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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

夜の動物園で幸福曲線を辿る必要条件を考える!(幸福曲線を辿る ② 1/10)

2014-08-18 | 第七章「光と復活体」

 街の中で、時々出会いちょっとした顔なじみの人がいる。いつも、苦虫を潰したような顔をして、挨拶でもしたら怒られそうな人もいる。あるいは、こちらが、どなたかなと思ったりする前に、いちはやく明るい笑顔であいさつをしてくれる。そんな人もいる。

 「生き甲斐の心理学」のU先生のテキストを読んでいると、どうも臨床心理学的には幸福曲線(平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感)の道を歩むには必要条件があるらしい。

 それは、「何のために生きるか?」、「生き甲斐は何か?」、「自分を本当に大事にするとは?」などのアイデンティティに関わることを時に応じて考え、アイデンティティが健全であること。こころの防衛機制(抑圧、感情転移、逃避、昇華・・・)が健全でさわやかに生きていること。そして、日常の中で的確な判断力というか現実吟味力を発揮している。この3つのあるようだ。

 そして、自分の過去の様々なケースを考えると、幸福曲線の道を歩んでいるときと、そうでない時と厳然とした違いがあったことに気付く。若いころ一次営業の仕事をしたことがあったが、売れているころは、幸福曲線の道を辿っていたようであったし、そうでない時は先の3点のうちの何かが問題だったようだ。最近は、昔と違って社会が変わり、幸福の条件(例えば仕事で成功する)を得ることが遥かに難しくなり、幸福曲線と同期する幸せな事態はかなり厳しくなっているように思うが。もちろん、幸福感を得たりや幸福曲線を辿ることは考え方しだいで出来るところもあり、難しいものの、さほど変わらないかなと思う。

 さて、昨日は久しぶりに多摩動物公園に行った。通常は午後5時閉園なのであるが、夏季期間の8月の土日、お盆休みのころは夜8時まで開園している。それで今回は午後5時すぎに入園した。始めはライオンを観たが、日没時期の人間でも不安感が煽られる時だったのか、あるいはムシの居所がわるかったのか雄が、やたらと怖い声で吠えていた。望遠で雄を観ると顔が怪我しているようでもあり、何となく吠えるのもわかるような気がした。ストレス曲線の道を辿っているのかもしれない。

  http://youtu.be/NfxfmnkOPkI

 逆に、写真のチンパンジー舎のジン君は、ハンモックの上でのんびり眠っていた。ジンは動物園では有名な独自の生育史の主人公でもある、ジンはもう5歳くらいなのだが、生まれてすぐに母猿が育児放棄をしてしまい。人間によって、哺育ビンで育てられた経験をもつ。そして、そのまま人間の手でで育てるのは問題なようで、やがて、チンパンジーの群れに戻すべく養母役のサザエの力で、徐々に群れの中に溶け込んでいるようだ。それも、さまざまなドラマがあったようで、ネットで調べると胸が熱くなる。

 

 チンパンジーは人間ではないが、群れに入りアイデンティティの統合?に精進し、夜の動物園というチンパンジーにとっては異常な環境の中でも、吠えたり暴れたりせず、優しい養母サザエの近くでハンモックに横たわっているのだ。防衛機制も現実吟味力も健全なようだ。きっと、サザエの愛にも満たされて、幸福曲線の道を歩み始めているのではないか?そんなことを妄想してしまう。

 そのほか、コウモリを観察したり、キリンを観たり、カンガルーを観たり、コアラを観たり(コアラは相変わらず食事時以外は殆ど寝ているようだが)して楽しんだ。動物も、不思議な人間を観察したのだろう。

    

幸福曲線を辿って ② 1/10

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