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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

もしも文字が無かったら!(魂を感じる ② 5/10)

2014-11-24 | 第十章「今ここでの恩寵」

歴博で「文字がつなぐ古代の日本列島と朝鮮文化」の展示をみたり、知人の書道の個展などに寄ったことで、最近、文字についていろいろ考えことが多くなった。

 そして、今朝はWikipediaなどで、文字の歴史を調べてみたりした。

 新石器時代から文字は存在するようで、古ヨーロッパのヴィンチャ文化で9000年前ごろのものが見つかっているようだ。日本人になじみの深い漢字は3300年くらい前に甲骨文字として始まる。一方、日本には古ヨーロッパの文化にまけない古層の縄文文化があるが、今のところ文字は発見されず、使われていなかったと考えられているようである。

 縄文の人たちは、ヴィンチャ文化に匹敵する文化をもちながら何故文字を使用するにいたらなかったのか?いろいろ考えてしまう。縄文の人たちは、文字をもつ文化を長い歴史のなかで全く知らなかったのではないと思う。いろいろ考えられるが、文字を採用する賛否両論の末、文字を敢えて採用しなかった可能性もあるかもしれない。そんなことを、想像したり。

 文字を採用することのメリットは、

 ①思想や哲学を言葉で残すだけでなくより精緻化することができる。ー>宗教、科学の発展や豊穣化。

 ②集団的な行動をシステマティックに行うことができるようになる。(戸籍や出納帳、納品・・・) ->国の統治力の強化。

 そして、多分文字を文化に取り入れた社会は、そうでない社会を野蛮かもしれないが、駆逐して生き残ってきたのだろう。

 

 しかし、反面文字を採用しないメリットもあるように思われる。現に、縄文時代は世界史上も珍しい戦争をしない文化だったようだ。

 ①身の丈にあった生活形式を維持しやすく、他の社会を乗っ取ったり戦争をすることを押さえられる。

 ②心理学的にいうと、個人の直接的経験が中心で、他人からの影響(投射等)が少ない状態。

 

 文字がなかったら、どんな暮らしになるのか?テレビやパソコン、スマホなど生活をかなり仕切っているような道具は消滅するだろう。もちろん、本なども・・複雑な業務をしている会社等の組織もかなり消えるだろう。その中で何が残るか。そして、何を楽しみとなすことができるか?多分、五感と体感は、今以上に充実してくると思う。そして、人の性格形成も変わってくるに違いない。

 一番興味のあることは、ロジャースの人格形成論10の命題だ。

 いろいろの経験に結びつけられている諸価値や、自己構造(the self-structure)の一部である諸価値は、ある場合には有機体によって直接的に経験される諸価値であり、ある場合には他人から投影され(introject)もしくは受けつがれるが、しかし、あたかも直接的に経験されたかのように歪められたかたちで知覚されるものである。

 少なくとも、マスメディアの影響力からは逃れられるだろう。

魂で感じる ② 5/10

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