イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

窓から見える父の空・・・

2009-09-18 | 第十章「今ここでの恩寵」

 自分の生育史を考え、自分とは何だろうかと考え続けていくと、自分の信仰のことが、大きな影響を与えていることを考えざるを得ない。

  母がカトリック信徒。その影響で幼児洗礼を授かり、そして、紆余曲折はあったが、今もカトリック信徒である。

 クリスマスやウェディンングなどで日本も、キリスト教に親和的になってきたが、幼いころから、毎週日曜日に母と教会に行ったりする自分を、どう受容し統合していくかは、結構大きな問題であった。

 亡父は、仏教・神道のごく日本的な宗教環境のもとに育ち、晩年はとにかく、普通の日本人と同様に、お墓を大切にしたり、神仏を大切にしたが、日常的な宗教活動は特にしなかった(祖父母たちのように、家に仏壇がなかったからかもしれないが)。 

 しかし、カトリックの母に特に宗教に関し反対したりしたり、貶したりする姿は一度も見たことはなかった(ほとんど仕事をして家にいないこともあったが)。

 父の本棚を高校生のころになると、良く覗いたが、岩波文庫で、日本切支丹宗門史(レオン・パジェス著)があったりした。、亡父もある程度のキリスト教への理解があったようだ。そうでないと、カトリックの母とお見合い結婚などしなかったであろう。

 今、私は比較宗教学に興味をもち、よく神社やお寺を参拝する。亡父に連なる日本人の祖先が、100%ではないにしろ、カトリック(戦国時代は人口の10%になったという時代もあったようだが)を認めていただいているように想う(勝手ではあるが)。

 それが故かもしれないが、祖父母たち祖先の信仰してきた神社仏閣を、どこかで働く聖霊の伊吹を感じつつ大切にし、天国で祖先達と再会したいと願っている。

<日本人 4/8>

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