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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

心の奥のケガレの思想・・・(暮らしの中のカウンセラー⑫)

2010-06-29 | 第九章「愛」
 多感な高校生の時に出会った、中原中也の詩。当時は学生運動も盛んな時期でもあり、≪汚れつちまつた悲しみに……≫の詩などは、当時の暗い心境を思い出させる。因みに中原中也のこの詩も著作権が切れて、インターネットの青空文庫などで、自由に見られる。興味のある方はここを。とりあえず、この詩を参考までに。

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汚れつちまつた悲しみに……


汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

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 さて、中也の詩を始めて眼にしてから、40年近くたった、ある日たまたま、中也の詩集を読んだのだ。非常にカトリック的だと感じた。調べてみると、中原中也は山口生まれで、カトリックのピリオン神父との交流も20歳台まで続いているようである。ヴェルレーヌの影響も良く言われているようであるが、カトリックの関係は非常に深いものだと思う。

 特に、、≪汚れつちまつた悲しみに……≫が掲載されている「山羊の歌」には、すぐそば次の詩が掲載されている。信じて見えてくるものは何か。信じないで見えてくるものは何か。非常に良くあらわしているようだ。

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    Ⅴ幸福

幸福は厩(うまや)の中にゐる
藁(わら)の上に。
幸福は
和める心には一挙にして分る。

  頑(かたく)なの心は、不幸でいらいらして、
  せめてめまぐるしいものや
  数々のものに心を紛らす。
  そして益々(ますます)不幸だ。

幸福は、休んでゐる
そして明らかになすべきことを
少しづつ持ち、
幸福は、理解に富んでゐる。

  頑なの心は、理解に欠けて、
  なすべきをしらず、ただ利に走り、
  意気銷沈して、怒りやすく、
  人に嫌はれて、自らも悲しい。

されば人よ、つねにまづ従はんとせよ。
従ひて、迎へられんとには非ず、
従ふことのみ学びとなるべく、学びて
汝が品格を高め、そが働きの裕(ゆた)かとならんため!

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 話は変わるが、ケガレの思想は、古事記でイザナギの禊ぎの神話まで遡り、日本人にとっても実に馴染みのある思想だと思う。日本も古代はカースト的な社会であったのだろう。その影響は現代、自分の深層にまで食い込んでいるように思う。

 自分の成育史を考えると、様々なところで人生の決断に影響を与えてきたように思えてならない。

 最近は平家物語や室町時代に凝っているわたしであるが、時に、中也の詩集も読んでみよう。心の深層のお勉強は、いろいろ忙しい。

(このシリーズは「生き甲斐の心理学」を参考にしています。U先生、ありがとうございます!)

暮らしの中のカウンセラー⑫(見えないものを観る、聞こえないものを聴く 42/60)

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