小学校5,6年のころ、親戚のBさんに妹と勉強を教えてもらったことがあったが(家庭教師というものだろうか)、ある日、勉強するのが嫌で屋根裏に逃げて、隠れたことがあった。
家の屋根裏には、2階の押入れの天井板をはずして入るのだが、埃と蜘蛛の巣の魑魅魍魎の世界である。ただ、一か所通風口というのだろうか、外部から光が差し込む場所があった。そんな秘密の場所は、当時ウキウキする場所であった。
丁度妹の部屋の上あたりの梁の上で、Bさんと妹が勉強している声が聞こえる。私が居るはずの部屋に私が居ないので、Bさんと妹は何処に行ったのか不思議がっていた。ところが、ちょっと身体を移動した際に物音がしてしまった。その音で、妹とBさんは、さては屋根裏と気づいたようである。
やがて、Bさんが、天井裏に顔を出し、「誰にも言わないから出てきなさい。」と言ってくれたこともあり、屋根裏への逃避行はそこで終了した。
さて、こんなことをするのは私ぐらいかと思っていたが、高校生になってから、数学のO先生の雑談の中で、屋根裏に隠れた話を聞かされた。人は、違うようで似ていることもあるのかと、不思議な感じがし、O先生へ親近感から、数学も好きになって行ったようである。
こころの防衛機制でいうと、屋根裏へ隠れることは、逃避に近い。逃避の原型かもしれない。そして、数学もこころの深層で屋根裏に通じて、私の密やかな逃避場所になっていったのかもしれなかった。
自分の人生を振り返ってみると、このちょっとした愉悦をもたらすような、隠れ家への逃避は、時々登場し、自分を救ってくれたように思う。一方、いざという重要な時に、居なかったと近しい人から苦言を呈されたことも。
<異物 3/8>
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