人間らしく

日記です

笑いのある世間を…

2017年08月12日 06時26分40秒 | 日記
 落語の桂歌丸さんの言葉が忘れられない。
落語家にとって、お客さんを①怒らせること、②泣かせること、は簡単だが、
笑わせること ぐらい難しいことは無いという。
笑いには、生活感から滲んでくるもので、心からの笑いが無いから難しいのだろう。
 最近の世の中を見ていると、笑いより、怒りの方が多い。
戦前・戦中を生き抜いてきた人間としては、理解し難い事象が多すぎるのだろう。
時代が違うといえば、それまでだが、それにしても常識まで変わっていいものか。
常識とは、普遍的なものと思っていたが、どうも、世につれて変わるもののようだ。
笑って過ごせる社会であって欲しいものだ。



                日 御 碕 に て (2)

               





朝ドラ「ひよっこ」に感動して・・・

2017年08月11日 04時53分55秒 | 日記
 朝ドラ「ひょっこ」の、記憶を喪失した父娘家族の久しぶりの再会に感動した。
私は26年間の長きにわたり、音信不通で消息すら判らなかった父親と九州の大分で再会した時のことを、想い出し感無量であった。
別れていた親子の再会が、如何に劇的で感動的なものかが、解る小生にとってはひとしおであった。
「記憶喪失」がどんなものかは、理解しにくいが、想像はつく。
何気ない茨城の生活が、今後どのように展開されていくか楽しみだ。
家族の団欒を失いつつある日本人には、特に若い人達に、どのように映ったことだろうか。
何の変哲もない平凡な生活の中に、幸福はあるのだろう。



              日 御 碕 に て ( 1 )



政治家について思う・・・

2017年08月10日 05時25分07秒 | 日記
 昨日は、「性善説」について触れたが、私は基本的には「性善説」にくみする。
しかしながら、政治家だけには「性悪説」だと思っている。
政治家は、平気で「嘘」をつくし、まともに答えようとしない。
政治とは、本質的に利害を調整するのが仕事だから、「真実」「正論」だけでは、通用しないだろう。
本質的に、政治とは、方便の世界である。
ゆえに、政治家だけには、信用・信頼がおけない。
「嘘」が平気で言える世界には、同意できないし、生理的に嫌な世界だ。
それにもかかわらず、誰かが担う必要がある世界だ。
世襲だけは、止められないものか。



              大 歩 危 の 清 流 (4)

性善説でありたい・・・

2017年08月09日 05時20分11秒 | 日記
 60歳の頃から75歳まで「家庭菜園」をしたことがある。
散歩道で土地の交渉したが、「どこの馬の骨」か判らない人間には、貸せないと拒絶された。
考えれば、それも道理かもしれないが、合点行かなかった。私は、信じてもらえなかったのだ。
それが世の中の常識と知りつつ、「性悪説」が罷り通ったのだ。
そんな時、JAで紹介してもらったMさん宅の空き地を使わせてもらうこととなった。
使用料は「酒の一本でももらえばよいよ」と言われた。
これは人を信じる、「性善説」と感謝しつつ「家庭菜園」をすることとなった。
世間話をしながら、ゆつたりとした時間を過させてもらった。
「性善説」と「性悪説」はかくも違うものかと考えさせられた。
「性善説」の人には幸いがあると信じている。以後は、自然と親しみつつつ楽しい家庭菜園となった。



                 満 月 の 夜



人生は、旅人のように・・・

2017年08月08日 04時19分30秒 | 日記
 人生は旅人である。
右往、左往しながら、時の流れに流されながら、歩んできたように思う。
鴨長明を初めとして、いにしえの偉人達が云われた言葉が身に沁みる。
時に有頂天となり、時には失意のどん底にいたる。
まさに人生の浮き沈みは世の常である、ことを思い知った。
今回の病は、天罰だったのかもしれない。
謙虚を旨として生きてきたつもりだが、何処かに大きな心の隙があったのだろう。
旅人のように、用心深く生き続けたいものである。



               大 歩 危 の 清 流 (3)








何気ない日常に幸いがいっぱい・・・

2017年08月07日 13時40分59秒 | 日記
 何気ない日常が、かけがえのない日常になっている。
そのありがたさが真に理解できたのは、今回の病気のおかげである。
入院して立って歩くこと、トイレに行くこと、歯磨きをすること等も
一切できない不自由な身になって、初めて知ることとなった。
何気なく当たり前にできていたことが、いかに大切かを思い知らされた。
 これが「病気になることの≪恵み≫だったのか。
「人は欲しいものを祈り願い、神様は必要なものを下さる」ということか。(渡辺和子さん著による)
病気になって、初めて知った意である。普段の元気な時には気がつかないことだ。



            大 歩 危 の 清 流 2

世界平和を願って、思うこと・・・

2017年08月06日 09時45分50秒 | 日記

 今日は、一年に一度巡って来る≪広島平和祈念式典≫の模様をテレビで見ることができました。
本来ならば、朝早く起きて、広島平和公園に足を運ぶところでしたが、体調不良につき参加できなかった。
涙なくしては見れなかった。残念でならならなかった。
 テレビを見ながら、為政者はどのように感じたかである。
 特に日本の政府関係者には、大きなインパクトがあったのではなかろうか。
「絶対悪」である核兵器の使用を禁止する核兵器禁止条約を、どのように実現して行こうとしているかのか。
答えは単純明快であって欲しい、理屈や忖度は一切不要と思う。
こんな単純な答えがなぜ求め得ないのか、政府も真剣に考えてほしい。
世界をリードできるのは、日本だけである。



             世 界 平 和 を 願 っ て


プラス思考でいこう・・・

2017年08月06日 04時03分10秒 | 日記
 青春時代の多感な頃、私は劣等感の塊であったように思う。
他人様と比較しては劣等感を抱き、自信が持てない時期があった。
そんな時に出会ったのが、哲学の「実存主義」であった。
自らの存在を肯定的にとらえようとする思想だった。
生物界において、二つとして、同じものは、この世には存在しないという。
この考え方に、随分、影響を受けて、不要な劣等感から脱出できたように思う。
今、プラス思考が盛んに云われているが、劣等感はマイナス思考の最たるものだ。
物事をマイナスに捉えたくないものである。



               大 歩 危 の 清 流

 

なぜ、エレジーは美をもたらすのか・・・

2017年08月05日 03時59分04秒 | 日記
 人は悲しい時、寂しい時に美しさを特に感じるのだろうか。
私の場合は、普段感じない時でも、心寂しい時、悲しい時には審美眼が鋭敏なように思える。
なぜだろうか、いつも不思議に思える。
寂しい時・悲しい時聴く音楽(クラシック)は、格別美しいし、心に浸みる。
そんな時、「音楽(クラシック)」に導かれたのは、幸いであったと思う。絵画も美意識をそそってくれる。
そんな心情の時にこそ、「真・善・美」の心が宿ってくれているように思えてならない。
トレジェデーにはそれが無いように思われる。



                 宮 島 の 清 流




青春について思うこと

2017年08月04日 06時08分52秒 | 日記
 人生は一度しかない、、青春はもちろん一度しかない。
青春といえば、サミュエル・ウルマンの詩「青春」を思い出す。
現役時代は、いつも机に置いていた色紙だ。
心の持ちようで「青春」は決まるという。
「青春」とは物理的若さをいうのではなく、精神的若さをいうと詩っている。
多くの若者が心うたれたに違いない。
命の尽きるまで心が柔軟な「青春」であり続けたいものだ、その純粋さは無くしたくないものだ。



              小 川 の せ せ ら ぎ