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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

奈良の佐保川周辺を独り占めに!(旅 4/10)

2015-04-15 | 第四章「愛とゆるし」

 昨日も朝から雨が続き、飛鳥の壺阪寺(持統天皇が亡くなった年に創建され、天武天皇・持統天皇の御陵の南に位置する寺で、高取町の関係からも興味のあるお寺)に行くのを断念した。そして、宿が新大宮なので近くの佐保の行っていないところに観光にいくことに。特に在原業平のゆかりの不退寺には行ってみたかった。

 

 先に琵琶湖で、大友皇子の弘文天皇御陵に行ったり、大津京遺跡にも行っており、天智天皇の後継者争いでの壬申の乱を思い出したこともあった。在平業平は平安初期の貴族で古今和歌集や伊勢物語で名高いが、平城天皇の孫(桓武天皇の曾孫)にあたり、その平城天皇(上皇)がやはり後継者で弟と息子で悩む大問題があった。結局は弟の嵯峨天皇に皇位を譲るが、平城京再遷都とか薬子の乱(最近は呼び方が変わっているらしい)で大揺れした。もちろん、政争の犠牲者もでた。

 不退寺は、平城天皇の萱の御殿跡に業平が創建したお寺で、近くの海龍王寺や法華寺と共に、平城京の鬼門、北東に位置する。

   

 朝10時すぎにお邪魔した時は、雨も降り本当に貸切状態で、業平が製作したとされる重文の聖観音菩薩像を拝観した。1200年くらい前の仏像であるが、明治前まで秘仏として大事に保存されていたこともあってか、ところどころに彩色が残っていて素晴らしかった。当時の凄惨な政争を想いつつ、業平の和歌を思い出したりし(といっても、百人一首程度だが)感動した。

 境内には、近くの古墳のものと思われる石棺があり、この地が歴史ある地であることも伺わせてくれる。縄文遺跡はどうなのだろうか?

    

   

その後は、やはり初めてのウワナベ古墳、コナベ古墳の周辺をとおり(雨の中)、航空自衛隊の正門で曲がり、海龍王寺に。

 

この海龍王寺も遣唐使で有名な玄ゆかりのお寺であり、当日は他に参拝者もいないため、住職に丁寧にご朱印を賜ったりした(ご朱印帳は忘れたので紙に書いていただく)。国宝の五重小塔や十一面観音像を拝観し、隣りの春日社にも寄せていただいた。

    

不退寺もそうだが、この地は藤原不比等に縁のある地。当然神社は春日社なのだろう。

そして、次は近鉄の線路を越え、奈良市庁舎のそばをとおり、イトー・ヨーカドーに。

 

ここは、長屋王邸宅跡で有名になった地でもある。生憎雨で眺望がきかなかったが、平城京が見渡せる屋上にまで上がった。

   

藤原家によって一族が死に追いやられた悲劇の長屋王。その地で、気楽に昼食をとったり。

しかし、日本の古代の血塗られた政争の地が、ちょっと寒い春の雨の中、清められているようで自分にとっても印象深い良き奈良見物であった。この後、奈良の中心地に行こうかとも思ったが、身体を想い、昨日はこれで奈良を後に。しかし、平城京跡と法華寺といった有名な観光名所を行かなかったけど、素晴らしい佐保で時間を過ごすことができ感謝している。

蛇足だが、今回の旅行で感じたのは、私たち日本人の「汚れと禊」の文化だ。

旅 4/10

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