や状況が変われば、常識でなくなるということだ。

「初心忘るべからず」は世阿弥の言葉であるが、真意は初めのころの無力で醜い自分をわすれるなということだ。その意味で、私は「初心忘るべからず」をこの4-5年経験してきたといえる。

そんな中、「生き甲斐の心理学」や「宗教心理学」を勉強してきたことは救いである。学問の厳密さも要求されるからである。

私の好きな言葉に、古代キリスト教の時代、ユスティノスが「真理に属するものは誰でもキリスト教徒である。」という言葉がある。誤解しやすい言葉でもあるが、真理を愛すること、その意気込みが伝わってくる。

このところ、考古学などの本を暇を見つけて読んでいる。遺伝子で人類史を探ること、炭素14法、熱ルミネセンス法などの年代決定技術、多変量解析などの数理統計技術・・厳密さを求めるためにこんなところで使用されているのかと感動したりする。

厳密な科学的なアプローチは難しいかもしれないが、「魂と聖霊」というテーマを進める上で、さまざまな立場の方を念頭におき、イキイキと生きていくために、この問題ご一緒に考えて行きたいと思う。

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縄文の魂!

2007-08-22 | 第八章「魂と聖霊」

昨日は都心に久しぶりに車で出た。多摩川沿いに南下し、下丸子周辺のガス橋を渡り、池尻方面から、国道1号線で白金、麻布、溜池、赤坂、四谷をとおり甲州街道から多摩方面に戻った。

結構山あり谷あり、しかも私の運転も適度に荒いので、同乗者は車に酔ってしまったりした。

そんな東京のドライブであったが、縄文時代後期の温暖期のころの海岸線を考えると、こうした山あり谷ありの風景の見方は一変する。一昨年中沢新一氏のアースダイバーを読んでからである。

当時は温暖化が進み、海進で東京は凄いリアス式海岸のようであった。昔海だったところや海岸だったところを走ったと思うと楽しくなる。

そんな縄文時代の、一万年以上前に日本は縄文土器という世界一古い土器を生産したようだ。何で世界一古い土器が、4大文明を初めとする地域ではなく日本という辺境の地で生産されたのか?

その理由を、地球物理学者の竹内均氏は日本での火山活動の盛んな時期と重ね、溶岩等の自然の現象をヒントに土器が発明されたのではと推定している。日本海流と親潮の恵みで特に東北地方には特異な文明があったようである。

そして土器の技術は土偶などにもおよび、宗教的なものとしても使われたようである。

殆ど記録のない大昔に、魂を信じ人を慈しみ愛した人(それは私たちの祖先であるだろう)がいたと思うと胸が熱くなる。

やがて死に天国で縄文時代の祖先に会ったら嬉しいな、そんなことを思ってしまう。

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